“キュラソーの野生児”バリエントス 顔面殴打で佐藤勝昭に三瓶啓二や松井章圭と戦い大山倍達に闘志溢れると評された男!

2024年4月9日

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ほぼすべての世界大会に出場

記念すべき第1回の世界大会から大山総裁が逝去されるまでの第5回までそのほとんどすべてに出場している外国人選手がいることをご存知だろうか?

ほとんどすべてってなんだよって言われたら確かにそうなるかもしれませんが(笑

実際のところ調べてみると予定では本当にそのすべてに出場予定だったと言うから、個人的にはなかなか驚きと考えています。

彼の名は、ヒリシャス・バリエントス。

知る人ぞ知ると言える、何かと毎回毎回話題になっている選手でもあります。

毎回毎回敗退の仕方というか、試合内容というか、そちらの方が話題の中心になってしまっている選手だったりします。

しかし個人的には、その第1回から第5回まで連続で出場していると言うその事実、さらには毎大会優勝にか絡む有力選手との戦いまで勝ち進んでいると言うその事実に注目したいと思います。

ヒリシャス・バリエントスは、なんと驚くべきことに、第1回世界大会のそのポスターになっていると言う。

地上最強のカラテのポスターに登場

4回戦まで進出したバリエントスはそこでその大会で優勝した、佐藤勝昭と対戦。

しかしあまりにもエキサイトしすぎたのか、極真のルールでは禁止されている顔面、金的への攻撃が多用し、それに佐藤勝昭は一本背負いをしかけてマットに叩きつけ、膝でその肩口を押して、左手で顎を押さえてから、下段突きを繰り出し、決めをとしたと言う。

この時の光景が映画「地上最強のカラテ」のポスターとなっているというから、衝撃だった。

知らない時に見た時は、まるで仁王像のようだと思っていたから…ちなみにバリエントスはその後も攻撃スタイルを変えなかったと言うことで、反則負けになり、残念ながら入賞まであと1歩と言う届かなかったと言う。

そして第二回世界大会、その奮闘ぶりは大山総裁の書籍にもあがっているほどだった。

キュラソーはカリブ海に浮かぶ点のような小島である。

アスファルトの原産地として1部の人に知られている以外は全くと言って良いほど日本にはなじみがない。

政治、経済その他の公的なもしくは準公的な人事交流は皆無であろうし、過去に私的(民間レベルですよ)にせよ、スポーツの交流があったという話も聞いたことがない。

そのキュラソーから第二回世界大会に2名の参加があった。

このうちの一人、二十三歳のヒリシャス・バリエントス選手(初段)は、闘志の権化ともいえる三瓶啓二に臆することなく敢然と戦い挑み、堂々と闘志あふれる試合を展開したのである。

優勝候補との激闘

試合中アクシデンタルな正拳が三瓶の顔面に入ってしまい、この反則が判定の際、審判の心証に悪く作用したようだったが、180センチ、86キロ、無駄な筋肉の全くない引き締まった体といい、全身バネの塊の如き柔軟性、ジャンプ力といい、格闘家を志す者にとって必須の条件が、すべて天賦の資質として備わっているように思えた。

あの極真日本最強クラスのパンチ力を誇り、後に全日本大会3連覇を果たした三瓶啓二を相手に、1歩ひかない打ち合いに応じた事は事実で、その後に下段を効かされて、顔面にパンチが集中してしまった事は、大山倍達が語るように残念としか言いようがないかもしれない。

4回戦まで勝ち上がり、やはりもう少しのところで入賞を果たすことができなかったが、ヒリシャス・バリエントスは第3回世界大会にも出場。

3回戦にてその大会3位入賞、そして次の第4回世界大会で優勝する松井章圭と対戦し、いきなり振りかぶっての右ストレートが炸裂…。

仕切り直して右の下突きから、右左の逆ワンツーが松井章圭の顔面をとらえる。

さらに松井章圭の右のローを受けてのチョッピングライト、蹴りをさばいての接近戦からのまたも再びの右、左のフックが完全に松井章圭の顔面を捉え、反則負け――しかしなぜ彼は優勝候補レベルの人間と当たると、このように反則を繰り返すのだろうか…?

そして第4回世界大会が確かな情報が得られていないのだが、一説によると1回戦であのヨーロッパ最強の男ミッシェルエーデルと組まれ、出場を見送ったと言う話もあるが、真偽のほどは定かでは無い。

そして彼の私の知る限り最後の世界大会となった、第5回世界大会。

5度に渡り世界大会に出場する選手など、私の知る限りで思い浮かぶのは、第6回及び第10回世界大会の王者に輝いた、"空手革命家"塚本徳臣とヨーロッパ大会を20度優勝、体重別の世界大会を2階級及び三度優勝している、"神童"ヴァレリー・ディミトロフ位のものかもしれない。

その最後の大会、ヒリシャス・バリエントスはその第1回戦にて、ロシアの195センチ113キロを誇る、ソ連大会を3連覇すると言う、ウラジミール・クレメンテフと対戦。

身長差は15センチ、体重差は30キロ近くにも及び、年齢としてもクレメンティが28歳に対して、おそらくはバリエントスが35歳と言うことも、ともに厳しい条件と言えたかもしれない。

バリエントスは得意のパンチで攻めかかるが、クレメンテフには全く通じず、逆に強烈なローキックを押され、徐々に失速していく。

見ていると思うのだが、バリエントスは基本的にローキックの捌きが、あまり得意と言うわけではないというか行わない傾向があるようだ。

そしてここぞとばかりに、内股外、内股、外、ローキックの4連の叩き込み、そしてヒリシャス・バリエントスはマットに沈んだ。

極真の黎明期から戦い抜いた男のその最後の姿は、どこか私の心に哀愁、とも言える寂しい思いを引き起こさせるものだった。

大山倍達にして、闘志溢れる戦いと評し、格闘家を志す者にとって必須の条件が全て天賦の資質として備わっていると言わしめた、記念すべき初の世界大会である第一回から、125ヶ国250名を集めた最大規模の第5回世界大会にまで出場した、"キュラソーの野生児"ヒリシャス・バリエントス。

彼のその活躍が、勝利した姿が、現在みる手段がないと言うことが、私としては惜しく感じられてならない。

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