”空手革命家” 塚本徳臣~到達点、追い求めた芸術的一撃必殺

2024年4月11日

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他流世界王者を下し、あらゆる敵を一撃必殺で沈めていた飛び膝蹴り

低迷からの、世界王者対決へ

更に彼の低迷は、続く。

第36回全日本大会では準々決勝で相手の胸ぐらを掴んでの膝蹴りの連打で反則減点をとられての、敗退を喫する。
第37回全日本大会は直前に行われた空手ワールドカップでのデニスグリゴリエフからのパンチによる胸骨骨折のために出場自体を余儀なくされる。

第23回全日本ウェイト制大会。
久しぶりに出場した体重別の大会で、彼は名勝負を繰り広げた。
その時新極真とタメを張っていた白蓮会館の時の世界チャンピオン、北島悠悠が出場してきて、塚本徳臣との直接対決が準々決勝で実現した。元とは言え第6回世界大会チャンピオンであり、常に第一線で戦い続けた塚本徳臣との戦いは注目を集めた。

結果はほとんど北島悠悠に何もさせずに、一方的に攻め込んでの圧倒的な判定勝利。その試合の直後、彼は全くダメージを負っていなかったと語った。

しかしその後準決勝で戦った、下段職人の野本尚裕との戦いで、自ら放った前蹴りによって右足の指を骨折して、その大会は4位に終わっている。

跳び膝蹴りが火を吹く

そして出場した、世界大会選抜戦でもある第38回全日本大会。
4回戦、準々決勝、連続での飛び膝蹴りによる、逆転技あり勝利。

塚本徳臣の飛び膝蹴りが復活。
その雰囲気に、会場がどよめいた。

そして準決勝で実現した、都合五度目の宿命のライバルと呼ばれる、鈴木国博との直接対決。
試合は、わずか1分だった。

これ以上ないと言えるほどの、完璧なる飛び膝蹴りによる1本勝ち。
まさに一撃必殺の体現者。
戦慄の光景に、会場は凍り付く。

そして決勝で激突した、”重戦車”塚越孝行。

試合は飛び膝蹴りを警戒した塚越孝行が間合いを詰められず、最終的に塚本徳臣が体重判定により勝利をつかんだ。

実に10年ぶりの全日本大会の優勝。

一抹の不安

しかし、一縷の不安を残していた。
決勝点塚本徳臣は、塚越孝行の重たい左下段により、完全に足をきかされていた。

さらには準々決勝も、飛び膝蹴りがなければ押し切られていた可能性が高い。

彼のその地力に、不安が過っていた。

取り戻した本来の間合いと、覚醒の兆しを見せた弓張りの構え

異例のブロック大会出場

そして迎えた第9回世界大会。
塚本徳臣は、ベストエイトで敗れた。2回戦、3回戦は、胴廻し回転蹴りとの連続の1本勝ち・技ありを奪ったが、逆に言えば内容で圧倒した試合はなかった。聞くところによると直前の練習で足が肉離れを起こしたと言う話だ。

結果、日本の王座は”重戦車”塚越孝行によって守られた。

そして塚本徳臣は、世界・全日本王者経験者としては初めて、チャンピオンになった後にブロック大会に出ることを宣言する。
選んだのは福岡県大会。

そこでも当初は膝蹴りで押し込むような力任せの組手を展開していたが、準々決勝で激突した青柳茂瑠との戦いで、その戦い方に限界を感じのか、再延長戦で突然距離を取り、前蹴りを連発した。
そしてそこから、前蹴りから変化をするマッハ蹴りで100キロの巨体を、なぎ倒した。

会場は興奮のるつぼに包まれた。
さらに立ち上がってきた青柳茂瑠にさらにマッハ蹴り一閃。そのまま優勝し、勢いそのままに全日本大会も優勝するかと思われた。
しかし短期間でブロック大会にまで出た弊害だったのだろう、力を発揮出来ずに4回戦で敗れている。

弓張りの構え

そして迎えた、体重別の世界大会である第4回空手ワールドカップ。
塚本徳臣は、世界で初めてともいえるスタイルを見せつける。

相手に対して、完全に自分の側面を向ける、半身と言う言葉では足りないほどの極端な体勢。
さらに前の手である右手は開いた形で床に向けられ、後の手はやはり開かれたまま顔面の近くに添えられる。

弓張りの構え。

型などでは見られるが、まず実践では使われることがない、ほとんど無防備に近い、危険極まりない構えだ。

この構えを見せた時、会場はどよめいた。

相手は、身長196センチ、体重108キロを誇る、”バルトの魔人”ドナタス=イムブラス。

日本人が勝利できたのは、2年前の世界大会決勝で塚越孝行が唯一だ。

そして開始と同時に、塚本は頭を下げた。
そして送り足で突進して、踵で側面から太ももを打った。

格闘技の歴史の中で、掛け蹴りで下段を狙った初めての瞬間だっただろう。

覚醒の兆し

まるでマタドール。
”バルトの魔人”は”空手革命家”の変幻自在の間合いを、上下左右、中足、脛、踵、膝、あらゆる箇所、部位に高速で飛んでくる蹴りを、捉える事が出来なかった。

決勝で激突したヴァレリー=ディミトロフとの戦いも、本線3対0で敗れはしたものの、テレビ放映の際の解説でさえ全くの5分と訴えるほどの大接戦。

しかもこの大会、塚本徳臣は、ほとんどパンチを使っていない。1試合平均は、おそらく10発にも満たない。

何かが、始まろうとしていた。

ケトルベルトレーニングと、完成した組手スタイル

限界を越えて――ケトルベルトレーニングの導入

塚本徳臣は第4回ワールドカップの後引退を考えていたという。

すべてを。
自分の全てをかけて、できる限りの練習を積んで、それだけの覚悟を持って日本に体重別の世界大会の重量級の王座奪還を誓ったという。

しかしそれでも届かなかった。
もう自分の限界はここまでなのか。

しかし彼は立ち上がった。
語った。
「絶対諦めないぞという気持ちで、もう一度世界をトライしたいという気持ちで」

そして彼は、ケトルベルトレーニングというものを取り入れた。
ヤカンのような形の重りを持って、縦横無尽に振ることで、体幹を鍛え、捻りに強く、練られた筋肉をつけることが可能だと言う。

そして塚本徳臣は完成した。

完成された組手

第41回全日本空手道選手権大会。

これはどこまでも完全に、塚本徳臣のための大会だった。

全試合、ほんのわずかにも危なげなところがない。

ほぼ100%、彼が考えた通りの組み手ができているのがこちらも理解できた。

完成された組手は、それは極めてシンプルなものだった。

まずは前蹴り、下段掛け・後ろ回し蹴り、上段へのマッハ蹴りや胴廻し回転蹴りで相手の注意を引きつけ――本命の下突きで肝臓を効かせる。

そして相手の注意が腹に向かった瞬間、上段外回し・膝蹴りで脳を揺らす。

相手は一切、何もさせてもらえない。

現王者相手に衝撃の一本勝ち

準決勝は、空手史に残る一戦だった。

その日会場には、様々な格闘技の関係者が来場していた。しかし競技の性質上倒し倒されのKOが少ないため、実戦的ではないと嘯いている人間が一部にいたらしい。

しかしその雰囲気を、あろうことか前年の全日本大会王者である山田一仁相手に、一瞬にして凍りつかせてしまった。

あまりに、あまりに鮮烈すぎる。

あまりにも衝撃的すぎて、すごいと言うよりも相手の心配をしてしまう。

「マツコ有吉の怒り新党」という番組で、これが有りだったらパンチも有りじゃない? とマツコデラックスに言わしめた。

決勝は、延長まで行きはしたものの、独壇場だった。塚本徳臣は一切のダメージを受けていない。さばきながら、様々な技を試し、やはり腹を下突きで効かせて、ガードを上げられない状態にしてから、上段膝蹴りの3連発。

壇上に上がってトロフィーを抱えるその姿は、神々しく映った。

極真史上最強同士の激突

迎えた第42回全日本空手道選手権大会。

完成した組み手スタイルを手に入れた塚本徳臣は、破竹の勢いで勝ち進んだ。
体重130キロを誇る落合光星との戦いにおいてもマタドールのごとく相手に全く組み手をさせず、準決勝まで進んだ。

そこで極真史上最強の一角、”重戦車”塚越孝行との決戦が待っていた。

この試合は間違いなく格闘技史上最高のBEST BOUTの1つだ。
2人とも、まさに史上最強のコンディション、身体能力、技術でぶつかり合った。

極真史上唯一の、史上最強同士の激突。

本戦は、塚越孝行がその信条である受けの達人の妙技を見せつけて一切のクリーンヒットを許さず、逆に塚本徳臣の奥足を左下段回し蹴りで痛め付けた。

ここまでは前回の対決である第38回全日本大会決勝と同じ展開。
このまま塚本徳臣が敗退してしまうのか? と言う空気が流れた。

師が授けた後ろ蹴り

その最中、延長戦中盤で放たれた、受けの達人の嘘をついた――後ろ蹴り、一閃。

あばらが折れたかと思うほどの衝撃で、さらにその後左の下突きの連打。
塚本徳臣は、この究極の難所を長崎の先生に教わったと言う秘伝の技で乗り切った。

独壇場となった第10回世界大会

そして全日本2連覇という、絶対的なエースとして臨んだ第10回全世界空手道選手権大会。
ポスターは、第一回世界大会以来、単独での一枚となった。

そしてまさに、世界大会は塚本徳臣の独断場となる。

世界大会その舞台で、初戦である2回戦、3回戦、連続の1本勝ち。それも突き、蹴り、それぞれで技ありを奪って。

4回戦、5回戦、中段、上段への技ありの奪取。
相手との実力差が、はっきりと表れている。

さらに準々決勝も本戦で身長10センチの身長差をもろとも言わせずに押し切り、迎えた準決勝戦。

前回世界大会準々決勝で敗れた、”シベリアの虎”ローマン・ネステレンコ。

序盤から下突きを効かせて、膝蹴りで押して押して押しまくり、ほとんど間違いない判定勝ちを誰もが確信していた――本戦残り1秒、2分59秒の、その時――

格闘技史上に残る、世界最高の胴廻し回転蹴り

その瞬間、私は会場で、S席でその様子を見ていた。
ここで塚本徳臣が敗れれば、”シベリアの虎”は決勝でも相手の腹をその強烈無比な左中段廻し蹴りで食い破って優勝し、日本10連覇の大記録が途絶えてしまうだろうというその危機の中、皆塚本徳臣の圧倒的な攻勢に酔いしれ、大声援を送っていた。

しかしその瞬間、間違いなく会場はその全員が息をのみ、音が消えた。

そして私は立ち上がり、しかしS席で立ち上がったら後方客の迷惑になると座って振り返ったその瞬間、まさかの全観客、関係者、選手、運営に至るまで――会場のすべてが立ち上がり、両手を突き上げていた。

極真空手史上まず間違いなく二度と起こる事は無い光景だろう。

胴廻し回転蹴り。

最強外国人、優勝候補筆頭に対して、準決勝で、一本勝ち。
それはボクシングの10カウントすら生ぬるいほど、完全なるノックアウト。
塚本徳臣が残心をして戻る中、解説の三好一男が言っていた言葉が印象に残っている。

日本代表のマークが、輝いて見えますね。

我が空手人生に一片の悔いなし

決勝では、本人が語る通りすべての技を駆使して、大差の判定勝ちを決めた。
塚本徳臣の物語、そして伝説が、ここに結実し、大団円を迎えた瞬間だった。

もう二度と、こんな男は出てこないだろう。
どれほどの言葉を尽くしても、語り尽くせない。

極真史上最強の筆頭、塚本徳臣。
以上が彼が綴ってきた、空手革命の全歴史である。

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