老い先短い命

2019年11月10日

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 湯気が立つ湯のみが、こちらに差し出される。
 それを受け取ると、熱く、そして茶のそれ以外のものも伝わるような気がした。 

 たぶん、気のせいだけど。 

「……おいしい、です」 

「でしょう?」 

 朗らかに、笑う。
 それこそ、屈託なく。

 それは彼女のそれと、同じように。 

「誰が、持ってきてくれるんですか?」 

「生き別れた、女房でしてね」 

 ドキン、とした。聞いてはいけないこと。
 そう直感した。 

「す、すいません……」 

「いえ、いいんです。なにしろ、今日はよき日ですからな」 

 そういって、煎茶を美味そうにゴクゴクと、喉に流し込む。
 その表情には、陰りの欠片も見てとれなかった。

 生き別れたという奥さんの話をしているというのに、なぜ? 

「あの、棚多さん……」 

「なんですかな?」 

「その……な、なにをぼくに、聞きたいんですか?」 

「聞きたいのではなく、わしは成海さんと話をしたかっただけなんですな」 

「話、を……なぜですか?」 

 なぜ。
 当然の疑問。

 だってぼくは今まで、棚多さんと話したことがない。
 同室だというのに、だ。 

 それがなぜ、今日になって? 

「成海さん、あなたの方こそなにかあったんではないですかな?」 

 どうして。 

「なにが、ですか?」 

「成海さん、最近色々と考えごとが多いようですな?」

「わかりますか?」

「わかりますよ」

 ひとくち、お茶で口を湿らせた。
 それに、心が安らぐ。

 良いお茶というものは、本当に――本当は違うものだと、実感する。
 今までは、興味すら持っていなかったから。

「そうですか、わかりますか」

「はい、わかりますよ」

「すごいんですね、歳を重ねるというのは」 

「そうでもありませんよ。そんなもの、人生の旨味に比べたら三つ葉みたいなものです」 

 三つ葉とは、そちらの方がよほど洒落が効いていると思った。 

  そして同時に、確信めいたものも湧いていた。 

  そうなのか。
 そういうのがわかるのは、大したことがない。

 そうかもしれないと、彼女と話してきて少しづつ、そう思うようになってきていた。 
  なら―― 

「じゃあ、人生にとってのメインディッシュって、いったいなんなんでしょうか?」 

「みいんでっす、ですか?」 

 ご老体だった。横文字は通じないか。 

「人生にとっての煮魚は、なんでしょうか?」 

「楽しむことですよ」 

 なんと単純な、難しい答えなんだろう。
 ぼくは頭を抱えたくなった。 

 だけど抱えなかった。 

 お茶が美味しくて、吹いてくる風が優しくて、花々の香りが安らかで、聞こえる小鳥のさえずりが、心地よかったから。 

「楽しめば、いいんですか?」 

「そうです」 

 棚多さんは朗らかに、ゆっくりとお茶を楽しんでいた。 

「どんな病気になっていても、外に出たことがなくても、意気地も勇気も活力もない人間でも、楽しめばいいんですか?」 

「はい」 

「本当に?」 

「老い先短い命、嘘をつくような暇はありませんなあ」 

 老い先短い命。 

 短い命。 

 嘘をつくような暇は、ない。
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