【羽生善治名言】その時を待つ。期待せずに待つのだ

2024年4月11日

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凪のような心理状態

現在心はかなり、凪に近い状態になっている。

ようやくようやく約2週間近い時間をかけて、このブログが私が思い描いた通りいや自分で言ってはなんだが当初の想像はるかに超える素晴らしい、簡単に読みたい記事を探せて小説なんかは表紙から選べて、長く読んで楽しんでもらえるものに、そんな完成形に近づいたと言える。

これも本当にいつもTwitterや検索なので来て、読んで、そして支えていただいている皆さんのおかげで、そしてそんな皆さんのおかげで公開1週間目にして、600人以上の方々に訪問していただくことができた。

以前の無料ブログ時代は、1日に1人か2人しか来なかったので、これは奇跡のような出来事だと思う。

だけど正直、心がざわついていた。
こんなうまいこと、行くわけないと思っていた。

そして実際次の日の訪問者数は、3分の1にまで落ち込んだ。

ここからだ、と思った。

那須川天心選手や堀口恭司選手などの素晴らしいカリスマ選手のネームバリューのおかげである事は多分に明らかで、それに加えてフォロワーの方々が長い時間をかけて構築したネットワークの力をお貸しいただいたことも火を見るより明らかだった。

だがそういったものは、一時的なもの。

私は長らく、自分の努力が報われない人生を生きてきました。

それが当たり前でした。

だからここからが、私の本領発揮。

羽生善治先生の名言が、頭をよぎる。

チャンスを待つ

チャンスを待つ。一流同士の戦いでは、一発で逆転、と言う事を狙うのは難しい。

相手がミスをして、白井勝ち。冗談みたいな話に聞こえるかもしれませんが、実際そういうことがほとんどなんです。

それも大きなミスではなく、最善手ではなく、次善手を選んだと言う程度の、小さなミス。

それを、待つ。期待せずに待つのだ。

私も待つ。いつか、しっかりとした地力をつけて、いつか、花開く時を。

期待せず、だが信じて、自分の力を、長年の努力を、そして皆さんの協力を、皆さんの想いを、ただただ信じて、ひたすらに一歩一歩やっていくのだ。

それが、唯一無二にして、絶対の、夢を叶える、ただ1つの詰め筋だと信じて。

地に足をつけた方が良い。

そういう時、羽生善治先生の話を聞かせてもらっている。

手っ取り早く成果を実感したい。

そのためには数字がわかりやす過ぎる。

だけど数字にはそれ以上の意味なんてない。

本当の意味での実感なんて本当はないほうがいい。

羽生善治先生の言葉に、「普通にしてて自然な状態が1番良い」というものがある。

普通にしてて自然な状態が1番良い

できるなら水が流れるように風が吹くよう、そんな生き方がいい。

喜怒哀楽は必ず起こる。

これもまた羽生善治先生のお言葉だ。

試練の時、どう対処するか?

ほとんどの場合は、抗えない。

ならばどうするか?

諦めて、時間が解決するのを待つ

諦めて、あえて混沌とした状況を受け入れて、時間が解決するの待つ。

それだけの度量を、私は持ち得たいと思っている。

空手を20年以上やっていれば、もはや単純な上達は難しい。

小説だって15年以上も執筆していれば、そんな極端に変わる事は無い。

ただ淡々とやるしかない。

今やっているブログの連載だってそうだ。

そんな簡単に成果なんて出ない。

ただ誠実に、

ただ、まるで毎日歯を磨くように、

道を歩くように――

道を歩く。

私はずっと、武道にしろ、小説にしろ、足元だけ見て、ただただ頂きを目指してきた。

今はいろんな寄り道をしている。

Twitter上で人と語らっている。

そこに狙いはあるが、あえて意味は求めていない。

打算は通用しない

打算は必ずバレる。

私は人生に、自分自身と言う人間性で勝負している。

どんなふうに生きていくかは自分自身に委ねられている。

片方に偏ると必ずバランスを崩す。

常に全体を俯瞰する力、大局観を働かせていきたい。

なんとなく、こういうのが良いのではないか?

宮本武蔵で言う、観の目だ。

現代社会においてこれはあまり重視されていない。

だけど本質に迫るのならば絶対必要な能力だ。

常に何かに誰かに惑わされるのではなく、自分を信じる勇気を持ちたい。

情報に流されるのではなく、選ぶ独自性を持ちたい。

自分に言い聞かせなければ、社会に埋没してしまう。

自分は何者なのか、常に自問する。

だけどここで笑えてしまうのが――お前なんて日雇いの貧乏病人じゃないか、なんて思ってしまう事実。

それは社会的な立場であって、本質は全く突いていない。

深く深く自分に潜っていく。

今までの自分を全て集約したのは自分自身だ。

人間の記憶力は、受けた刺激の0.03%しか覚えていないが、それは引き出せない、思い出せないだけであって、記憶の中には100%蓄えられている。

その記憶の渦の中に深く自分を沈めていく。

考えないことを考える。

自分の感覚を全て切り捨てる。

特に数は邪魔だ、フォロワー数だとか、今いくら持っているとかは全部忘れる。

そこでようやく自分の本質の2割ほどが現れる。

この作業に意味があるかはわからない。

だけど私は意味は求めない。

私はただ、自分が感じるままに自分らしく生きたいだけだ。

成果主義の限界

成果主義と言う言葉が聞かれなくなって久しい。

あまりに物事の意味にとらわれていると、本質を見失う。

私は以前からカラオケを趣味としている。

GLAYを始めとして様々な高いキーに挑戦してきたが、最近ではX JAPANのあまりの高音に、なかなか歯が立たずにいた。

歌が上手い人と言うのは、正直生まれつきではないのかとすら思っていた。

カラオケと言うものを始めてから10何年以上、X JAPANに挑戦してから6年とか7年とか、全く高い音が出ることがなかった。手越の紅と言うのがトレンド入りしたこともある。それは1つの壁だと割り切っていた。

ただ私が続けた事は、挑戦だけだ。

結果として、ほんのひと月前、何の前触れもなく、当たり前のようにFOREVER LOVEに続いて超高音と言われている、Rusty Nailが、軽く出せるようになった。

だが私は、これだけを持って今までの歌い続けた日々で意味があったとはしたくない。

成果を求めて行った行為は、基本報われない

私は別に成果を求めてカラオケに行っていたのではない、ただその瞬間その瞬間挑戦して、そして純粋に楽しんでいた、ただそれだけだ。

空手の道場生で、毎回毎回当たり前のように来ている生徒は正直少ない。

皆、頭が良くなって、試合などがない日に来ても意味がなく、それよりも友達と遊んだり、恋をしたり、勉強したり、バイトをしたり、有意義に過ごそうと考えているのだろう。

しかし私ははっきり思うのだが、羽生善治先生の言葉でさらに確信を持ったのだが、人生に効率化などを求めていても、それは結局のところ最後には空虚の自分を生むだけだ。

人生に意味を求めての、効率的に求めても、それは結局のところ自分自身と言うものを置き去りにしている。

誰の評価を求めてでもない、お金だけを求めてでもない、何か自分にプラスになるものだけを求めてではない、

自分らしいぶれない本質や核と言うものを、誰に理解されなくても持っていても良いのではないだろうか。

私は今日も羽生善治先生の名言を動画で聴きながら、本で読みながら、自分の心を自然体に据えて、ただただやるべきことをやっていく。

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関連記事はこちらへ! →  うつ病・潰瘍性大腸炎、羽生善治論

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