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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikuunovel

極真史上最強の空手家

極真空手の長い歴史の中で、神の名を冠する異名を持った人間というのはほぼいなかったのではないだろうか。

それは何しろ、その創設者である大山倍達が、神の手――ゴッドハンドのまばゆい冠を有していたからに他ならないところもあるだろう。

神はただ1人、大山倍達1人であり、それに並び立つものは存在しない。

もしかしたらそのような不文律もあったのかもしれない。

しかし私はここであえて、その神の名を使わせてもらいたいと思う。

武神。

武を極めし者、漫画ではグラップラーバキの大蛇独歩がそう呼ばれていることから、大山倍達に縁がないこともないかもしれない。

この言葉に、いや、この言葉以外にふさわしいと思える異名を、私は考えつかなかった。

安田英治。

私は一度、彼のことについての動画を作らせていただき、その逸話、伝説、そこから、その体格から、極真史上最強に次ぐ者になるのではないのかと言う考察を述べさせていただいた。

しかし驚くべきことなのだが、その動画を公開してしばらくして、ある方からTwitterで連絡をいただくことになった。

その人物は、安田英治氏に大変近しい人物であると言うことだった。

その方から、安田英治氏のその実態、歴史、真実を教えていただき、改めてこちらの動画を作らせていただくことにした。

そこで、私の考えは改まることになった。

安田英治は、あくまで私の私見でありおそらくだが、極真史上最強の空手家だろう。

剛柔流山口剛玄に師事

まずその件とは別で分かったことだが、安田英志の体格は、170台前半なのではなかった。

そもそもが、大山倍達の身長が175センチであり、その隣に並ぶ安田英治の体格がそれをかなり上回っていることから、そこを押して知るべしだった。

概ねではあるが、安田英治の身長は180センチ、体重は80キロではないかと言うので間違いないと思っている。

これは当時の体格としては破格の長身と言って間違いないだろう、第一回世界大会で優勝に輝いた佐藤勝昭と同じ身長だ。

さらに言えば極真史上最強にあげさせていただいている、塚越孝行が180センチで同じで、アデミール・ダ・コスタが183センチにして体重も87キロとほぼ同等と言うことから、全く見劣りしないと言うことも付け加えておく。

そしてその伝説。

安田英治が高校進学の15歳に大阪から浅草に越してきたと言い、その折に浅草の伝法院で剛柔流の、全日本空手道連盟結成時の審議委員元老に就任し、その素早い身のこなしから海外で"THE CAT"と呼ばれ、内外で畏敬の念を集める山口剛玄が瓦割りの演舞をしていたらしく、凄いなと感嘆し話をした際、近くで道場をしているから来なさいと言われ、ついていった先の道場で大山倍達が腕立て伏せしており、それが彼の空手の始まりだったという。

1951年の事だ。

そこから週1回のペースで高校入学からの二年間、山口剛玄の剛柔流に通っていたという。

そして大山倍達もまた月に一度必ず訪れており、その際二人で焼肉を食べるのが楽しみだったらしい。

その頃のエピソードとして、入門して社会人の黒帯と組み手し、なんと学生でありながら倒してしまった、というものがあるという。

それを見ていた大山倍達が喜んでジュースを買い与え、安田く〜んキミつよいね、と褒め讃えたと言う。

しかし次の日その大山倍達と組手してバチバチにやられたというから、大人気無いというか、負けず嫌いというか、これぐらいでなければやはり一時代を築くことはできないと言うことだろうか(笑

三年生は受験勉強で休み、学習院大学に入学。

剛柔流のキャリアはそこで終えているようだが、後にある雑誌で紹介された山口剛玄直筆の昇段台帳を見ると、その中に安田英治の名前を見ることができることから、その真髄は十分に修めたのだろう。

学習院大学で松濤館江上茂に師事

そこから四年間空手部に所属し、船越義珍の弟子、松濤館空手家の開拓者、江上茂に師事。

そして大学ニ年の時に大山倍達に呼ばれ、大山道場を池袋で始めたから一緒に稽古しようと誘われ、朝夕方は空手部、夜は大山道場という空手三昧な二重生活の青春を送ったという。

その激しさは言うに及ばず、大山道場の基本稽古も基本、移動稽古、型ともに物凄い数をこなしたといい、組み手は基本的には顔面、金的攻撃ありのなんでもあり、そんな苛烈な日々を送る中、朝に和式のお手洗いに一度座ると立てなかったというほどだと言う。

安田英治は江上茂を相当に尊敬しており、大学の部活動において礼節や人道をしっかり教わっていたというが、その教えが夜には毎日崩壊する、という繰り返しの中に身をやつしていた、というから常人ではやっていけなかったのではないだろうか(笑

なにしろ当人曰く、大学ではガチガチの縦空手をやっていて、大山道場ではその真逆である喧嘩空手研究会みたいで、頭がおかしくなりそうだった、が楽しかったという発言もあったと言う。

その際後にUSA大山空手で功績を残し、ウィリー・ウィリアムスを育てた、激しい組手に定評がある大山茂にも稽古をつけており、次組手!茂!と指名したら大山茂から嫌がられたと言う話もある(笑

大山倍達の牛殺しに同行

さらに安田英治は大山倍達の牛殺しも同行しているというから驚きだった。

大山道場もだんだんメディアに注目され出した頃、田園コロシアムの時のことで、安田英治はその時20歳だったと言う話だ。

その時の安田英治の言葉で、思い出されるのはただ1つだと言う話だ。

牛さんかわいそうだよ。

名前を売らないといけない時期で仕方ないと言う認識で、牛殺し自体は常人であれば抱くであろう恐怖やプレッシャーに対する感想や発言は、基本的にはなかったのではないかと。

そのようにして安田英治は、剛柔流を2年、そして松濤館を4年間、大山道場を約3年間修め、その後は自身のビジネスに専念されることになる。

最初から、空手はそこまでだと決めていた、だからこそ、それだけ無茶をして、すべてをかけて、修行に明け暮れていたのかもしれない。

そんな彼の凄さを際立たせるものは、やはり空手バカ一代の芦原英幸のモデルとなった、本家ケンカ十段、その実戦だろう。

大学空手部と大山道場通いの二重生活の中、目白駅で七、八人相手に空手を使ってポンポンとやってしまった事だ。 

まぁ正直ポンポンて何だろう…と思わなくもなかったが、この辺りが安田英治のその人柄や、空手やその実践に対する向き合い方、考え方だと捉え、その口調のまま紹介させていただいた。

安田英治曰く、空手をやっていたらどうしても実戦で使ってみたくなったという話だ。

なにしろ、実のところ大山道場では大山倍達と、

「板や瓦は割れるのに、肋は何故折れないかとか?」

という研究を常日頃から行っていたと言うから凄まじい。

その事件も江上茂には怒られ、大山倍達には褒められ、当時は混乱したそうだが、晩年は当人も若気の至りと反省していたらしい笑

ケンカ十段の伝説

そしてなんといっても戦慄を覚えたのが、28歳位の頃、空手から一線を引き浅草で喫茶店をやっていた時の話だ。

5、6人の輩がカウンター席でたむろし、そのうちの1人が、その脇のテーブル席でコーヒーを楽しんでいた老人のその机の上に、足を放り出し、靴の踵を乗せたと言う。

それを安田英治が注意をしたところ、表に呼ばれ、相手が合口を抜いたのですかさずポンポンとやったという。

…いやツッコミどころがあるのは重々承知ですが、とりあえず話を進めましょう、はい、もうこの時点で超人的なエピソードです。

そして店に戻るとお客さんから、アレは○○一家のものだから必ず仕返しに来る、マスター危ないよと忠告され、それを聞き安田英治はワクワクして、店を閉めて、店の前でストレッチして待っていたと言う。

…なるほど、肝が座っているとか、そういったレベルじゃないんですね、なるほどなるほど、なんていうか元から作りが違うんですねよくわかりました。

話を聞くと、安田英志は晩年も怒ると同時にワクワクするタイプだったと言う、うん、聞いてもわけわからん(笑

まぁとりあえず待っていると、そのなになに一家さん達は、驚きの15、6人という大所帯で現れ、無言で合口抜いたらしい。

…一応、断言はされなかったですが、なんていうか、みんなもってた可能性が、あるらしいですはい。

一応あの空手バカ一代の中でも、刀を持った相手と言うのは大変なことというのが書かれていて、15、6人みんな持ってたら、もう空手とか関係ないんじゃないって言う感じがしますね、はい。

それに対して安田英治は、なぜかワクワクして下駄を脱いだ。

そして手前の男の喉を助走をつけて足刀、少し左の男の足が見えたのでその方向に追い突き、それで相手を吹き飛ばし、全く同時に両の掌を合わせ、気合い一閃!

空気は、完全に変わっていた。

見ると、足刀を入れられた男が凄く泡を吹いたおり、男達はその男を抱え、戸惑ってしまったらしい。

すると奥から一人、一番腕っぷしの良さそうな大きな男が合口を捨てて、来て――

安田英治は間髪入れずに、頭突き一発。

相手は口上を述べるまもなく伸びてしまった。

実際のところ話よると、安田英治は予告前蹴りより頭突きが得意なんじゃないかという節があるらしい(笑

近所の紀文寿司の大将が、あの夏の喧嘩はマスターの喧嘩の中で一番だ。

東映見るより感動した、と以前の乱闘の、面白かったを上回る感想を献上したという。

それに対して奥さんは、何回喧嘩してんだか、と呆れていたらしい。

安田英志には、実際には喧嘩の美学と言うものはなく、ただ、

「真剣勝負に突きも蹴りも技もあんまり関係ない。

虎と猫じゃあるまいし、同じ人間がぶつかれば力に差はない。

大山先生と共に学んだ空手は、両手をパンッとして自分自身を取り巻く全てのネガティブを一瞬でポジティブに変える。

それは仕事であろうが勉強であろうが病気であろうが、これが極真空手であり、これ以上のものはない」

と語っていたと言う。

さらに安田英二ら常々枝分かれした人に対して、なんで仲良く楽しくできねーの?自分自分でさぁ。空手ってそんなじゃねぇ、と話していたらしい。

安田英治の空手は、”楽しむ事”自分に正直である事”だったという。

「空手は楽しむのが大切。

空手よりも大山先生のユニークさに学んだ事がたくさんある。

童心に戻れるのがオレの空手」

そして安田英志は喫茶店やバーなどを多角的に経営し、その傍ら合間を見て大山道場に教えに行ったり、極真という名前を一緒に考えたり、段位考察委員長されたり、池袋を作る手伝いをされたり、亡くなる2013年までずっと大山倍達と極真カラテに携わっていたという。

剛柔流、松濤館、大山道場、極真空手、その4つ、そして偉大なる先達に師事し、それぞれに単位を取得――剛柔流有段、松濤館五段、大山道場及び極真空手七段、私の期待以上の分を収め、伝説を残した、4つの空手を極めし武神、安田英治。

そのあり方、そして考え方は、まさに武道史に燦然と輝く、綺羅星のごときものだったのだろう。

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