Ⅲ/絶望のはじまり②
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本編
あれから、ずっと考えていた。
あの時、この身体に降り立った不思議な感覚のことを。
あの瞬間自分は、なにか違ったようにすべてが見えた様な気がした。
もちろん気のせいかもしれない。
だけど今までそれは一度も訪れたことはなかったし、そしてその直後自分はこうして生き延びることが出来た。
神といえば、神だったのかもしれない。
「なぁ、お嬢さん」
「?」
そこで唐突に、アレは声をかけられた。
それにアレは首の裏がビリっ、と痺れるような感じを味わう。
祖母以外の人に、初めて話しかけられた。
今まで見ているだけだった世界に、こうして飛び込んでしまったことで。
だから反応の仕方も、わからなかった。
ただ声のする方に、条件反射のまま振り返った。
見慣れぬ一人の男性が、こちらを見下ろしていた。
「…………」
不意に、アレは恐くなった。
男は突然家に押し入り、祖母を殺してすべてを奪っていたあの下卑た男たちと同じような鉄の塊を身体につけていた。
そして腰にはひと振りの剣。
あごに僅かな、無精ひげがあった。
それほど不潔な感じはしなかったが。
なにを言うべきなのかわからず、ただ身を竦めて、その男を睨むように見つめた。
しかし男はアレの様子に気づかぬように無遠慮な視線で舐めまわし、
「ほっほおぅ。こんな辺鄙な村で、ずいぶん上等な娘だな。肌も雪みたいに真っ白だし、髪もずいぶんと綺麗で……こりゃいい、役得って奴だな」
その文章に含まれる単語の、なに一つとして理解は出来なかった。
ただその視線と言葉に含まれる調子に、あまりよいことは言われていないだろうことは感じ取っていた。
だからただ、じっと男を睨んでいた。
それに男は肩をすくめ、
「っと。おいおい、だんまりかよ? ずいぶんとお高くとまってやがんだな。ならオレの方から聞いてやるよ。あんた、いくらだい?」
「――――は?」
そこで初めて、アレは反応らしい反応を見せた。
いくら、という言葉の意味なら知っている。
量や、時として価値のことを訊く単語だ。
しかし、それを人に――自分に、尋ねている?
わたしの、価値。
アレはただ、無言で男を見つめた。
それは問われた言葉を、なんとか理解しようと反芻していることに他ならなかった。
今までのような敵意とは、変わっていた。
しかし当然男にそんな事情を察することは出来ず、
「ん? ……ま、いーや。あんたくらいお嬢さんお嬢さんした上玉なら、いくらぼったぐられても構わねーや。いこうぜ」
アレの腕を掴み、連れ去ろうとする。
「ちょ、ちょっと……!」
それにアレは慌てるが、男は構う様子もない。ぐい、と座り込んでいるアレを引っ張り、それにアレの身体は持ち上げられ――
「あ」
カチャン、とアレの首かけてあったものが、地に墜ちた。
「お?」
それは、母が持たせてくれたロザリオだった。
最期の時、その身体を呈し、命を懸けてアレを守り、その血によって塗れ、土により汚れたそれは、純度が極めて低い安物の銀メッキにより作られていた。
しかしそれでも、貴重な貴金属だった。
「いいね、ロザリオか。あんた尼さん? こりゃ、売ればちょっとした金に……」
と男が伸ばした手――に深々と、四筋の傷がつけられる。
「っ?」
その勢いに、男の手は向こうへ弾かれる。
そして元あったその場所で――獣のように前傾し、八重歯をむき出しに息を荒げ、そして右手の爪を鉤ヅメのように構え、アレは息を荒げていた。
「ふーっ……ふーッ……!」
その異様な光景に、男は眉を曲げた。
甲からダラダラと流れる血を、反対の手で抑えながら。
「――――」
「ふー……ぐるるッ!」
「……っへぇ、面白ぇ」
と口を曲げて呟き、おもむろにシャラン、と音を立てて腰の剣を抜き放ち、それをアレに――手渡した。
「…………え。わっ」
ほとんど条件反射のようにアレはそれを受け取り、声をあげる。
とたんその重みで、剣先は地面に突き刺さる。その様子を面白そうに男は見つめ、
「女だてらに獅子の心を持った奴、初めて見たわ。おもしれぇな、あんた」
「これ……え? え? なに?」
「やるよ。牙はあっても爪がなきゃ、戦えないぜ?」
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