“柔道の神様”三船久蔵 柔よく剛を和す!球の理念、球車を編み出した武道を極めし者!
おさば廻れ、ひかば斜めに
若かりし日の三船久蔵をエッセイストでありジャーナリストであった佐藤垢石はこう語っていると言う。
相対すると、噂に聞いたとおりの小兵であったが、目玉が異ふ。
鼻柱に力がある。
顔の筋肉がきりっと緊って活きている。
目玉はただ大きくぎょろりとしているばかりではない。熊鷹の目のように、精悍を表徴している。
その眼を中心として、三船久蔵の性格が躍動している。
だが、どことなく温かみを感ずる人柄だ。
持って生まれた高朗の性にもよるであろうが、多年錬磨した肝が何ごとかを物語っている。
初対面でありながら、快活に話すのである。
24歳ごろのものであろう三船久蔵、その肉体美を証明するような写真も拝見でき、その筋力も常軌を逸したレベルであった事は容易に想像できる。
講道館草創期、戦場の技であった柔術から、その根底に流れる徳・智・体育をなし得ると考え、合理的で有効な技と形を撰び、嘉納治五郎が作り上げたその技量を示すため、三船久蔵も全国からやってきた柔術家を相手に他流試合を行い、道場破りを投げとばしたりしたという。
晩年、三船久蔵の柔道は相手を倒すことより、倒れないことを肝要とし、その為中心を失わないこと、つまり「球」を目指すようになったという。
おさば引け、引かばおせ、と昔の柔道はいったが、日本の敗戦後、日本の有識者たちが、『日本を再建しなければならぬ』と叫ぶ中、三船久蔵はそれは間違いで、再建、つまり元にに戻るのではなく、二度と敗れない、健全不敗の日本を創りだすことが、柔道の使命であると考えたと言う。
そこで、 後がないというとき引いたのでは、転落して命を失ってしまうので、
「おさば、廻れ」
また、
「引かば、おせ!」
も一直線上をどこまでも、行ってしまうので、相手を崩すため、
「引かば、ななめに!」
丸ということは、"球"であり、"円"であり、円融無碍、とどまるところ窮まるところがない。
“球"は、絶対に倒れることはない。
四足すべてが、一体となったとき、人間は変応自在の球になりうる。
そして球の原理を使った究極的な技と言えるのが、球車だろう。
球車
三船久蔵が開発した技というのが、隅落、大車、横分かれ、踵返、腕挫三角固、発揮、というものがあるという。
大車というのは、相手の重心を腰に引きつけ、乗せながら右足を伸ばして、相手を払いあげる技。
横分かれは相手を右前方に崩し、身をその前下に捨てながら、引き落とす技。
踵返しは相手の送り足払いをよけながから、体を沈め、片膝をつき、相手のかかとを引き払う技。
腕ひしぎ三角固めは、三角固め腕挫きと当時は言われ、相手の頸動脈をしめながら腕関節も決めると言う、現在のMMAや総合格闘技などが行っているものよりもさらに実践的であり、まさに合理的で科学的な三船久蔵の寝技の真骨頂と言える技だろう。
残念ながら現在に至るまで、発揮、その技の実態も、その映像も、見つけることが叶わなかった。
そして、球車。
この名前を知ったのは、私にとっての柔道の教科書とも言える漫画、新・コータローまかりとおる!柔道編の中での事だった。
コータローまかりとおる!は週刊少年マガジンで連載されていた、学園格闘漫画で、その最初のコータローまかりとおる!は極真空手をモデルとした極端流空手を中心としたまさしく空手編とも言える内容で、その武道に対する着眼点と奥深さは思わず私としてもうなってしまうほどだった。
そして新と言うタイトルがついた柔道編では、文字通りその主人公の空手家である新堂巧太郎が、柔道に挑むと言う形でストーリーが進められており、その中では、古賀稔彦をモデルとしているであろう伊賀稔彦が、竜巻一本背負いを用いて活躍していたり、そして主人公にあたるであろう西郷三四郎はもちろんその名前通りの姿三四郎のモデルとなった西郷四郎、彼の山嵐をひっ下げて、成長物語となっており、そしてヒロイン役とも言える三船クミは、当たり前のように三船久蔵をモデルにしているだろう、この名前の名づけ方も実にセンスがあると感嘆している。
この漫画の存在により、山嵐、空気投げ、隅落とし、そして三船久蔵の、その他様々な柔道家の活躍や技を知ったとも言える。
そんな三船久三が、最初はその代名詞とも言える隅落とし――空気投げて鮮烈な登場を果たすのだが、彼女が次なる秘技として出したのが、球車なのだ。
劇中、大会の中で千変万化の足技を持つ元インターハイチャンプを相手に、三船久三はその全てを躱しきる離れ業を見せつける。
それを彼の祖母は球の型取りと表現した。
中心を失わなければ倒れる事は無い、常に中心を失わないものとは何か?
球である。
一切無理のない動きと、敵の攻撃を無力化する無限の変化、敵の力が受け流され、敵は勢いを他方に展開する羽目に陥る、球の動きに秘められた千変万化の妙こそ、柔道の真髄である。
おさば回れ、引かば回れ、相手に応じ自在に変化する、修練次第によっては、心身ともに球になりきる、これを球の型取りと言う。
そして完璧なる受けを見せ、一瞬の空白をついた、相手の足元に滑り込む奇襲、相手は三船久三の足を躱し、そして残った右足に右手を添え、相手の体が見事に半回転を見せた。
それを劇中ではこう語っている。
人は突然足元にものを置かれると、反射的にそれを飛び越そうとする。
その習性を逆手にとって、瞬間的に手で足を払う。
私は最初この漫画を読んだとき、本当にこんな技あるのか、ほんとにこんなことありえるのか?
そんな懐疑的な思いに囚われた。
しかし実際にその映像を見たとき、そんな疑惑は一瞬にして吹き飛んだ。
三船久蔵のその実演の中では、解説はこう述べていた。
足元にものが落ちると、本能的に飛び越えようとする、この心理を応用して、体を相手の足元に捨て、右手で相手の膝を軽く抑えれば、頭上高く宙に回転する。
それを見たとき、私は思わず「すげえ……」と感嘆の息を漏らしていた。
滑り込み、手を添え、それによって相手の体が、文字通り宙に見事な球を描く。
球であり、車であり、円であり、それら全てが見事に無理のない動きで、調和しているように思えた。
これが武道の、その技とは、信じられないような心地になった。
さらに三船久蔵は新技の開発に加えて護身術にも造詣は深く、対突き、対蹴り、対棒、さらには対刃物にも及び、適切な対処法を確立し、それはまさしく柔道競技を超えた、生活に根ざした、心身一体となる武道そのものだった。
その追求は最終的に、柔道の根幹とも言える1つの言葉すらも、更新させることになる。
柔よく剛を和す
柔よく剛を制す。
それについて三船久蔵は語った。
制すという言葉はいけない。
地球は丸く、宇宙も丸く、球は和の象徴であるということから、
「柔よく剛を和す」
というのが、柔道の究極の原理です、と結論づけた。
1945年に十段を授与され、1954年久慈市名誉市民となり、1956年紫綬褒章受賞、1961年に文化功労者に選出され、1964には勲三等旭日綬章を受章された。
そして1956年に東京で開催された世界柔道選手権大会で審判を務め、戦後復興の旗頭として開催された1964年の東京オリンピックで柔道競技運営委員を務め、国際的競技としての「柔道の完成」を見届け、その翌年1965年1月27日に、喉頭腫瘍と肺炎のため81歳の生涯を全うされた。
その乱取りは、正しく漫画で描かれていた球の型取りそのもので、その体、動きで、球を、円を、つまりは地球、宇宙、平和を表す――柔よく剛を和すという理念、そのもののようだった。
まさしく武道を極めし柔道の神様、三船久蔵。
彼のその功績、信念、理念、その形が、これからも途絶えることなく長く伝え聞かれていくことを願って止まない。
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