半歩崩拳あまねく天下を打つ郭雲深 史上最強の武術家!太氣至誠拳法澤井健一の師である王郷斎を弟子に持つ
郭雲深
私の先生は実技のみではなく空手のみではなく、様々なジャンルやそして武芸にも通じていたので、その折々に伝説的な逸話や、エピソードなどをよくきかされていた。
その中で、私の耳に、心によく印象に残っている言葉があった。
半歩あまねく世界を制する。
両の手の自由を奪われ、しかしその中でも工夫を凝らし、裏拳を合わせるように使った、移動も最小限の動きで話す打撃を見出し、そして世界を制したと、そういった話だと解釈していた。
だが実際、思い至って、長きにわたる武道修行、様々な格闘技や歴史や漫画などから学び、そして調べた際、それが多少言葉が違った形で伝わっていたことを知った。
半歩崩拳、あまねく天下を打つ
これが実際にその武術家の呼ばれた、謳われた言葉であり、そしてその武術家はなんと私が学ぶ極真カラテにも、実は縁もゆかりもあるような人間でもあった。
郭雲深。
長拳、八極拳、形意拳の達人
推定1800年代前半から終わり頃まで生きた中国の武術家であり、形意拳の達人として知られる男だ。
しかしこれは彼を表すにあまり適したものとは言えないかもしれない。
なぜならば郭雲深、彼は世間一般的な評価、評判だけを見るのならば、中国武術史上最強の1人と謳われている武術家だからだ。
郭雲深は幼少の頃より長拳、八極拳を学び、その末に簡素にして深遠なる懐を持つ経験を知り、その偉大なる先達である李絡能に入門を願うも受け入れられず、その彼の練習を盗み見、経験の基本である崩拳を覚え、3年間ひたすら訓練を積み、その真摯さが認められ入門。
その後郭雲深は学ぶものすべて極意にまで達し、その後一説によると山東、河北、河南を遊歴し、武芸を磨き、交流を深めたといいます。
そこに至った今日ちょっとは、1つには腹は実を極め、心は虚を極めることにあったと知られているといいます。
ここの解釈についてはざっくり言うのは結構はばかられますね、なんとなく今までで察することができますが、無心、空の領域であり、実、中国拳法において腹を指すといえば――
その彼の生涯は波乱と数々の伝説に彩られたといい、特に有名なもので試合相手を誤って打ち倒し、そのまま死に至ってしまった際監獄に3年もの間収監され、そこで手かせ足かせをつけられたまま虎形拳を練り、虎撲子の1手を編み出し、そして出獄の際に、
「あなたの拳は衰えたのか」
と問われると、
「滅びず」
と回答し、壁を打つと壁が崩れてしまった――-というのがあると言い、おそらくは先生もこれを聞いたと思われます。
が実際のところは民衆を苦しめる首領の館に害意を持って招かれ、ピストルで襲われた際に愛用の月牙剣で答え、人々の称賛を浴び、獄内でも同情的な官警の者たちの配慮や感銘を受けた人々からの多額の献金によって、何不自由なく過ごしたといいます。
そんな彼の強さをモデルとした漫画として、範馬刃牙が挙げられます。
あの中国拳法の粋を集めた、100年に1度開催される中国の武術大会だいらいたいさいへん、その中国武術で高位のものに与えられる海王たちすべての頂点に君臨する、海皇の称号の持ち主であり、実力で中国武術の頂点に君臨すると紹介された人物。
146歳というまぁ現実ではありえない超高齢で(笑
身長155センチ、体重40キロと言う小柄にして、手刀の一撃で3人の手首を切り落とし、消力と呼ばれる究極の脱力からの受けであらゆる攻撃を無効化、さらにそこから繰り出される正拳の一撃でコンクリートの壁を粉砕!
あの劇中最強の、文字通り地上最強の生物範馬勇次郎と想像を絶する凄まじい戦いを演じ、公式人気投票でもBEST BOUT 1位を獲得した、ぶっちゃけ私も1番好きです(笑
賛否両論あるとは言え、ありとあらゆる格闘技を知り、劇中で参戦させている作者が、その最強である範馬勇次郎と激闘を繰り広げさせた、中国拳法そのものとも謳われたと表現するところから、その歴史上の中でも評価の高さがうかがえる事実と言えるでしょう。
そしてそんな郭雲深の、実際の戦いもその様相として知られているのが、敵に半歩進んで五行拳の崩拳の1打を発すると、敵は皆倒れたとする、それを崇めたたえた言葉としての、半歩崩拳あまねく天下を打つ。
絶招・半歩崩拳
いわゆる縦拳で、相手の中段、腹を打つ、この突き。
それだけでありとあらゆる敵を倒したと言う、絶技、中国風に言えば絶招だろうか。
残念ながら当然のように動画や画像などが残されていないが、それをおそらくを再現しているだろう漫画が、史上最強の弟子ケンイチと言うものの中に、あらゆる中国武術をマスターした達人として描かれている、馬剣星が、ルチャリブレマスターであるディエゴ・カーロと戦っているときの開幕一打として描かれている。
その動き、迫力、そしてその技の名前、それに極端に惹かれ、それが何故かわからなかったことだが、今となっては、もしかしたらこの郭雲深の伝説、それらがこの技の迫力を生んだと言えるのかもしれない。
さらには郭雲深の最後の弟子と言われ、意拳を創設し国を代表する武術の達人を示す国手と謳われた王郷斎、その彼の唯一の日本人の、そして外国人の弟子と言われるのが、後に日本において大河生の許可を経て太氣至誠拳法を創設した、極真空手の創始者である大山倍達とも交流があり、その高弟・盧山初雄も門下となったと言われる、澤井健一なのだ。
空手は日本古来のものであり、それが中国拳法の影響を受けて、現在の形となったとする説が有力視される昨今、それらのルーツの大元とも言え、実戦に則し、中国史上最強と謳われ、その逸話が現代日本において、漫画と言う形で広く伝えられているという、まさしく伝説的な武術家であると言えるだろう。
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