死にたくなるくらい、頭痛い
レンタルなんもしない人
この間縁があって、なんもしない人というのを知った。
最近本屋で見つけた、しないことリストと言う本の作者をTwitterでフォローしているのだけれど、その人のリツイートで流れてきて、知る機会に恵まれた。
本日も8時から8チャンネルでその人の特集をやっていたんだけれどついこの間始めたFINAL FANTASY VIIが我慢できなくてやってしまって、気がつけば11時で見逃してしまった(笑
そのかわり、以前やった72時間ドキュメントを視聴する機会に恵まれた。
大変興味深いVTRだった。人は、何か意味を求めながらも、何の意味もないものも求める。まるで哲学や禅問答のような言葉だけれど、響かない人はあまりいないかもしれない。
意味は実は追求しすぎるとその結果として、素養がある人はうつ病を発症してしまう。
だって究極まで突き詰めれば、人生に意味なんてないのだから。
と、今回はその話ではなく、そのVTRの中で出てきた実際にレンタルしてる人の言葉に、引っかかるものがあった。
あー、死にたくなる位、頭痛い。
最初聞いたとき、吹き出してしまった。だけど、あー確かに使いがちだなぁと、ちょっと感心させられてしまった。
よくよく考えてみればおかしい言葉だ。死にたくなる、頭痛いから。いやいやいや、死のほうがはるかに強いでしょ? 頭痛いからって死にたいっておかしいでしょう。
だけど少し考えれば、なるほど頭が痛すぎて、それから逃れるために死にたいと言う発想は出かいこともない。なるほど意味が通じたと。
いやないだろ。死を連想するほどの頭の痛みって、もしそうだとしたらそんなこと呑気に考えられないだろうと。
そこまで考えて、思った。
死が身近にないからこそ言える言葉
要はこれって、死が身近にないからこそ言える言葉だなと。
私は過去、軽く2度死にかけたことがあります。こう言ったらなんか身近な人に結構怒られそうですけど、でも個人的というか自分的には真実だったりします。
1度目は潰瘍性大腸炎。
2度目はうつ病。
本当に命の危険が脅かされるほどの危機的状況に陥って、その後はそうそう簡単に死ぬだとか、いえなくなりました。なんでかって言うと、その言葉が生々しくなってしまったから。そう考えてあえて使ってないと言うわけじゃなくて、今分析してみて多分そうだろうと。
あと以前から思ってたんですけど、格闘技関係者はあまり安易に死ぬ気でやるって言い過ぎだろう。絶対勝つも言い過ぎだ。負けたら後がないとかも。実際確率的には2分の1で敗者になるんだし。たとえ言ってるあんたがその、死ななくてよくて、絶対を成し得て、後がない状況打破できたとしても、その相手はそっち側においやってるわけで、そういうこと考えない非武道的な発想、正直あんま好きじゃない。
やや脱線するけど、試合はあくまで試しだ。じゃあ本番どうなるとか言ってるけど、本番なんて来ないほうがいいわけで、実際この平和な世の中で本番なんてまずほとんどありえないわけで、想定する方がナンセンスだとかちょっと思ってます。
実戦なんて、グロテスクで、ドロドロしてて、醜くて目をそむけたくなるようなそれが本質だから、本気でやったらどっちが強いなんてのは安易に口に出してほしくないですね。
とか、そういう諸々込めて、死にたくなるほど頭痛いっていうのは結構ツボに入ったわけです。
頭痛くて死にたくなるじゃなくて、死にたくなるほどってあたりがまたうまい具合に責任転嫁してますよね。こういう言葉は結構奥が深くて、最初に言い出したやつなかなかセンスがいいと思います。
なんて今日はたまには小説家っぽく深い話しようなんて思ったわけじゃないんですけど、やっぱりそうならなかったなぁなんて思う七夕でした、あもう日付変わってた
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