七十五話「執念」
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本編
一瞬自分で自分を殴ったのかと錯覚した。
違った。
ガードのため上げていた腕に、なにか――踵が、ぶつかってきたのだ。
後ろ回しか……?
――後ろ回しだ!
天寺は、あの超がつくほど接近した間合いから、体をこちらの体に滑らせるように回して、頭と足を上下逆さまにして、後ろ回し蹴りを放ってきたのだ。
信じられない。
そもそも発想と、体の動きが常識を飛び越えている。
頭を時計のように回転させるなど、そんな話聞いたことがない。
ガードを上げていなければK.Oされていたに違いない。
……こいつ。
頭が一回転して、目の前に戻ってきた。
その顔は、生気がないにも関わらず、目だけがギラギラと滾っていた。
何か、どうしても許せないことがあって、体に鞭打って復讐しているかのように。
突然、肩に衝撃が来た。
「……っ!」
いや、厳密に言えば、左の"鎖骨部分に"鋭い痛みが走ったのだ。
見ると、天寺の肘が、垂直にこちらの左鎖骨部分に突き刺さっていた。
夕人の目が、驚愕に見開かれた。
こ、こいつ……この間合いでやる気か!?
膝を、鈍痛が襲った。
顔をしかめる。骨と骨がぶつかった感触から察するに、天寺が脛を使いローキックの要領で、膝関節を蹴り上げたようだった。
どれもこれも、反則スレスレの汚い手だ。
だが、どれも効果はある。
いやらしさに、顔が歪む。
そんな時、ふと夕人の耳に囁き声が聞こえた。
――――憎い
「――――」
その、空洞を反響するような虚ろな響きに夕人は、全身の血の気が引いていくのを感じた。
囁きは、なおも続いた。
――憎い
――憎い、憎い
――憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、
いきなり、声が弾けた。
「お前がァッ!」
天寺の体が一瞬で真横を向き、爪先が、アゴ先目がけて跳ね跳んできた。
躱――
ぶしゅ、と血が噴き出す音がした。
噴き出したのは、夕人の喉からだった。
夕人は天寺の上段前蹴りを躱そうとアゴを上に逸らしたのだが、その時突き出た喉仏に天寺の足の指の"爪"が掠めたのだ。
その血が天寺の髪と顔に降り注ぎ、その全てを斑に赤く染めた。
血が滴り、天寺の口元まで辿り着いた。
それを――
ベロリ、と天寺は舌を出して舐めとり、
ニヤリ、と穿った目のまま、ヤツは笑った。
悪寒が、夕人の背中を突き抜けていった。
「やめろ……」
声が、夕人の意思とは関係なしに発せられていた。
ずり、ずり、と後ずさるが、それでも間合いを外そうとしない天寺は、再び拳を天に突き上げ、肘を鎖骨に落とそうとしてくる。
喉を、声が突き抜けていった。
「やめろ――――――――ッ!」
肘打ちをアゴに飛ばした。
あの生意気だったチビのアゴを砕いた、横から振るやつだ。
死ね!
化けて出るな!
そう願って、二度目の反則を、夕人は犯した。
しかし次の瞬間、痛みを感じたのは、夕人の方だった。
刺すような痛みに、思わず顔をしかめる。
見ると、夕人の腕は天寺の口の中にあった。
くわえられた。
肘より浅い真ん中辺りが、歯と歯で強烈に挟み込まれている。
あの一瞬で歯で受け止めるなんて、信じられなかった。
見つめていると、ヤツと目が合った。
その目が、爛々と輝いていた。
物凄い形相だった。
無数の血の線とミミズ腫れで巻き取られた顔は、煉獄の拷問を思わせる。
頬はこけ、生気もない。
そんなゾンビのような中で、目だけが、輝いている。
滾っている。
信じられないくらい血走ったその瞳は、今、はっきりと自分だけに焦点が当てられている。
その口元にはくわえられた自分の腕があり――涎がだらだらと際限なく垂れている。
まるで自分が、こいつに喰われているかのようだった。
こいつは本当に――人間なのか?
腕が噛まれたまま、頭が回転していく。
ダメだ。
それはまずい。
このままでは後ろ回しが来るのに、ガードが――
ごん、
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