#29「委ねる。心に。選択を。」

2020年4月4日

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 いつの間にか、肩に力が入っていた。

「そう……そう、ですね。その通りです。ぼくは……いや、棚多さんのいうとおりです」

「でしょう?」

 深呼吸。
 肺に吸い込まれる空気は、あの日取りこんだものよりもさらに冷たく、澄んで感じられた。

「……棚多さん」

「はい、なんですかな?」

「ぼくは……ぼくは、どうすべきでしょうか?」

 先ほどの謝罪を、もう一度。

 ぼくにもう少し、甘えさせてくれませんか?
 棚多さんは変わらず微笑んだまま、

「心のままに」

「心のままに、ですか?」

「はい。心は、千変万化しますなあ。それに、頑固なこだわりが、時には道しるべに、時に枷になってしまいます。だから心のままに、委ねてみてはどうでしょう?」

 委ねる。
 心に。
 選択を。

 理屈を、越えて。

「それは、少し、怖いことではないでしょうか?」

「怖いモノがありますかな?」

 いわれ、ぼくはぽかんとしたあとぷっ、と吹き出してしまった。

 まったくだ。
 今さらなにを、怖がるというのかぼくは?

「……棚多さんはそうして生きてこられたんですか?」

「まさか。そんな生き方が出来るのでしたら、それは仙人かひとを越えたモノだけでしょうなあ」

 ひとを越えたモノ、か。

「やってみます。もう、後悔したくないので」

「成海さん」





 結論に近いモノが出たと思ったら、棚多さんは再びぼくの名前を呼んだ。
 それにぼくは、顔を上げる。

「後悔したって、いいじゃないですか」

 達観。

 その笑みの正体に、ぼくは不意に気がついた。
 棚多さんは、達観しているのだ。

 理屈や感情を、さらに上から。

「後悔、しても……」

「いいじゃないですか? わしら神様じゃあないんだ。後悔するときだって、間違うときだってあるじゃないですか。だから、いいじゃないですか? 違いますかな?」

 その言葉は、今までのものと少し毛色が違っていた。
 ぼくに――他人(ひと)に対して言っているというよりも、まるで自分自身に、言い聞かせているような。

「いいんでしょうか?」

 結論なんて、すぐには出せない。

「いいん――ダメでしょうかねえ?」

「いや……」

 それをぼくに決める権利が、はたしてあるのだろうか?
 結局ぼくは――

「年寄りの戯言と思って、聞いてください。ただ後悔は少ない方がいい。世間では、そう言われとります。それもきっと、真実の一つでしょうしなあ」

 世間では言われている。

 真実のひとつ。

 結局会話は、それで途切れてしまった。
 ぼくはそれに結論を出すことは出来なかった。
 すぐに結論を出すことは、出来ないから。

 そして昼食をとり、安静時間を過ごし、しばらく経った頃。
 どれくらいぶりか、そのひとは現れた。

「成海さん。お母さまが、お見舞いにいらしてますけど?」

「はい。ありがとうございます」

 一秒もおかず、ぼくは応えた。
 そしてぼくは、そのひとと対した。

「お久しぶりです、お母さん」

「そ、そうね……元気してたかしら、遼さん?」

 母はぼくのことを、遼さんと呼ぶ。
 いつからだったのかは、定かではない。
 少なくとも子供の時は、そうじゃなかった気がする。
 だけどなんと呼ばれていたかと聞かれたら、それは思い出せない。

 ただ今は、遼さんと呼ぶ。
 ぼくを遼さんと呼ぶのは、おそらく世界じゅうだけでこのひとだけだろう。
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