“始祖の巨人”ヤンカレンバッハ 本部の茶帯を総崩れ、盧山初雄、山崎照朝、加藤重夫らを席巻し、藤平昭雄との激闘経て”拳聖”澤井健一に学んだ大武道家!

2024年4月9日

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本部に襲来

大山道場時代からの極真空手を知る、オールドファンは、この名前になじみがあるのではないだろうか。

身長187センチ、体重は95キロとも110キロとも言われるその巨体を誇る。

元は柔道を志し、その後極真会館オランダ支部に入門して空手道と合わせて5年以上修行したとされて柔道4段、極真空手3段を取得。

オランダ格闘技界の祖と言われる、大山増達にも強い弟子と言わしめ、空手バカ一代にも登場するジョンブルミンの1番弟子だったと言うが、そのブルミンでさえ組手を敬遠するほどの力をつけていたという。

そんなカレンバッハは1966年、指導のためにオランダを訪れていた黒崎健時の強さを目の当たりにしたこともあり、本部道場で修行することを決意、1967年に来日。

その頃本部道場には世界各国から続々稽古生が押し掛けており、オランダからカレンバッハのほかにグラメンシュタイン、オランダからルックホランダー、ニュージーランドからはジャンジャービスがやってきていたと言うが、その中でもカレンバッハの強さは抜きん出ていたと言う。

その気質は質実剛健であり、強さに対しても徹底的に追求し、自分の肌で直に触れなければ納得しないところがあったと言い、誰にでも組み手を申し込む積極的な姿勢で、日本の黒帯全員と組み手をやりたいと言っていたという。

その強さは本部道場の茶帯を総崩れにし、当時の黒帯の加藤重夫、山崎照朝も苦戦し、盧山初雄に至っては伝説的ともいえる屈辱を味わっていると言う。

その組み手の前に盧山初雄は同じ指導員の小倉に、

「盧山君、オランダから来たカレンバッチには気をつけたほうがいいよ。

昨日、組み手を申し込まれたんだが、押されっぱなしだったよ」

と忠告を受けていたが、いざ申し込まれ、1階の道場で相対すると、得意の上段廻し蹴りはもちろんのこと、飛び上がってついても顔に届かないような気がして、もう一つの得意技である金的も、太い両腿でがっちりガードされている。

5、6分も経つと全身に冷や汗が吹き出し、カレンバッハ顔面と金的を十分カバーしたままじりじりと攻めより、盧山初雄は後ろへと押され、後がなくなり、捨て身の攻撃を仕掛けるが効かず、後屈立ち構えた前足からちょこんと着られるだけで盧山初雄の体が大きくのけぞり、左右の正拳突きがまるでピストン。

「まるでサンドバッグのようになり、息が詰まり、立っているのさえ辛くなり、下向いて無我夢中で突進するが軽く足を払われ、宙を舞い、寝技に持ち込まれ、そういった中で3、4回まいったをして、窒息するほど息が詰まり、プライドも栄光も誇りも砕け散り、館長がお呼びですよと言う事務員の声がかかって勝負は終わりを告げたが、それにより空手道に対する理念が根底から崩れ、自分の修行まで左右するような大疑問を持つことになったという」

あの"日大の花"山崎照朝も、

私にとって体力差を感じたはじめての対戦相手であり、どうしたら完璧に大きい者との組み手を受けて立つことができるか、いつも考えることになったと転換点であることを認めており、しかしカレンバッハもまた、

「山崎先生との組み手では勉強させられることが多々ありました、知的な戦い方をするので怖かったですね、と双方にとって実りの多い戦いであったことは間違いないようである」

しかしそんなカレンバッハは、本部の黒帯をことごとく撃破したことによって慢心し、俺は誰よりも強い、俺より弱いやつの教えなんか受けられるか、と稽古も明らかに手を抜くようになり、そんな折あの伝説の空手家に白羽の矢が立ったと言う。

“スモールタイガー"藤平昭雄。

藤平昭雄との死闘

大山倍達の命によりムエタイと戦い、そこからパンチの必要性を痛感し大山倍達の反対を押し切ってボクシングを学び、ボクサーとして10戦全勝を果たし、またもや大山倍達の命により黒崎健時の元へ行き、キックボクサーとして活躍していた彼は、やはり大山倍達の命により本部道場に呼び出されたという。

館長が会いたいからという言葉に訳がわからず道場を覗くと、そこには手を抜き、あからさまにチンタラチンタラ稽古している外国人――カレンバッハの姿があり、それを見た藤平昭雄は、

「なんだあいつ、と思ってねぇ。

態度が気に入らなかったんだ。

だから一階の道場にカレンバッハを呼んで立会人を1人つけて組み手したんだよ。

体がバカでかくて、その上スピードもあった、力も強くてね。

当時、本部には盧山や山崎がいたんだけど、手を焼いていたみたいだった、だから俺がやってやろうと思って――」

その結果始まった戦いは凄まじく、ひとによって伝え聞くところは違うが、ある者はカレンバッハの速射砲のようなワンツーを藤平昭雄が交わし、素早い踏み込みとフットワークで圧をかけ、丸太のような太い足から繰り出される中段廻し蹴りをあえて脇を開けることによりその腹でくらい、受け止め、その後脇をしめて捕獲し、接近し、カレンバッハを羽目板の上に押し倒し、叩きつけ――

馬乗りに襲いかかろうとしたところ今度はカレンバッハの方が藤平昭雄のその襟をつかみ、体格差、柔道も非常に卓越であると言うその技術を生かし投げ飛ばし、再び向かい合い、同じ展開を繰り返し、最終的にはカレンバッハが参ったをしたといい。

またある話では思い切って放たれるパンチをかいくぐり、ガードを固めて藤平昭雄が飛び込み、蹴りの軸足、太ももの内側に膝蹴りをし、そのまま押し倒すが、その後前述したようにカレンバッハの卓越した柔道技能のため、倒れた時は藤平昭雄が上だったが、次の瞬間には入れ替える、とそのような展開が続き、最終的にやはりカレンバッハが参ったをした、と言う話もある。

それを振り返り藤平昭雄は、

「俺も若かったからね(笑

30分ぐらい違ったのかな…向こうが根をあげちゃって。

その後は真面目に稽古するようになったみたいだね」

と雑誌のインタビューでは答えていたよくが、しかし本人によるドキュメンタリー動画を拝見すると、

「しかしその時だってさー。

ボクシングでパンチの練習を覚えてなきゃかわせないよ」

と語っており、多少の余裕があれば避けてからすぐに変化できるから、とその実力が恐るべきものであった事は間違いないようだ。

その死闘を経て、カレンバッハは清々しい表情を浮かべ、その後は襟を正して稽古にいそしんだと言い、その半年後にオランダに帰国。

大氣至誠拳法との出会い

しかしその後より武道の奥深さや神秘に触れたいと思い始めていたカレンバッハは、盧山初雄を通して太気拳と出逢い、その後大気圏の創始者であり"拳聖"と呼ばれる澤井健一との邂逅を果たし、心酔、師弟の間柄となり、後に教士七段を允可され、オランダにて心武拳道場を主催、欧州における大氣拳の第一人者として広く交流を図るとともに、さらなる歩の追求に生涯をかけたと言う。

あらゆる武道において常に研究熱心であり、その求道心にはものすごい熱意を燃やし、技においては外見上派手なものは好まず、シンプルなものを繰り返し練習し、得意とする顔面への打撃も相手を確実にとらえる打ち方をし、決して無理のない攻撃を順次繰り出すと言うやり方で非常に理詰めの組み手をし、鋭利な闘争心と向上心に支えられた精神力の並外れた強さには、実戦の雄としての風格が堂々と備わっていたと言う。

当時を知る加藤重夫は、

「得意の右ストレートと足払いでみんなやられていたね」

と感服しており、

「最高の外国人選手はカレンバッハでしょう。
相手の呼吸に合わせ、技を出すのが上手だった」

と語っており、激闘を繰り広げた盧山初雄もまた、

「カレンバッハには試合のルールを超越した強さがあった。
私が歴代の外国人空手家でナンバーワンを挙げるとするならばやはりカレンバッハだ」

と断言する。

その後に続く大型外国人、日本人から見れば巨人たち。

その発端、脅威、対策、それらを抱かせることになった、始祖の巨人と言って間違いのない大人物、武道家と言えるかもしれない。

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