【大山空手×ムエタイ】伝説の3vs3マッチ藤平昭雄、中村忠、黒崎健時が挑んだ異種格闘技の原点、歴史の転換点を決して見逃すな!

2024年4月9日

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極真VSムエタイの3対3マッチ

格闘技、そして空手及びムエタイが、他の格闘技との交流、その出発点であり、そこから大きく飛躍し、日本の大山空手が世界の極真空手にし訳するその転換点ともいえる出来事。

それを今回は技術論を交えてお話しさせていただきたいと思う。

1962年の夏。

当時タイ式ボクシングと呼ばれていたムエタイを日本に普及させようとしていた野口修は、その過程で大山倍達と接触、実戦空手の在り方、ムエタイの強さ、世界大会の構想など語り、その結果ムエタイと試合をという流れになったという。

それに黒崎健時がその時現役バリバリで活躍していた、地に沿った基本、理にかなった型、華麗なる組み手の体験者岡田博文、大山倍達が認めた天才大山泰彦、大山倍達の後継者とも歌われた中村忠、スモールタイガー藤平昭雄の4人が選出されたという。

その方4人は黒崎健時の指導のもと毎朝10キロの走り込み、日曜日ごとに往復50キロの走り込み、成増道場でスパーリング、大きな算盤の上での正座、三日間の断食、1963年の夏には鬼怒川での1ヵ月もの合宿を行い、空手の稽古に加え50番連続の相撲や、いぬかきしか使わず川を逆流したり、樹に20分もしがみついたりといった特殊な練習をこなしたという。

合宿から戻り、野口により設定されたスパーリングでは大山泰彦がムエタイの東洋チャンピオンと対戦し、変則の回し蹴りで相手のテンプルを蹴り、そこから引き込んでの膝蹴りでなんて驚きの嘔吐させたという。

続いて今度は中村忠が前蹴りの一撃で悶絶させ、ボクサーとパンチのみで戦いこれまた驚愕のあまりにパワフルなパンチ力のため相手の体を浮かせての圧勝を決めたという。

しかし当初その年の10月だった秋試合の予定は12月、翌年1月と繰り返し延期され、その過程で就職や学業、家庭の事情により大山泰彦や岡田博文は遠征を辞退。

1964年1月15日、藤平昭雄、中村忠、それを引き連れるコーチとして黒崎健時の3名が羽田を旅立ったという。

その際大山倍達は黒崎健時に、

君、野口は必ず君に試合に出てくれといってくるよ。

君、絶対に試合をしていけないよ、野口の話に乗ってはいけないよ。

と耳打ちしたという。

バンコクの気温は40度、異文化による雰囲気、香りの違い、車庫での練習、それにより下痢などの体調を崩しながら、ルールをいかにするかで大激論を躱し、完全ムエタイルールになりそうなところを、投げあり――この場合はポイントになる、倒れた相手の攻撃は無し、頭突きあり、というところに落ち着いたという。

そしてやはりもともと4試合のつもりが2試合では足りないということで黒崎健時に白羽の矢が立ち、即座にやりましょうとオーケーしてしまったという。

監督という立場で全く稽古をしておらず、35歳の年齢、さらには稽古中に親指の爪を負傷し、化膿し腫れ上がり、靴を履くにも困難なほどの激痛が走り、試合数日前に足の爪をとって膿を抜いたが、完治せずの当日となったという話。

2月12日、ルンピニースタジアムは一万数千人のぎっしりの満員だったといい、街中には日本の選手は墓場に連れてってやるというポスターがたくさん出ていたという。

先鋒は黒崎健人機、自らの試合を2人に見せて、その戦い方を観察させ、対決を有利に導こうとしたという。

黒崎健時の敗北

相手は前ウェルター級チャンピオンのラウィー・デーチャーチャイ。

道着を着てリングに上がり、四方に頭を下げ、そして試合開始。

ジャブを放つラヴィーンに対して、黒崎健時は肩を上下させる。

そしてラウィー、踏み込んでのローキック!

その威力に体が吹っ飛ぶ、藤平昭雄によるとそれまでローキックなんて見たことも聞いたこともなかったという話だから、これは凄まじい衝撃であったであろう。

ハイキックを躱し、左ミドルキックを喰らい、それをつかみ、投げ飛ばす。

ローキックがきつい、もしそうだとするなら脛受けもほとんど知らないわけだから、そうなると組み付くしかない。

肘打ちが飛んでくる、それも組み付いて防いで、持ち上げてマットに叩きつける。

ローキックを躱して、前に突進、組みつこうとしたときに肘打ちをカウンターされる。

押し倒すが、当然のドクターチェック。

この時左の目の下をパックリと切ってしまったという。

再開後も突進、相手のパンチ、蹴り、肘を防ぐにはこれしかない。

しかしそれでも膝切りが腹にめり込む。

一発だけ左の拳がとらえたようにも見えるが、またも組み付く、一見ではわからない高度な間合いのやりとりが繰り返される。

その後頭部に上から肘打ち肘打ち、さらに肘肘と飛んできて、それに左右の拳を返す。

足が化膿している上、相手の蹴りの技術がある意味では上回っている以上、これしかない。

しかしローキックをこらえて組伏せ、おそらく同じように組つこうとしたそのタイミングを狙われ、下からあんまりにも鮮やかな肘打ちを顎に合わせられてしまう。

ここで万事休す、心は起き上がろうとしているようだが体がついてこず、そのつなぎ合わせる神経を絶たれたように黒崎健時は一ラウンド2分35秒KO負けを喫することになる。

担架に乗せられて運ばれる黒崎健時を見て、残りの2人は発奮。

中村忠の圧勝

続いて出場した中村忠はタン・サレンと相対し、三日月蹴りからの中段回し蹴りでなんと驚きのダウンを奪ったという!

左ミドルといえばムエタイの代名詞ともいえる技で、ほとんどこれでポイントの取り合いをしており、それをまさかの腹に当てて、ダウンを奪うというのは、ムエタイ、キックボクシングを知らない空手家にとって、もはや神技に近い…

さらにボディーのストレート、つまりは正拳中段突き、それで2度のダウンを追加し、2ラウンドそこからの右ストレート、右正拳上段突きで1分48秒完全なるKO勝ちを奪ったという。

ムエタイ、そして空手の代名詞ともいえる技で、完膚無きまでの勝利、極真史上最強の1人と語られることもある中村忠の強さのその片鱗、それを見せつけるような結果といえるだろ。

その結果にムエタイ関係者、タイのファンは驚愕し、誰もが日本の空手などと甘い考えを持っていただけにその事実が受け入れられず、タン・サレンはその後国辱的行為とみなされムエタイの世界から追放されることになったという。

そして最終戦、藤平昭雄VSハウファイルークコンタイ。

倒す、何が何でもブッ倒してやる!

自らの肩に極真、大山空手、日本の武道の維新がかけられ、生きて帰れないかもしれないと夢想する中、馬鹿野郎馬鹿野郎と怒鳴りながらリングに上ったともされ、本人の話によると膝蹴りも肘打ちも切りも何の情報もなく、作戦も何もなく――

ただ前に出ればいい。

とマットに上がったという。

藤平昭雄の劇勝

開始早々いきなりのローキック、それまでローキックなんて蹴ったこともなかったというのが飛び出すというあたりがさすがの修羅場のくぐり方といえるだろうか。

左右パンチ、膝蹴りでロープに追い込む、まるで初めから定められた殺陣のように、流れるような連続攻撃。

組み付かれながらもアッパーを連打連打連打、そのまま首投げの要領でマットに叩きつける。

するとそこから怒涛のようにハウファイルの膝蹴り膝蹴り膝蹴り。

守る術を知らない藤平はやられるがまま。

しかしその一瞬の隙をつき首をつかんでぶん投げる、凄まじ体幹、腰の強さ。

肘が目の前を通過する時ビャーと音がして、なんじゃあと驚愕、しかし下がったら一方的だと前に出る。

ミドル、首相撲から膝蹴りと何十発もボディに攻撃の嵐を降らせられるが、崩れず折れず、ぶん投げの逆襲。

疲れていても早くたたないとダウンを取られると慌てて立ち上がり、相手の体制が整わないうちに左上段鉤突き、からの右中段鉤突き、そして投げ。

このときの肘打ちで鎖骨が折れたというが、その時は本人気づかなかったという話だ。

そして何度目かの膝蹴りに合わせての右ストレートでダウン、すごい、すごい技術と勝負根性!

そして藤平昭雄は、

立ってくるな、このやろう!

怒鳴ったという。

もつれて倒れてゾンビのように立ち上がるという壮絶な死闘の果てに、相手が組み付くタイミングを狙って右フック!

さらに左が顎を捉え、右が頭部、左が外れ、そして右フックがまともに顎を貫く!

ダウン!

1度目をはるかに超える想像を絶する衝撃。

このときのことを藤平昭雄は覚えていないといい、自らの試合を振り返り語ったのが、

リングの真ん中なんだよ。

5発目が当たってるんだよ。

普通ワンツースリーが当たって倒れるというならわかるけど、5発目が当たって倒れてるんだよ。

だから5発も6発も撃っても倒すだけの力があったのかな。

驚いてるよ自分で。

普通ボクシングでもパンパンて倒す、三発位で、だけど5発目だよ、4発空振りしてんだよ、後五発目で倒れたけどまだ左打ってんだもん。

だからびっくりしてるよ自分で。

そして控え室まで歩いて帰ったがそこで動けなくなり、帰りの道中1本の棒があり、しかしそれをまたけない自分に気づいたという。

その後半年ほど道場にいかず、大山倍達にこれまでの稽古ではとても太刀打ちできませんからボクシングやらせてくれと意見したという。

当時のタイにおいてもこの出来事は大事件であり、その3年前にも空手家5人が挑戦に来て素手で戦ったが全員早いラウンドでノックアウト負けで話にならなかったこともあり、絶対に勝てない、何ラウンドまでもつかという話で持ちきりだった中でのその結果に翌日の新聞等でも大きく報じられることになったという。

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