二十八話「サンドバッグ」
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目次
本編
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そしてその空間の隣には、先ほどまでは影になって見えなかった、一軒の家があった。
木造建築の、一戸建ての日本家屋。
二階建ての立派な玄関の表札には、こう書かれていた。
纏はいつも道場に行く前――この時間帯に、サンドバッグにミドルキック――中段廻し蹴りを左右百本づつ叩き込んでから、道場に向かう。
『お父さんの、ひだりみどるきっくでな。たおせなかった人は、いないんだよ』
――シッ。
炸裂音。
纏は無表情に蹴り続ける。
呼吸は乱れず、汗だけが機械的に右に左に飛び散る。
その姿はまるで人ではなく、空手を行なうためのマシーンのように見えた。
――巧かった。
自分がこの十二年間――そしてこの、五年間。絶え間なく鍛え、造り込んできた突き、蹴りのすべてを、"あの男"は見事に捌いた。
あんなタイプは神奈川はもちろん、長野にもいなかった。
空手というものは耐え、忍ぶところが一つその特色だと思っている。
だからこそ、返事は押忍なのだ。
押して忍ぶことこそ、空手家なのだと。
だが、あの男は違った。
捌きに特化していて、しかも狙うは一点――鍛えようがない、上段。
耐えようが、忍びようがない、顔面だ。
一撃で勝負が決まる、その一点を、捌き続けて、狙う。
合理的だ、と纏は思う。
貰う必要がない損傷は負わず、必要最低限の攻撃だけで済ませる。
ずきん、とこめかみが痛んだ。
あの時の後ろ回しの衝撃は、手の平だけでは抑え切れなかった。
この前の組み手以来、定期的に頭痛がする。
強烈な蹴りだった。
防いだにも関わらず、体が仰け反った。
あまつさえ、そのまま床に叩きつけようとしていた。
その時のあの男の表情が、気に掛かる。
戦いの最中(さなか)――笑っていた。
マホガニー製の机と、椅子が一つ。それに窓と本棚が2つづつ備え付けられた部屋だった。
床にはカーペットが敷かれ、机の上には大量の書類と判子、それに朱肉が散らばっている。___________________
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そしてその場所は、道路に面した広いガレージのようだった。
コンクリート打ちっぱなしの灰色の床と柱に、トタン屋根を乗せただけの簡素な物。
コンクリート打ちっぱなしの灰色の床と柱に、トタン屋根を乗せただけの簡素な物。
そしてその空間の隣には、先ほどまでは影になって見えなかった、一軒の家があった。
木造建築の、一戸建ての日本家屋。
二階建ての立派な玄関の表札には、こう書かれていた。
橘
父親が空手の師範をしているこの家では、隣にトレーニング用にとガレージを隣接させていた。
纏はいつも道場に行く前――この時間帯に、サンドバッグにミドルキック――中段廻し蹴りを左右百本づつ叩き込んでから、道場に向かう。
それは纏が小学生になった時から続けられてきた、変わらぬ習慣であり――誓いでもあった。
『お父さんの、ひだりみどるきっくでな。たおせなかった人は、いないんだよ』
――シッ。
纏の口から短い呼気が漏れ、同時に閃光のような中段廻し蹴りがサンドバッグに叩き込まれる。
それは重く、速く、美しかった。
まるで達人が扱う鞭が絡みつくような、そんな印象を見るものに与えた。
それは重く、速く、美しかった。
まるで達人が扱う鞭が絡みつくような、そんな印象を見るものに与えた。
炸裂音。
纏は無表情に蹴り続ける。
呼吸は乱れず、汗だけが機械的に右に左に飛び散る。
その姿はまるで人ではなく、空手を行なうためのマシーンのように見えた。
その中で、纏は考えていた。
――巧かった。
自分がこの十二年間――そしてこの、五年間。絶え間なく鍛え、造り込んできた突き、蹴りのすべてを、"あの男"は見事に捌いた。
あんなタイプは神奈川はもちろん、長野にもいなかった。
空手というものは耐え、忍ぶところが一つその特色だと思っている。
だからこそ、返事は押忍なのだ。
押して忍ぶことこそ、空手家なのだと。
だが、あの男は違った。
捌きに特化していて、しかも狙うは一点――鍛えようがない、上段。
耐えようが、忍びようがない、顔面だ。
一撃で勝負が決まる、その一点を、捌き続けて、狙う。
合理的だ、と纏は思う。
貰う必要がない損傷は負わず、必要最低限の攻撃だけで済ませる。
それにあの男の表情が、纏は気に掛かっていた。
ずきん、とこめかみが痛んだ。
あの時の後ろ回しの衝撃は、手の平だけでは抑え切れなかった。
この前の組み手以来、定期的に頭痛がする。
強烈な蹴りだった。
防いだにも関わらず、体が仰け反った。
あまつさえ、そのまま床に叩きつけようとしていた。
その時のあの男の表情が、気に掛かる。
左手を振り上げ、左足を引き、溜めを作り、地面を蹴って、腰を回し、左手を振り下ろし、軸足を百八十度回転させ、全体重を乗せて、最高速で、脛を、サンドバックに――
轟音が、空間を震わした。
今までで最も高くサンドバックは持ち上がり、それが落ちてきて鎖が千切れんばかりに軋みを上げ、ガレージ全体が大きく揺れる中、思う。
戦いの最中(さなか)――笑っていた。
纏がサンドバックを蹴り続けるガレージ。
その隣の日本家屋の一室で、ある男が事務作業に追われていた。
その隣の日本家屋の一室で、ある男が事務作業に追われていた。
マホガニー製の机と、椅子が一つ。それに窓と本棚が2つづつ備え付けられた部屋だった。
床にはカーペットが敷かれ、机の上には大量の書類と判子、それに朱肉が散らばっている。
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