六十九話「日本刀」

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 不意に、声が隣から聞こえてきた。
 びく、と体が震え、朱鳥がおそるおそる隣を覗き見ると――

 橘哲侍が、そこにはいた。

 その巨大な肉体を、大きめなオレンジのスーツが包み込み、それはしっかりと整えられた髪の毛とマッチして、上品な印象を作り出していた。
 いつものような豪胆な印象はそこにはない。

 しかし、圧力は微塵も衰えていない。
 ただ、きつくないのだ。
 腕を組み、薄く笑みを湛えたその顔で、静かに夕人を見つめている。

 すると、夕人側のセコンドからも、上がってくる人影があった。
 丸い男だった。

 そういう印象が、最初に朱鳥の中で湧いた。
 でっぷりとした体を左右に揺らし、その男は現れた。
 その体は横に広がったカーキのスーツに包まれていたが、明らかに肉が溢れていた。
 その頬にもたっぷりと脂肪が揺れており、そのカーキ色と相まってターバンでも頭に巻けば似合うんじゃないかという印象を朱鳥は覚えた。

 男が口を開く。

「……このたびは、うちの夕人がとんだ迷惑をかけてしまい、すいませんねぇ」

 しっしっしっ、と男は笑った。
 その顔に張り付いた笑顔は、愛想笑い、という単語が実にしっくりときており、まるで商人のような印象を朱鳥に与えた。

 哲侍が唸る。

「ふむ……この落とし前、どうつけてくれるか、三枝(みつえだ)よ?」

 三枝と呼ばれたその男は、その丸い体を揺らし、アゴの下に手をおいて考えるような仕草を見せた。
 しかし、それは考えている、というよりも何か策を巡らせているように朱鳥の目には写った。
 やがて、何かを思いついたようにポン、と手を叩き、

「――夕人の反則負けにしていただいても構わないのですが……このままじゃ、そちらさんとしても収まりがつかないと思うんですよ。それで、今度はウチで決着の場を設ける、というのはどうでしょう? もしよろしければ、仕切らせてもらいますよ。でも、そちらさんの纏くんは、あの様子で――」

 そこで三枝は、ちらりと纏の方に視線を向けた。
 その姿はうつ伏せで、動く気配はない。

 ハッ、と朱鳥も気づき、後ろを見ると、そちらも考えは同じだったようで、慌てて医療班が治療に向かっていた。
 だが、あの様子では復帰には時間が……

「オレが」

 朱鳥の後ろから、声が掛かった。

 振り返るとそこには、右腕を三角巾で吊り、アゴに包帯を何重にも巻き、なおかつ足を引き摺った天寺が、これ以上はないというくらいの怒りの形相で、相手コーナー全体――特に夕人を、睨みつけていた。

「ヤツはオレが、」

 そこで、一旦言葉を切り、再び思い切り拳と歯を食い縛り、唸った。

「絶対、ブッ殺します……!」

 その剣幕に少しの間場が静まり――

「いいのですか?」

 三枝が声を出した。

「そこの彼、準決勝で夕人に負けているでしょう。それも一本負け。これじゃあ、またやってもぶっ殺されるのはどちらになることやら……」

 再びしっしっしっ、と周りをイラつかせる笑いを発した。
 それにつられるように夕人も、

「だいたい、そいつがうざかったんだよ。別にオレだって――」



 そこに、袈裟から日本刀が振り下ろされた。





 言葉を続けようとしていた夕人の顔が、目と口を避けるように斜めに斬り裂かれ、赤い血が滲んでいく。
 斬られた夕人はもちろんのこと、そこにいる誰もが突然の事に息を止めて硬直する。

 違った。
 刀ではなかった。

 それは、突然上空から振り下ろされた、一発の"蹴り"だった。
 見ると、哲侍の傍に、控えるように高い男が現れていた。

 大きい。

 横幅はないが、背は186はありそうだ。短く切り揃えられた髪と、肌が張り艶があるその顔立ちは二十代のものを思せたが、その瞳の色は常人には計れないほど深く、達人としての風格を備えていた。
 その男が、上からつまらないものに対してするように全く感情がともらない顔つきで、言った。

 ――お前は、黙ってろ。

 場が、重苦しい緊張感に包まれた。
 誰もがその男の凄まじい威圧感に圧倒されていた。
 夕人に至ってはあまりの恐怖にがたがたと震え、その真っ白な顔から流れ出る真っ赤な血がマットに零れるのもそのままに、その男を呆けたように見上げ続けていた。

 悪魔が、それを上回る死神に畏怖していた。

 その中にあっても、哲侍は腕を組み悠然と構え、天寺も依然夕人を睨み続け、三枝も変わらず商談を続けた。

「……しかし、高校生の試合だけでは、客が呼べません。そこでお金が取れるように、あなたにも出場願いたいのですが」

 そこで三枝は咳払いをし、怪しげな笑みを浮かべてその"あなた"の名を口にした。

「練仁会空手世界王者の、間六彦(あいだ ろくひこ)選手にもね」

 ここに煉仁会空手VS盟帝会空手の構図が完成した。
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