#50「耐えきれない想い」

2020年4月4日

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 それはそれほどの想いなのか。
 きっと医者である彼は現状を誰よりも理解し、誰よりもよい方法はないかと苦心、思考、錯誤を繰り返してきた人間だ。

 その彼が、ぼくに想いを伝えかねている。
 なにが言いたいのか?

 いや、それはなにも彼一人に限ったことではない。
 母にしても、裕子さんにしても、他の先生や看護士さんたちにしても――ぼくになにを、伝えようとしているのか?

 ひとつもわからなかった。
 だけど伝えようと必死だというのは、わかった。

「遼……遼ちゃんっ!」

 遼ちゃん。

 言葉に、思考が千切りとられる。
 それは遠い過去の呼び名。
 ぼくがまだ無邪気で、病気の意味もわからず、母と――父と、良好な関係を築けていた頃の、おとぎ話。

 魂がざわざわと、蠢いた気がした。
 なんでぼくを、その名で呼ぶの?

 ――おかあさん。

「成海さん……ど、どうして?」
「成海さん、落ち着いてっ!」
「気を確かに!」
「病気に負けないで!」
「ベッドに戻って、戻ってください!」
「負けちゃ、ダメですぅ!」

 なんでみんな、そんなに必死なの?

 吹き荒れる感情の嵐の中、ぼくの心は小舟のように揺れていた。





 普段の、虚飾の日々じゃないものが、そこにはあった。
 噴出するそれは、今まで抑えてきたものなのか?
 だったら彼女たたちはなぜ、今までその気持を抑えてきたのか?
 なんでぼくに、今まで、直接伝えなかったのか?

 考えるまでもなかった。
 考えたあとだったけど。
 それは考えてみれば、当然すぎる結果だった。

 だってぼく自身が、そもそも心開いていなかったんだから。

 伝わるわけないって高を括って言いたいことも言ってこなかったんだから、彼女たちが言わなかったのも当然――

 いや、違う。
 鏡映しなんかじゃない。
 これはそんな低いレベルの話じゃない。

 彼女たちは、ぼくの望みを叶えていただけだ。

 煩わしいと。
 虚飾だと。
 だからもう構わないで欲しいと。

「…………」

 母の――涙にぬれた、くしゃくしゃの顔を見た。
 そして、思い出した。
 思いだして、しまった。

 あなたはいつも、ぼくが欲するものを聞いていたことを。

「――――ッ!」

 堪え切れない想いが胸をのぼって、瞼から零れた。
 一瞬息すら、詰まってしまう。
 持て余すほどの、それは重さだった。

 だけどどうしても、伝わらない。
 彼女たちがぼくに、なにをわかって欲しいのかが。
 彼女たちが悪いのか、ぼくの受け取り方が悪いのか。
 たぶん後者だろう。

 その想いを、受け止めたい。
 だけどやり方がわからない。

 そしてぼくにはもう、時間がない。

 焦りだけが募っていると――その人垣を縫うようにひとりの細い病院服を纏った老人が、歩み出てきた。

 ぼくにはもう、彼に縋るしか手がなかった。

「成海さん、よい、天気ですなあ」

 嘘みたいだった。
 こんな愕然とするほどの非日常の風景の中に在ってなお、彼はいつも通りだった。

 母のように激しくなく、裕子さんのように揺れることなく、渡河辺先生のように重くなく、平常の心を持っていた。
 その正体に、ほんのわずか触れた気がした。

「そう……ですね」

 奇跡でも、なんでもいい。
 ぼくは声を出した。
 出すしかなかった。

 彼は、飄々としていたんじゃない。

 明日には死ぬかもしれない。
 いやそれどころか次の瞬間にはもうこの世にいないかもしれない。
 そんな現実からぼくは目を逸らすことで、日々をやり過ごしてきた。

 彼はそれを受け入れ、その上で生きてきた。
 覚悟があった。
 だからこの風景ですら、彼にとっては日常なのだろう。

 ぼくは棚多さんが、眩しくすら見えた。

 今まで言葉が交わせたことが、誇りに思えるくらいに。

「成海さんは、今日のご予定はなんですかな?」

「……旅立とうと、思っています」

 この期に及んでなおもぼくは、言葉を濁すか。
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