#29「委ねる。心に。選択を」
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目次
本編
いつの間にか、肩に力が入っていた。
「そう……そう、ですね。その通りです。ぼくは……いや、棚多さんのいうとおりです」
「でしょう?」
深呼吸。
肺に吸い込まれる空気は、あの日取りこんだものよりもさらに冷たく、澄んで感じられた。
「……棚多さん」
「はい、なんですかな?」
「ぼくは……ぼくは、どうすべきでしょうか?」
先ほどの謝罪を、もう一度。
ぼくにもう少し、甘えさせてくれませんか?
棚多さんは変わらず微笑んだまま、
「心のままに」
「心のままに、ですか?」
「はい。心は、千変万化しますなあ。それに、頑固なこだわりが、時には道しるべに、時に枷になってしまいます。だから心のままに、委ねてみてはどうでしょう?」
委ねる。
心に。
選択を。
理屈を、越えて。
「それは、少し、怖いことではないでしょうか?」
「怖いモノがありますかな?」
いわれ、ぼくはぽかんとしたあとぷっ、と吹き出してしまった。
まったくだ。
今さらなにを、怖がるというのかぼくは?
「……棚多さんはそうして生きてこられたんですか?」
「まさか。そんな生き方が出来るのでしたら、それは仙人かひとを越えたモノだけでしょうなあ」
ひとを越えたモノ、か。
「やってみます。もう、後悔したくないので」
「成海さん」
結論に近いモノが出たと思ったら、棚多さんは再びぼくの名前を呼んだ。
それにぼくは、顔を上げる。
「後悔したって、いいじゃないですか」
達観。
その笑みの正体に、ぼくは不意に気がついた。
棚多さんは、達観しているのだ。
理屈や感情を、さらに上から。
「後悔、しても……」
「いいじゃないですか? わしら神様じゃあないんだ。後悔するときだって、間違うときだってあるじゃないですか。だから、いいじゃないですか? 違いますかな?」
その言葉は、今までのものと少し毛色が違っていた。
ぼくに――他人(ひと)に対して言っているというよりも、まるで自分自身に、言い聞かせているような。
「いいんでしょうか?」
結論なんて、すぐには出せない。
「いいん――ダメでしょうかねえ?」
「いや……」
それをぼくに決める権利が、はたしてあるのだろうか?
結局ぼくは――
「年寄りの戯言と思って、聞いてください。ただ後悔は少ない方がいい。世間では、そう言われとります。それもきっと、真実の一つでしょうしなあ」
世間では言われている。
真実のひとつ。
結局会話は、それで途切れてしまった。
ぼくはそれに結論を出すことは出来なかった。
すぐに結論を出すことは、出来ないから。
そして昼食をとり、安静時間を過ごし、しばらく経った頃。
どれくらいぶりか、そのひとは現れた。
「成海さん。お母さまが、お見舞いにいらしてますけど?」
「はい。ありがとうございます」
一秒もおかず、ぼくは応えた。
そしてぼくは、そのひとと対した。
「お久しぶりです、お母さん」
「そ、そうね……元気してたかしら、遼さん?」
母はぼくのことを、遼さんと呼ぶ。
いつからだったのかは、定かではない。
少なくとも子供の時は、そうじゃなかった気がする。
だけどなんと呼ばれていたかと聞かれたら、それは思い出せない。
ただ今は、遼さんと呼ぶ。
ぼくを遼さんと呼ぶのは、おそらく世界じゅうだけでこのひとだけだろう。
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