#27「思い出を」

2020年10月7日

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目次

本編

 でも、錯覚だったのかもしれない。
 いましがた、月が雲に隠れたせいだったのかもしれない。
 事実そのせいでぼくたちの姿は隠されるように、世界は暗闇に包まれた。

 丁度いいと思えた。
 なにもかも隠してくれれば、それはもう――ぼくが弱音を吐きだしても、仕方のないことなのだから。

「だって……もういいこともないし、どうせおんなじことの繰り返しだし、痛いし、苦しいし、調子が良かったと思ったら次の日にはまるで神様にバカにされてるみたいにこんなんだし……もう、生きてる意味もないかな、って」

「遼は……」

「でも」

 初めてかもしれない。

 ぼくはひとの言葉を、遮った。

 それは場の空気だとか相手の気持ちだとかそういう色んなものを超越した、ただひとつのぼくの気持ちを伝えたいという想いだった。

「――思い出が、欲しい」

 絞り出すように出てきた、それはぼくの願望だった。

 奇跡を願うわけじゃない。

 奇跡は叶わないから、奇跡というのだから。
 現実はそんなに甘くない。
 そんなことはわかってる。

 わかってる。

 わかってるはずだ。

 わかってる、はずだった。

 だからぼくは、それだけを願う。
 周りはダメだと、もっと前向きにというかもしれない。
 だけどもうぼくは、こうなってしまったのだ。

 否定するなら、批判するなら、一度ぼくになってみればいいと思う。
 一年もすれば、そんなことは言えなくなると思うから。

 ぼくはそれを生まれてから、十七回も繰り返してきたのだ。

「どんな思い出が、欲しいの?」

「なんでもいい。ただ、ぼくの生きたあかしだと思えるくらいの……もう死んでもいいって、思えるくらいの。死と交換できるくらいの、思い出が……十七年も頑張ってきたんだから、それくらい、いいと思うんだけど……」

 そこまで言いたいことを言ったら、意識が薄くなってきた。
 また、眠るのだろう。
 それを知覚出来るくらいには、峠を越したらしい。

 ぼくは最後に、マヤを見た。

 既にその姿は、消えていた。

 最後まで聞いてくれていたのかだけが、気がかりだった。





 ICUから、ぼくの古巣に帰ってくる。

 こんな経験も、何度目だろうか?
 そのたびに思う。
 ぼくはあと、どれくらいの命なのかと。

 カラカラと、朝食が運ばれてくる。
 今日のメニューは、焼き鮭に大根おろし、金平ごぼうに味噌汁、ごはん。
 それをぼくは手を合わせて、口にする。

 泣きたくなるほど、それは美味しかった。

「成海さん」

 向かいからの久しぶりの声に、ぼくは顔を上げる。

「お久しぶりです、棚多さん」

「おかえりなさい、いや心配しましたよ」

 屈託なく笑う。
 顔のしわを深くして。

 それに以前は嫌悪感に近い感情すら持っていたことを、素直に恥じる。
 ぼくは色々考えておきながら、なんて表面的なものしか見ていなかったのだろうか。

「なんとか生還しました。――今年は、越えられそうです」

 日付を確認すれば、今日は大みそかだった。

 テレビでは年末番組が幅を利かせていた。
 院内では今度はそっちの飾りつけでてんてこ舞いといったところだった。
 なんだかんだで看護士さんたちも色々大変だと思う。

「そうですなあ。こういう生活をしていると、一年一年が大切に思えます、ありがたやありがたや」

 手を合わせ拝むような姿を見せる棚多さん。
 ブラックだけどユーモアはユーモアだった。

 ぼくは気にせず笑った。
 ぼくと彼の間だから、笑うことが出来る話だった。

 棚多さんも合わせて笑ってくれたあと、

「それで成海さん。出張している間、なにかありましたかな?」

 ぼくは思わず、笑うのをやめた。
 棚多さんを見る。

 飄々と、それは自然体のままだった。
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