サンドバッグ

2019年12月27日

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 そしてその場所は、道路に面した広いガレージのようだった。
 コンクリート打ちっぱなしの灰色の床と柱に、トタン屋根を乗せただけの簡素な物。

 そしてその空間の隣には、先ほどまでは影になって見えなかった、一軒の家があった。
 木造建築の、一戸建ての日本家屋。
 二階建ての立派な玄関の表札には、こう書かれていた。

 橘
 父親が空手の師範をしているこの家では、隣にトレーニング用にとガレージを隣接させていた。

 纏はいつも道場に行く前――この時間帯に、サンドバッグにミドルキック――中段廻し蹴りを左右百本づつ叩き込んでから、道場に向かう。
 それは纏が小学生になった時から続けられてきた、変わらぬ習慣であり――誓いでもあった。

『お父さんの、ひだりみどるきっくでな。たおせなかった人は、いないんだよ』

 ――シッ。
 纏の口から短い呼気が漏れ、同時に閃光のような中段廻し蹴りがサンドバッグに叩き込まれる。
 それは重く、速く、美しかった。
 まるで達人が扱う鞭が絡みつくような、そんな印象を見るものに与えた。

 炸裂音。

 纏は無表情に蹴り続ける。
 呼吸は乱れず、汗だけが機械的に右に左に飛び散る。

 その姿はまるで人ではなく、空手を行なうためのマシーンのように見えた。
 その中で、纏は考えていた。

 ――巧かった。





 自分がこの十二年間――そしてこの、五年間。絶え間なく鍛え、造り込んできた突き、蹴りのすべてを、"あの男"は見事に捌いた。
 あんなタイプは神奈川はもちろん、長野にもいなかった。

 空手というものは耐え、忍ぶところが一つその特色だと思っている。
 だからこそ、返事は押忍なのだ。

 押して忍ぶことこそ、空手家なのだと。

 だが、あの男は違った。
 捌きに特化していて、しかも狙うは一点――鍛えようがない、上段。

 耐えようが、忍びようがない、顔面だ。
 一撃で勝負が決まる、その一点を、捌き続けて、狙う。

 合理的だ、と纏は思う。
 貰う必要がない損傷は負わず、必要最低限の攻撃だけで済ませる。
 それにあの男の表情が、纏は気に掛かっていた。

 ずきん、とこめかみが痛んだ。

 あの時の後ろ回しの衝撃は、手の平だけでは抑え切れなかった。
 この前の組み手以来、定期的に頭痛がする。

 強烈な蹴りだった。
 防いだにも関わらず、体が仰け反った。
 あまつさえ、そのまま床に叩きつけようとしていた。

 その時のあの男の表情が、気に掛かる。
 左手を振り上げ、左足を引き、溜めを作り、地面を蹴って、腰を回し、左手を振り下ろし、軸足を百八十度回転させ、全体重を乗せて、最高速で、脛を、サンドバックに――

 轟音が、空間を震わした。
 今までで最も高くサンドバックは持ち上がり、それが落ちてきて鎖が千切れんばかりに軋みを上げ、ガレージ全体が大きく揺れる中、思う。

 戦いの最中(さなか)――笑っていた。



 纏がサンドバックを蹴り続けるガレージ。
 その隣の日本家屋の一室で、ある男が事務作業に追われていた。

 マホガニー製の机と、椅子が一つ。それに窓と本棚が2つづつ備え付けられた部屋だった。
 床にはカーペットが敷かれ、机の上には大量の書類と判子、それに朱肉が散らばっている。
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