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【信じる】芦田愛菜の感性を将棋の大局観から解析する

2020年11月13日

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この記事を書いた人
青貴空羽

小説家にして極真空手家。
更に2年間の英国留学不治の病うつ病になった経験、オタク文化を発信する為ブログTwitterYouTubeを始める。

Twitter:@aokikukose

映画のプロモーションでの一幕

芦田愛菜が映画「星の子」のプロモーションに際して、彼女自身の信じる、ということの意味合いについて語った内容がネットで話題になった。

曰く、

「『その人のことを信じようと思います』っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、『それがどういう意味なんだろう』って考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、『自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかな』と感じて」

「だからこそ人は『裏切られた』とか、『期待していたのに』とかいうけれど、別にそれは、『その人が裏切った』とかいうわけではなくて、『その人の見えなかった部分が見えただけ』であって、その見えなかった部分が見えたときに『それもその人なんだ』と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが『信じられることなのかな』って思ったんですけど」

「でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」

この考え方は、私個人としてもわずか16歳の少女が話すような、考えるようなレベルではないと思う。

それを踏まえた上で、私自身もどういったことが信じるという意味合いになるのか考えてみた。

将棋の大局観に立つ

私は人生というあまりにも広大で、あまりにも悠久な題材を考える場合、その段階、その時点での狭い視野で見ようとするよりも、将棋で考えた方がいいと思っている。

なぜなら、今何かをしているということが、直近、もしくは遠い未来に、どういったことをもたらすかというのは検証するには、あまりに長い時間がかかってしまうし、リスクも多い。

それを駒と盤というもので、端的に表しているといったら角が立つかもしれないが、それがある意味で将棋持つ意味であり一面ではないかと私は捉えている。

そういった視点から考えた場合、信じるという言葉は、単純なその局面だけで、その結果だけで論じるのは違っているのではないかと思う。

人生というものは何がどう転ぶかわからない。

将棋でも、最近藤井聡太が王位戦を制した一局で話題になったが、封じ手として選んだのが、同飛車だったという話だ。

これは非常にリスクがある。

最も強い駒である飛車であえて銀と交換してしまう。
これはお金で例えるのならば、一万円で千円を買ったにも等しいかもしれない。

その局面だけで見れば、まず間違いなく100人が100人藤井壮太は失敗したとみるかもしれない。

藤井壮太を信じていた人からすれば、その局面だけで判断すれば裏切られたと感じるかもしれない。

しかしその一局において、その手を単純に失敗だ、間違えた、と指摘したり騒いだりする人はほぼいなかった。

それどころか、その手はもしかしたらとんでもない手ではないか? とありとあらゆる手段で検証して、現代最高峰といわれているコンピューターで計算された結果、その局面における最善手であるということが発見されて、結果的に賞賛されることになった。

信じるとは、そういうことでは無いのか?

無担保でありままに委ねる

ある局面局面、例えば芦田愛菜が今後出演する作品において、前評判や脚本など全く省みず、彼女を信じているという人たちが絶対彼女が演じているからという理由でその映画が大ヒットすると信じて――これはあくまで仮にだが大コケした場合に、どう反応するか?

裏切られたとか、ガッカリしたとか、そこで見切りをつけるとか、見限る――それは果たして本当の意味で彼女を信じている、ということになるのか?

信じるという事は、もっと――大局観的な、長期的な、人間的な、そういった大きな視点で捉える必要があるのではないか?

私は、そのように考えている。

これは私の信じるアドラー心理学での、無担保での信頼に近いところがある。

一回一回の場面場面で一喜一憂したり、そうで信じてるから大丈夫だよね? と強要するのは、ただ単に自分の理想像の押し付けであり、自分がただ安心したいための脅迫に近い。

信じるという事は、その人の――自分からすれば予想外の行動を含めて、その人の世界観、そのひとそのものを丸ごと信頼して、手放すということ。

私はそのように考え、捉えている。
だからこそ、狭量な考えで束縛することなく、大きな視野を持ちたい。

そして最終的には自分とかかわりのある多くの人を、家族を、友人を、ビジネスパートナーを、知人を――そして自分自身を、そういった見方でどこまでも信じられるようになりたい。

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