死に至る病うつ病闘病記 失業,パニック,生死を越え,人生を取り戻す
そんなわけで今回から、潰瘍性大腸炎闘病記に引き続き、死に至る病――うつ病闘病記を始めていきたいと思います。
前回の潰瘍性大腸炎闘病記を読んでいない方は何のことかわからないと思うんですいません(笑
もし興味がおありの方は、こちらからどうぞ(笑
→不治の病――潰瘍性大腸炎闘病記①「予兆のない訪れ」

心のガン
まず質問というか問いかけなんですが、このタイトルは大げさだと思いますか?
死に至ると言うのは、言い過ぎだと思いますか?
一昔前の話ですが、うつ病は心の風邪と言った人がいました。
少し前の話ですが、うつ病は心のガンだと言った人がいました。
時間が経つに連れて、少しずつその病気の正しい性質が、人々の間に浸透していくのを感じています。
特にうつ病ほどその実態が捉えづらく、誤解されている病気もないのではないかと思います。
うつ病は、憂鬱な気分とは違う
まず個人的にですが、うつ病と言う名前そのものが良くないのではないか?
家族やネットなどでよく聞かれる話だったりしますが、ちょっと気分が落ちたり、だるかったりすると、すぐにうつ病っぽいかもとか、そういう話を聞いたりします。
これに関しては、私がうつ病の時に大変お世話になった役立つ情報をブログから発信している、精神科医ゆうきゆう先生がこう断言しています。
それはうつ病ではありません。
憂鬱な気分なだけです。
そして個人的にですが、断言させていただきます。
うつ病は肉体疾患
うつ病は、肉体疾患です。
こういう書き方をすると大げさだとか、馬鹿なこと言ってると思われそうですが、実際にうつ病に罹患しての、これが私の結論です。
まずこの認識がなければ、うつ病と言うものを理解することは難しいと思います。
次回から、実際にそのうつ病になった発症の時期から、その経緯を書いていきたいと思いますが、まず初めにこの認識から知っておいて欲しかったのです。
そして、うつ病は間違いなく死に至る病です。
とっくにご存知だとは思いますが、年間幾人もの人々がそのために自ら命を絶っています。
ここにこの記録を書くことの意義は、様々です。
備忘録、誤解を解きたい、自分を知っていただきたい、実際に今苦しんでいる方の力になりたい、助けたい人の道しるべになれば良い。
この記録が、あなたに何かしらのものをもたらすことを切に願います。
罹患する素養
完ぺき主義でまじめで融通がきかない
今考えて、私が鬱病に罹患した、その兆候と言うものは、おそらく高校から大学のあたりから始まっていたように思います。
昔からよく言われていることではありますが、うつ病になる人の素養として、完璧主義で真面目で融通がきかない、そういう人物だと言われています。
率直に言って、正鵠を射ていると思います。
私も、もろにそのタイプでした。
使命感はあるが、才能はない
父も空手家で、その影響を受けて、勝手に使命感を燃やして、目標を高く設定して、だけど素質がなくて、結果がついてこない自分をいつも蔑んでいました。
大学受験も結果的には失敗して、地元の国立大学に行くことが叶わず、関東のほうに出てくることになりました。
その頃は両親と凄まじいほどの険悪な状態で、ほとんど記憶が曖昧な方です。
その頃から、私の身に不思議な現象が起こり始めました。
予兆
一、二か月に1度、大体一週間から十日ほど、どうしようもないほど憂鬱な気分にさいなまれる期間が発生するようになったのです。
私的にも、原因は不明でした。
ものすごくネガティブになり、人にも会いたくなくなり、だけど誰かに頼りたくなり、物凄く自分がちっぽけな人間じゃないかという考えになって、そんな状態が続く。
原因が不明だから、対処法も取りようがありませんでした。そういう意味では、くだんの潰瘍性大腸炎と共通のところがあるでしょうか。
私はよくわからず、とりあえずその期間を鬱期と呼んでいました。
まさかそれが本当に、本物のうつ病の前兆だったとか、知る由もありませんでしたか。
そして大学の4年間を関東で過ごし、結果的ではありますが空手以外の世界を知り、個人的に見聞がかなり広がり、そしてなにげなく母親が尋ねた留学に対しての興味を肯定したことにより、私は大学卒業後にロンドンへ、当初の予定は一年、そして自分で延長手続きをすることによって合計2年間留学することになります。
そこでの出来事はそれこそ驚天動地の連続。
新発見、見聞の拡大、自己の成長、自分をコントロールする術の習得、そして数々の楽しい思い出たち。
確かにそれらの事は間違いなく厳然と存在します。
しかし同時に、環境の変化、言葉が通じないことによる、そして様々な不安な出来事がついたことによる、そして厳しい厳しい職場状況やホームステイ先での出来事により、私はさらに自分を追い詰めていくことになりました。
物事の多面性、方向性、そしてそれがもたらすものの複雑怪奇さを、今では思い知らされる心地です。
発病のきっかけ、環境の変化
鬱期の概要
鬱期と自分が呼んでいた症状は、主に以下の通りな感じでした。
まず、人に会うのが嫌になる。
にもかかわらず、人に構って欲しくてしょうがなくなる。
自分がちっぽけで嫌で仕方なくなる。
だと言うのに、誰かにそんな自分を肯定して欲しくてしょうがなくなる。
そしてそんな矛盾した想いを抱えている自分が、どうしようもなくダメな人間だと、また上2つの感情へとループする。
この症状は全く不思議に思っていたが特に気に留めることもなく過ごし、そして私はロンドンから帰ってきて約6年後、バイトで100万円ほど貯めて、上京することを決めました。
環境の激変
しかしその状況は普通のものとは全く違い、特に仕事は何をするかを決めず、ほとんど見切り発車とも言える形で、不動産屋さんの内見を受けに関東に出てきました。
上京というからには、最初は東京に住むことを、もっと言えば目黒の空手道場に通おうと思っていたのでそこに自転車で通える範囲をできたらと希望していたんですが、最初私がここをと思っていた4カ所ほどを含めて、まさかの20連敗を喫しました。
というのも不動産屋さんによると大家さんの貸し出す緩さには波があり、ゆるい時期が続き、そのために家賃を滞納したり蒸発する人が続出して、そのために渋る時期が来ると言うのを繰り返していると言うのを聞き、今がちょうどその渋っている時期だと言う話。
20連敗の話を聞き、私はもう上京は無理だと半分諦めていました。
不動産屋さんにあとお任せ、一旦予約したカプセルホテルへとチェックインに向かいました。
その直前捜索範囲を広げていいかと聞かれ一も二もなくうなずいた覚えはありました。
戻ってきた私に、大家さんは満面の笑みで告げました。
見つかりましたよ、条件通りのところが!
本当ですか!?
家賃40,000円以内で、トイレ風呂キッチン付き、駅から徒歩約10分前後です!
すばらしい、どこですか!
まさかの上京ではなく、上埼玉
埼玉です!!
捜索範囲を広げるとは聞いてはいましたが、てっきり横方向だと思っていた私は、まさか県をまたいで北に進むとは思ってもいませんでした。
もともとが大反対だったのが、嵩にかかったようにさらに猛反対してくる両親を振り切るように、私は結局上京ならぬ、埼玉への引っ越しを決めました。
今思えば、焦っていたのだと思います。
いつまでたっても、空手でも小説でも何をしても芽すら出ない、その現状を。
そして親に縛られ、衝突している、そんな今を。
結果として、この状況によって、私の心に抱いていた爆弾も、その姿をあらわにすることになりました。
人生と言うものは、ある意味では定められた道を、運命を、引き寄せて行っているのかもしれません。
友人の会社への入社
求職
埼玉に出てきた私は、とりあえず仕事を探さなければなりませんでした。
最初はアルバイトか、と普通に考えていた矢先、大学時代の知り合いが、すでに起業して、夢であるゲーム会社を立ち上げていることを知りました。
そして以前、よかったら一緒にやらないかと声をかけられていたことを思い出しました。
友人との会食、入社
機会があれば、チャンスがあれば、それをものにしなければ次の機会は無い。
そんなどこかで聞いた話を思い出し、私は早速彼と連絡を取りました。
彼は私の真剣さを図り、そして東京の超一流店で高級料理を食べながら話をして、私の入社が決まりました。
といっても、ほとんど雇われというか試用という形でした。
それと私の力量もわかっていたいので、テストというか、彼の出す課題をクリアして、商品と出して出せるクオリティーになってから、実際にゲームの執筆作業に入ってもらうと言う形になりました。
まさかこんなに上京してすぐに、執筆での仕事が決まると思っていませんでした。
しかしその胸に去来したのは、喜びではなく、ただただ焦燥でした。
募る焦燥
果たして彼の望むことクオリティーを私はクリアできるのか?
彼は私が提示した最低限の賃金を保証してくれるのか?
本当に埼玉で、私はやっていけるのか?
上京して、まさか1年もたずに帰ることにならないのか
自分の人生、これからどうなるのか?
実際、上京前に貯めていた100万円は、引越しやらこちらで買った電化製品やら敷金礼金その他もろもろで、その額は半分以下にまでになっていました。
もし仕事が決まらなければ、約3ヶ月で関東撤退となります。
これまでの様々な苦労や、やってきた下準備は、現在の環境ならば、全て無駄になってしまいます。
それは、どうしても嫌でした。
怖くて恐ろしくて、夜も眠れませんでした。
あまりのストレスに、唇は荒れ果て、二、三ヶ月ほど来ていなかった下血が起きてしまいました。
私は、これから起こる全てが怖かったのです。
在宅ワークという名の落とし穴
初めて尽くしの仕事
人生初の在宅ワークでした。
人生初の、友人と仕事でした。
私はそれまでいろいろなテレビや人づての話やエッセイなど、もしくは天下りの話などで、雇われていた側が、その温情にぶら下がり、適当に仕事をして、相手に迷惑をかけるという話を聞いてきました。
だから、私はそうならないように、気をつけようと心に決めていました。
朝8時開始の連絡も、当たり前かもしれませんが欠かさず行い、労働時間はパソコンの前に貼りつき、ひたすらに原稿の推敲とマッシュアップを繰り返しました。
在宅ワークは、移動の時間も手間もなく、満員電車に押し込まれることもなく、正直通常の仕事よりも効率が良くて、多少は楽なのだと考えていました。
ここからは完全に、個人的な感想になります。
在宅ワークの実際
通常の通勤ならば、出社さえしていれば、常に気を張る必要はなく、ある程度ペースなどを自分で作ったり守ったりすることができます。
ですが在宅ワークは、完全に出来高です。
しかも作品の出来不出来は、個人的な考えではなく、雇い主や人気、売り上げに完全に左右されます。
気の休まることはありませんでした。
常にこのやり方でいいのか、この作品で良いのか、クオリティーは認められるのか?
今思いだしても、胸が詰まる思いがします。
そして基本的に雇い主とは、メールが唯一の連絡手段となります。
普段は就業開始と、就業終了の、二度の業務報告しかありません。
だからこそ、普段のメールチェックが、胃が痛くなるほど――怖いものでした。
メールがなければいいと思いながらも、チェックしないわけにはいかない。
そしてメールが来れば、一体何の用事なのか、基本的にクレームだろうと……さらに胃が痛くなる。
自分のような頭ガチガチの石頭は、基本的には在宅ワークが向いていないのではないかもしれません。
少なくとも、この時までは。
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