栄光の架け橋、2番の歌詞は、鬱を救う

2019年11月17日

オリンピックでも有名なゆずの代表曲の1つとも言える、栄光の架け橋。

私も大好きで、そして私と同じ出身である内村航平が金メダルを取った時にアナウンサーが言った、伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ! も大好きで、一部ブログで使わせてもらったりもしています。

中学生や高校生の時などは、この1番の歌詞や繰り返されるサビが大好きでした。夢を持って、挫折もあったけれども、報われたみたいな。

分かりやすかったです。ジャンプで言う、努力友情勝利的な。よくカラオケで力んで歌って夢叶えるなんて意気込んだりもしてました。

しかしいつしかそんな感情も薄れ、世の中そんな簡単なもんじゃないなんて斜に構えるようになって、聞くことも、そしてカラオケで歌うこともなくなっていました。

そして私は、2度目の上京を経て、うつ病になりました。体が動かなくなって、全てに絶望して、もう何もかも終わりだと嘆くことしかできませんでした。

そんな体も動かずお金もない自分には、せいぜい平日の昼間、ドリンクバー込みでその当時130円とかで30分過ごせる歌広場に行くことができませんでした。

なぜかよく思い出せません。

ですがなぜか、その頃知ったのです。栄光の架け橋の2番は、その時の自分そのものを表していて、そして自分の進むべき未来を指し示していると。



悔しくて眠れなかった、夜があった
恐くて震えていた、夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって逃げ出そうとした時も
想い出せば、こうして、たくさんの、支えの中で、歩いてきた



今読んでいても、涙腺が緩みそうになります。当時は歌うたび、そして2番に至るたび、濁流のような涙を流していました。そしてそれを経るたび、強く勇気づけてもらえていました。

悔しくて悔しくて、眠れない夜でした。なんでこんなに頑張ってきたのに、なんでこんなに必死になって我慢してきたのに、なんで自分がこんなになってるんだ、なんで何もできないんだ、なんで苦しまなければならないんだ、なんで自分はこんなに、報われないんだ。

怖くて毎晩震えていました。明日が来なければいいと願っていました。動けない日々は、徐々に徐々に死んでいくようでした。一瞬先が恐ろしくて、人が恐ろしくて、世界そのものが恐ろしくて、震える体を必死に抱いていました。

もうだめだと全てが嫌になって…… うわ、書いててもなお、ここでは本当に涙腺が緩みそうになります。

もう本当にダメだと、何もかも全てが嫌になって、人生そのものから逃げ出そうとしました。

だけどこの箇所を見て、そして振り返って、その時を乗り切れたのは、たくさんの……先輩を始めとして、両親や、空手の仲間、家族、彼女さん、親友──

そんな支えがなかったら、私は今、ここに立っていないでしょう。



悲しみや苦しみの先に、それぞれの光がある
さあいこう、振り返らず走り出せばいい
希望に、満ちた空へ



この歌詞があるから、きっと私は振り返りそうになって、そして振り返ってしまっても、前に向かって今もこうして歩いていけているのだと思います。
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