居場所を求めず、自由と自立と自信を手に入れる

2019年11月22日

人は皆、居場所を求める。

ここにいてもいいんだ、許されているんだ、必要とされているんだ。

そんな場所を求め、そんな場所がなくて、いつも寂しくて、苦しんでいる

そんな話を聞くたびいつでも思う。

おかしくないか?

自分がそこにいれば、もうそこが場所なんだから、どう思われようが関係なくないか?

デリカシーがないとか無神経だとかそういう精神論は1回置いておいても、個人的にはそんなに的外れな考えじゃないと思っている。

なんで許可がいる?

なんで必要とされなきゃいけない?

なんで誰かに求められたいの?

もちろんわかっている、その正体は――承認欲求と言う名の怪物だ。

アドラー心理学を旨としている私からすれば、居場所を求めている限りは幸せにはなれないと思う。

人は、現状に満足できない生き物だ。

一定期間経てば、その状況に慣れてしまって、飽きてしまって、感謝を忘れて、もっともっとと求めてしまう。

それはモノや環境だけでなく、人に対しても同様だ。

それが私は、とても悲しい。

なぜ同じだけ与えているのに、同じだけ優しくしているのに、変わらないのに、みんな慣れていて飽きて、傲慢になって、そして変わっていってしまうのか?

それはその状況は悲しいと言うよりも、人間と言う生き物が悲しいと感じてしまう。

私はずっと、空手をやってきた。

20年以上も、特に飽きると言う事もなく。

そして何か成果がでると言うことも、1円でも稼げることもなく――多分一般的に言えば、私は頭が悪い部類に入ると思う(笑

羽生善治先生は仰っていた。

同じことを1日3時間、20年続けられろ、と言われて、それは絶対できないと思うんですよ。

しかい彼はおそらく、それをやってのけた。

話がそれたが、つまり誰かに自分の居場所となることを依存している限りは、いつでも心変わりに怯えることになる。

確かにわかる、痛いほどわかる、誰かに笑いかけられて、君が必要だ、待っていたよと言われることほど嬉しいものはない。

これは人間の心に刻まれ呪いのようなものだと思う。

それを乗り越えなければ、真の意味での自由もないし、真の意味での自立もないし、真の意味での自信もつかない。

私は自由で、自立して、本当の自信を手に入れたい。

何かに常に振り回されて、頭を悩まされ、人生なんてまっぴらだ。

居場所は、自分自身が自分自身の居場所になればいい。

どんな自分だって自分で受け入れられれば、

理想の自分なんて言わずに、愛のままの自分でいられれば、

いつだって笑って、楽しんで、怖がらずに挑戦できる。

そんなどんな人から見ても健全で素敵な人間になれるんじゃないかって、今はそんなふうに考えてます(笑
___________________
面白かったらこちらをクリック👍
 にほんブログ村 にほんブログ村へ 
 にほんブログ村ランキング   人気ブログランキング