#51「ぼくの答え」

2020年10月7日

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目次

本編

「どこまで?」

「いける、ところ……まで」

「遼ちゃんッ!」

 母親が、ぼくたちの会話にカットインをかけてくる。
 声こそあげてこないが、他の看護士さんや事務員さんや渡河辺先生も、似たような表情だ。
 それを見て、理解する。

 なんでぼくは、棚多さんとの間に作り上げたものと同じような関係を彼らと、築けなかったのだろう?
 なんでぼくは、ここまでひとり、悟った気でいたのだろうと。

 そう、思っていた。
 わかっていたつもりだった。
 みんなの想いなんて。
 だから心を閉ざし、愛想笑いをして人生を無為に過ごしてきた。

 遅すぎた。
 なにもかも。

 わかるまでが。
 想いがもう一筋、左目を伝って落ちた。

「あぁ……」

「どうしましたかな、成海さん?」

 棚多さんの声はどこまでも、穏やかなものだった。

「人生って……温かな、ものだったんですね」

「そうですなあ。あなたの瞳には、そう映りますかな?」

 そう言うということは、棚多さんの瞳には別の人生が映っているということなのだろう。

「遼……」

 彼女が、ぼくの名を呼ぶ。
 だけどどう答えていいかが、どうしてもわからなかった。

 どうしようもなく、迷ってしまっていた。
 予想通り、ぼくがぼくの意思で心残りなく死ねたのは、さっきが唯一無二の瞬間のようだった。

 みっともないと思う。
 だけどどうしても、残念だと思う気持ちだけは湧いてこなかった。

 だからぼくは、棚多さんに尋ねる。

「棚多さん、ぼくは……いったい、どうしたらいいですか?」

「生きなさい」

 まさか彼女と同じ答えだとは思わなかった。

「生きる、って……」

「生きなさい、成海さん。ただわたしたちに出来るのは、どこまでもそれだけです。生きる。いつか死ぬ、その日まで。それだけです」





 ぼくはまた、勘違いしていたようだった。
 言葉は額面通りの意味ではなかった。

 ただ、ひたすらに生きる。
 必死になって生きる。
 生きるために生きる。
 成海遼として、生き抜け。

 人生の本質は、生きることに。

「……勝手に死んでは、いけないんですね」

「勝手に死にます、ひとは」

 もっともだった。
 苦笑してしまう。
 どうにもぼくは、人生というものに関して修行不足のようだった。

 そのあと母――おかあさんを見て、裕子さんを見て、他の看護士さんたちや事務員さんたちを見て、他のお医者さんたちを見て、渡河辺先生を見た。
 今ならその姿がなにを物語っているのか、わかる気がした。

 みんな、ただぼくに生きて欲しいと。
 生き抜いて欲しいと。

 それだけのことを、これだけの行動と想いを持って、ぼくに伝えようとしてくれていたのだ。
 ぼくの気持ちを、くみ取りながら。

 それは気の遠くなるような作業だったろう。
 希望も、そして時間すらもない。
 じれったくて、だけど急かすことも出来ず、ずっとそんな日々を繰り返してきてくれたのだ。

 ダメだった。

「……いきたい」

 言葉が、止められない。

「生き、たい……生きたい、どうしても、どうやっても、なんでもいい……生きたい、生きて、いたい」

 涙は零れなかった。
 ただ切々と、ぼくは思った。

 願うでもない。
 実現性は問題ではない。
 ただひたすら、欲した。

 生きたい。
 生き抜きたい。
 それはみんなのため、今までの日々のため、そして結果的にぼく、自身のために。

「生きたい……」

「わたしは……」

 その言葉に被さるように、彼女が呟いた。
 それにぼくは、視線を下ろす。

 彼女は、酷く穏やかな表情を浮かべていた。
 泣いているわけでも、笑っているわけでも、もちろん怒っているわけでもないが、かといって無表情でもない。
 ただ穏やか。
 そうとしか表現が出来ない面持ちで、こちらを見つめていた。
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