五十四話「白い悪魔」

2020年4月26日

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 橘哲侍は試合場正面の本部席で、腕を組んでいた。

 大会総責任者である彼は、大会中常にこの位置に控え、運営し、指示し、トラブルを解消し、試合を監査しなければならない。
 その顔には3回戦までを終え、疲労がありありと見て取れた。
 しかし、その眉は今、厳しくひそめられている。

 他流派の準々決勝進出。

 それが、哲侍の中に警鐘を鳴らし始めていたのだ。
 今までこの大会で、他流派から優勝者が出たことはない。

 出させたことが、ない。
 今まで弟子がよく精進してくれた結果であり、それは哲侍の誇りでもあった。

 建末は、強い。
 恵まれた体格に加え、自分に対する厳しさも併せ持っている。
 ゆくゆくはこの神奈川県を代表する選手の一人になる可能性も秘めている。

 だが――

 そして、試合開始を告げる太鼓が鳴った。



 最初に建末が突っかけた。
 いつものように澱みのない、重苦しい動きで間合いを詰めてから、重いローキックを放った。
 それを夕人(ゆうじん)は、脛で受け止める。

 一発で、体が大きく揺らいだ。
 会場がざわめく。
 脛で受けたのだ。
 防いだのだ。

 それにも関わらず、それも一発で、夕人の真っ白で質量のある体躯が揺らがされた。

 さらに建末は前進する。
 今度はその体に突きを叩き込む。
 一発ごとに、どす、どすと重たくめり込み、夕人の体が後方にズレる。

 その攻撃に、夕人が嫌がり、一旦距離を取った。
 その逃げた方向に体の向きを変え、建末は夕人を見つめる。

 その両手は、しっかりとアゴの両脇に張り付けられている。
 天寺にやられてから、彼のガードはさらに堅くなっていた。
 そんな状態であの質量に迫られると、それだけで対戦相手には相当なプレッシャーがかかるだろう。

 再び動き出す戦艦。
 重々しく歩を進め、間合いを詰める。
 距離は2メートル、3歩で建末の間合いになる。
 その一歩目を踏み出した、その時。

 突然、夕人が笑った。
 口を大きく開き、歯を剥き出しにするそれは、それこそ天寺が考えていた悪魔のようで――



 建末の体が、大きく左に揺らいだ。



 一瞬誰もが、今何が起こったのかわからなかった。
 だが、揺らいだ建末の右腕に被さるように夕人の"左足"がぴったりとつけられているのを見て、誰もが理解した。

 夕人が、左ミドルを放ったのだ。

 それも、ガードの上から――いや、それはむしろ"ガードを狙って放たれた"一撃、と言った方が正確だろう。
 脛で、右腕の骨を、文字通り叩いたのだ。

 建末の突進が止まった。

 会場に、戦慄が走った。
 建末の突進が止められたのは、前回大会含めて、初めてのことだった。
 それほど、建末の体には力があったのだ。

 しかし夕人は、それを左ミドル一発で止めてしまったのだ。

 再び夕人の口の端が、吊り上がる。
 建末の動きが止まったところに、追撃するように左ミドルが3つ放り込まれる。
 バシッ、バシッ、バシッ、という乾いた音が、会場に響き渡る。

 会場中に、音が響き渡ったのだ。
 その威力たるや、どれほどのものか。
 誰もが、息を呑んだ。
 その腕の状態を、想った。

 建末が一瞬、怯んだ。
 体が震え、わずかに後ずさった。
 あの、腹や足ではビクともしない男も、腕へのこの強烈な攻撃は未経験だったに違いない。

 そこに、悪魔が羽を広げて飛び上がった。

 その瞬間、会場の人間にはそのように見えた。
 夕人がそこに、両腕を伸ばした状態で、バネ仕掛けの人形のように弾け飛んでいったのだ。
 右半身(みぎはんみ)の状態で、覆いかぶさるように急速に肉薄し――直後。

 ずるり、と夕人の体にしがみつくように、建末の体は崩れ落ちていった。
 夕人の戦慄の飛び膝蹴りが、ガードとガードの隙間である真下から、建末のアゴを正確に打ち抜いていた。

「一本!」

 無情な主審の声が、会場に響き渡った。
 歓声は、なかった。
 夕人はそこで、醜悪なほどに口元を歪ませた笑みを作った。
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