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【羽生善治に学ぶ】塚本徳臣も用いた超高度な将棋戦略観その一端に触れる

2022年4月19日

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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikuunovel

武道の煮詰まり

長く格闘技をやっていると武道をやっていると、煮詰まってしまう。

格闘技それは、どこまでいっても、試合偏重主義になってしまえば、極論を言ってしまえば殴り合いが強いものが強い。

しかしそれを英知を持って、乗り越えることにこそ武道の意義がある。

だからこそ工夫して、考えて、昨日勝てなかった相手に今日勝とうと努力する、稽古する。

しかしその中で、どういう風にやったらいいのか、どのように挑めばいいのか、だんだんとわからない袋小路に追い込まれているような感覚になっていく。

それは至極当然と言えば当然で、やはり打撃をもらうことなく、自分だけやろうと思えば、極端な防御に傾いてしまうし、逆に考えなしに突っ込んで打ってこい、こちらも打つとすれば、当然力が強くわかってしまう。

だからといっていいとこ取りしようとする、実はこれが最も下策で、1番どちらともつかず、中途半端で、結果が残せない、そんな罠が待ち受けている。

だから必ず、人はある程度修行を収めれば、スランプに陥る。

私もそうだった。

極真空手を始めて大体10年から15年位経った頃だっただろうか、ニッチモサッチもいかない、考えられる手は全て試した、だけどどうにもならない、どうしたらいいのかわからない、もしかしたら伸びしろが尽きてしまったのかもしれない、そんな思いすら頭をよぎった。

だけど予感はしていた。

私の考える極真空手は、空手の理念は、そんな浅いところで止まるはずがないと。

そんな時に、アナザースカイと言う番組に、羽生善治が出ている回を知る機会があった。

永世七冠との出会い

それまで私は羽生善治のことを七冠を制した有名人と言う程度の認識しかなかったので、そこで初めて彼の収めた圧倒的な功績、その凄まじさを知ることになった。

そして何より、彼のそのあり方に琴線が触れた。

それまで私が見てきたような、強者、俺は強い、俺を見ろ、倒した、どうだ、すごいだろ、強いだろ、称えろ、崇めろ、俺が強者、俺がチャンピオンだ!

そんな風な、いかにもな格闘家たちとは、あまりにも一線も二線も画していた。

彼のあり方は、信念は、どこまでいっても自然体だった。

決して偉ぶることもなく、卑屈になることは当然なく、物事をありのままそのままに受け止めて、そしてわかることわからないことを見極めて、自分が伝えられる範囲でこちらにその思いを汲もうとしている。

このようなタイプの人間を、私をほとんど見たことがなかった。

非常に心が惹きつけられたの覚えている。

そして将棋と言うものを、元々ルールを知っていたし、幼少の頃は祖父と年末年始など父方の実家で何局も指していたので、ある程度は知っていた気がしていたが、空手をある程度修めた後だと、まったく視え方が違っていた。

将棋の、武道家として、極真空手家として見た場合に非常に興味深い点が、まったくの5分の状態からスタートするということだ。

当たり前と言えば当たり前のだが、スポーツや格闘技の世界で、全く5分で始まるものなどは一切ありえない。

どのようなジャンルにおいても、身長、体重、生まれついての身体能力、持って生まれた格闘技やスポーツのジャンルに関するセンス、そういった差がある。

だから戦う前は、そもそもスタートラインが違う。

まさに将棋で例えれば、自陣の3列目に並んでいる「歩」」が、すべて「飛車」になってるような状況もあり得ると言うことだ。

相手にとっても自分にとってもその時に応じて必要なハンディキャップからスタートすることがあるので、戦略が一貫しておらず、それを必要としない場合もあり、そもそも戦略を立てる気が起きないほどの戦力差もあり、逆に言えば勝敗をそこに委ねる、言い訳にすることができてしまう。

そしてそうした場合、大抵ありがちで、安易なことなのだが、そのハンディキャップを埋める、もしくはさらに高める方向に行ってしまう場合がよく見受けられる。

わかりやすく筋力トレーニングに傾倒したり、スピードや技の連動を高めようとしたり、そういったことだ。

それが決して悪い事と言うわけではなく、戦力差があるのならば戦力差を埋める、さらに広げる、それは大前提として考えやすいと思うのは当然のことだ。

しかし考えてほしいのが、それはどこまでいっても限度があると言うこと。

将棋的戦略観の応用

体重60キロの人間が、バーベルを200キロ上げる事は現実的にほとんど不可能と言っていいし、たとえあげられても、同じようにあげられる体重100キロの人間に殴り合いで勝つことができない。

生まれ持った差は、ある程度縮める努力が必要だが、それだけで補うことは現実的に不可能なのだ。

それは負の歴史とも言えるものだが、世界で繰り広げられてきた戦争でも、戦車やミサイルの技術戦争はもちろん起こるのだが、それだけで相手を圧倒しようと言う風な国はありえないことからもわかる。

ある程度戦力を揃えたら、そこから戦略が必要となってくる。

それを考えた場合、生まれ持った戦力差と言うのは、すでに述べたように事実を歪ませる邪魔なものになりうる。

そういった意味で、完全にお互いが全く5分の持ち駒、配置から始まると、完全に戦略だけで勝負が決まる将棋と言う頭脳スポーツは、私のそういったスランプや、考え方の俺を打ち破るのに、非常に有用な兆しを与えてくれた。

だからこそ、その時アナザースカイで、現在では既に国民的な、文字通り国民栄誉賞を受け取った、前人未到の七冠同時完全制覇と、永世七冠獲得と言う、歴史な偉人とを知る事が出来たことは、運命的な幸運だったと言えるかもしれない。

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