不治の病――潰瘍性大腸炎と2000日の闘い

不治の病の真実
これは文字通り僕潰瘍性大腸炎になってから、苦しみ、死に瀕し、そして今に至るまでの経緯を順を追って語るものです。
世間で言われているイメージと、実際の違い。
そして不治の病という現実。
それを知ってほしくて、そしてなにより私がどのような想いを抱え、今のような考え方に至るかを知ってほしくて綴っていこうと思います。
なお、小説風になっているのは当時実際にその形式での発表を考えいたからです。その臨場感を残したいので出来得る限り当時のまま掲載していきますので、どうか了承いただけたら幸いです。
では、私の不治の病――潰瘍性大腸炎闘病記の始まりです。
真っ赤な便器
ぼくはその時いつものように便意を催し、トイレに向かった。まったく変わった様子なんてなかった。何の予兆もなかった。
大便を済ませて腰を浮かし、その時初めてその”異変”に気づいた。
なぜか便器が、真っ赤に染まっていた。
「――――ハ?」
ぼくは最初、まったく意味がわからなかった。初めての事態だった。だからどう考えていいのかが、そもそもわからなかった。
「痔……か?」
そして浮かんだのが、その単語だった。
ぼくもそういう歳なのか? さすがに憂鬱になりながら、まずはネットで調べることにした。さらには友だちにも相談してみると、意外にも痔で悩んでいる人間は多かった。
「そういうもんなんだな」
ぼくは少し安堵して、とりあえず最寄りの肛門科へと向かった。なにはともあれ医者だ。
大腸検査
そこでぼくは薬を処方され――なぜかやたらと、大腸検査とやらを勧められることになる。
「大腸、検査……ですか?」
「はい」
「でも、検査なんて……」
どうせ痔なんだから、ムダな出費と労力になるんじゃ?
けれど医者は、真剣だった。
「念の為ですが、ゼヒ受けた方がいいと思います。断言は出来ませんが、ゼヒとも……!」
「は、はぁ……?」
ぼくはその熱意に押される形で、その申し出を受けることにした。
確かに面倒で、時間も取られるが、専門家の意見に従うのが一番だ。準備のため前日夜に生まれて初めての下剤を飲んでから、眠りに着いた
しかし妙だったのは――
確実に効くと謂われたステロイド性の薬を飲んでも、出血が止まる気配がないことだった。
下剤地獄
ピンとこない
その時の心境を、僕はよく覚えています。
なんというか、ピンとこないというか。
なにを言っているか、温度差があるというか。
その時の僕は、すぐにでも日常に戻れるものだと思っていました。それが現在まで、そして未だわからない未来まで続くとは想像だにできませんでした。
そして迎えた、検査当日。
「ぐ、おぉお……!」
ぼくは病院の待合室で、死にそうになっていた。
壁にもたれ、変な声が漏れる。
甘かった。大腸検査は、想像を絶する過酷さだった。
十数回の排便
まず前夜の下剤で夜中に二回、トイレに起きた。
さらに当日朝に飲んだ1リットルの下剤でプラス五回トイレへ行き、水便となっていた。おまけに病室で一リットル追加の下剤を飲まされ、更に10回トイレに行ってなお、下剤を500ミリリットル追加された。
「もう、もう飲めない……で、出ない……」
全身のミネラル分がすべて吐き出され、ミイラにでもなりそうな勢いだった。
こんなに辛いのに、辛いのにまだ飲まないと、出さないといけない――もういっそこっちが原因で病気にでもなりそうだった。
それを見かねたのか看護師さんが、
「あの……大丈夫ですか?」
「正直……辛いっス。キツい、っス……」
「でしたら……浣腸、という手段もありますが?」
マジでイヤだった。
ぼくはそれを勘弁してくれと懇願した。すると担当医はそんなぼくを哀れに思ったのが、残存物を吸い込みながらの大腸検査を提案してくれて、ぼくは一も二もなくそれに乗らせてもらった。
とてつもない開放感だった。ああ、コレで終わると。
ぼくはまたも、甘かった。
圧倒的なあっぱく感と、苦しさ
「ぐ……お、ぅぉおぉおおお……!!」
尻から硬く、太く、長いものがズリ、ズリ、と腹に侵入してくる。
それは信じられないほどの圧迫感、苦しさだった。
しかも見やすいようにと、同時にガスが送られる。正直いっぱいいっぱいだった、正直死にそうだった。世に、こんなに辛い検査というものがあるとは――ぼくはその瞬間、世界中の入院患者を心の底から尊敬していた。
最深部まで達するのに、十五分くらい掛かっただろうか?
途中何度か大丈夫? とかホラホラ見て見て、とか言われた気がする。
ぼくとしてはそれどころじゃなかったから、さっさと結果が欲しかった。とにかくどうだったのかだけ教えて欲しかった――
余命宣告?
下剤の衝撃は、かつてないといっても過言ではないものでした。
何度も経験しましたが、慣れるのは難しく、未だ憂鬱な気分になります。
ですがこのあと起こった出来事は、それらの辛さを吹き飛ばすほどの衝撃をもつものでした。
衝撃の宣告
先生はだいぶ勿体つけたあと、告げた。
「ホラホラ、やっぱり。私の言う通り、念の為やっといてよかったでしょ? 痔じゃないですよ、キミ。
潰瘍性大腸炎です」
一瞬、耳が遠くなったように感じた。
カイヨーセイダイチョーエンって、何?
「潰瘍性大腸炎っていうのは、安倍首相も掛かったことで有名になった病気ですね。アレ、キミ、聞いたことないですか? ホラ、大腸の免疫不全で、爛れる……不治の病の」
大腸が、爛れる?
免疫不全で――不治の病?
そんなまさか、ラノベじゃあるまいし――
ウソだろ?
「そ、れって……ガンとかじゃ、ないですよね?」
落ち着いた言葉とは裏腹に、心臓だけバクバクと早鐘を打ち出していた。
この、空手暦20年を越えた、病気も大怪我――はアキレス腱一回切ったけどほとんどないぼくが、不治の病?
冗談にしては、笑えなかった。
医者は逆に、笑っていた。
国指定の難病――特定疾患
「大丈夫です。違いますよ? まぁ確かに悪化すれば発がん性も、という説も……とにかく、潰瘍性大腸炎は現在原因が断定されていない、国指定の難病――特定疾患です。ですが安部首相も、罹患していながら総理という日本で最もな激務をこなしているのだから、あなたも治療に努めれば改善する可能性は充分にあります」
ぼくは目を、パチクリさせた。
気休め?
本音?
それとも優しいウソ?
断定できず戸惑うぼくをよそに、医者は気楽な様子で詳細な説明を続けた。
それをぼくは、アホの子のように頷いて聞くほか無かった。
それから一週間、自覚症状はほぼ無かった。
ただ大便時に、出血――下血(げけつ)が続くだけだった。
痛みもない。
こんなものかと、最初の衝撃は薄れて、少し楽観的にさえなっていった。
その、次の週からだった。
ほとんど、いきなり来たといっていいレベルだった――
激痛倦怠感煉獄
本番
ここまでは、病気が発覚し、しかし未だ実感がわかない日々の綴りでした。
そしてここからが本番です。
題名通り、まさに心身ともに業火で焼き尽くされるが如くの、それは煉獄。
その片鱗をお知りください。
排便数の激増
まず、排便の回数が増えた。
一日2,3回だったのが、一気に5,6回に――それはあっという間に10回まで増えた。
さらにすべて、濁流のような下痢――そして下血へと変化し、毎回便器は、血の海と化した。
同時にやってきたの倦怠感と、下腹部の痛み。
腹を壊した時の比ではない。まさしく内臓が、こねくり回され、えぐられているように錯覚する。
倦怠感は、熱も関節の痛みも頭痛もない、重度のインフルエンザ。指先を動かすのも、かなりの労力。常に全身が、小刻みに震えていた。
それほどの尋常ではない状態。
「ぐ、ぅう……うううう!」
それからさらに、約二週間。
動けない年末年始
ちょうど時は、年末年始。
ぼくは大晦日で実家へ戻っており、そこからの三箇日をずっとソファーの上で過ごしていた。
過ごさざるを得なかった。
潰瘍性大腸炎は更に悪化し、一日15回もの便意に襲われた。
それは時間にすれば十五分に一度、つまりはトイレに行って戻ったらすぐまた便意、というペースだった。下血は本当に辛く、まるで命を吐き出すようだった。
日がなソファーに横たわり、トイレと水分補給以外では一歩も動けない。
「かっ、く……っ、ぅう!」
家族は旅行に出かけていた。
随分前から計画していた、海外旅行だ。
しかしぼくはこのザマで、辞退することにした。
逆に言えば気をつかわずに済んで、助かってもいた。
「ぅ、う…………は、ハハ」
気づけば笑う自分に、僕は気づいていた。意図してのことじゃない。頭で考えての、ことじゃない。
ただ笑うしかない状況に、体が化学反応を起こしていた。
僕はその時初めて、
生まれて初めて比喩じゃなく、死にそうだと思った。
死に瀕する
本当に伝えたいこと
ある意味では、ここからの話が本当に伝えたいことの一角です。
自分はそれまで、当たり前に生きてきました。当たり前に生まれ、育ち、学び、働き、暮らしてきました。そして当たり前にそれがずっと続くと思っていました。
いや、勘違いしていました。
違いました。世界は、そんな風にできていない。そんな安心は幻想で、一歩間違えればそれは崩れ落ちうる。
それを知りました。
それはまさに、価値観の反転、人生観の反転でした。
不治の病。
死に瀕する。
その意味を、おかみしめください。
命が削られていく
これが私の最初の経験だった。
激しい痛み。
それが、ずっと続いていく。表面の切れたり擦れたり、そういうものではない。
体の内側が、文字通り内臓が蝕まれている。
命が削られている。
命がすり減っていく。
それが実感としてわかってしまう。激しい痛み、凄まじい倦怠感、それがずっと終わらない。ほとんど、寝ている時以外ずっと続く。
ずっと命がすり減っていく。
最初は苦しいと言う言葉だった。
「ぐ、ぅう、ぅ……あ、あぁあぁああ……!!」
それがいつの間にか変わった。苦しい、辛い、苦しい、辛い、苦しい、辛い、苦しい、辛い――
何回何十回何百回――あるいはそれ以上の回数をこなしただろうか? わからない。だけど気づけば僕は、こう思っていた。
死にそうだ。
生々しい言葉だと思う。今まで僕は、死んだことがない。だからどれぐらいいけば死ぬかと言う目安がわからない。
だからこそ、予測しかできない。
死にそうだ
死にそうだ。
それぐらい辛いだとか、それぐらい痛いとか、そんな言葉すら浮かばない。文字通りの極限状態。
かつてあずみと言う時代劇暗殺漫画で、内臓に損傷を受ければ決して助かる事はない、という事実を知った。
内臓をやられると言うことは、人間にとってそれだけ致命的だ。
その内臓が、どんどん蝕まれていっている。
だけど原因不明だから、打つ手がない。
極限状態で、おそらく思うでもなく身体の方が警戒信号を発し続けていたのだろう。
死にそうだ、死ぬ、死んじゃう、死にそうだ、死、死ぬのか、死ぬ? 死、死とは? 死、死、死死死死死死死死――
続く言葉はとどまることはなく、いつかしか一つの言葉にたどり着いていた。
死ぬかもしれない
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