第69話「禁句(タブー)」
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本編
そのあと彼女は、表面上は元に戻ったように見えた。
とりあえず人が集まった往来から、足元がおぼつかない彼女に肩を貸して、近くの公園まで行った。
上着の赤いシャツを脱ぎタオル代わりにしてついた埃をはたき、噴水の水で濡らして吐瀉物を拭って、ベンチでしばらく休ませた。
病院に行くことを何度も勧めたが彼女は首を横に振って大丈夫だとアピールし、結局僕の方が折れて彼女の様子が落ち着いたのを見計らい、帰らせることにした。
駅に向かう道中、お互い無言だった。
二人とも、ぼろぼろの格好だった。
彼女の黒い服は拭いきれなかった分が白く薄汚れしわだらけになっており、吐瀉物が付着した跡もあった。
顔や露出している膝頭周辺には擦り傷も見られ、額にはコンビニで買ったバンドエイドが貼られている。
僕の場合は上着はバッグの中にしまわれ、残ったTシャツはもう透ける一歩手前まで汗で濡れ、肌に張り付いていた。
ジーンズには彼女と同じような汚れが白く残っていた。
買ったネックレスは、取り敢えず今日のところはしまっておくことにした。
箱は、ラッピングがくしゃくしゃに乱れていた。
「今日はなにで来たの?」
駅前まで戻ってきたところで、彼女に尋ねる。
彼女は黙って駅の改札の方を指差す。
「電車?」
頷く。
確認して、一緒に改札に向かう。
改札前まで来て、僕はそこで止まり、彼女と別れる。
切符を買い、それを改札に通して、ホームに入って――
刹那、
「あ、あのっ!」
僕は叫んでた。
一瞬固まり、そして次の瞬間には何事もなかったかのように振り向く彼女。
その姿を見ると同時に、頭の中で叫び声が反響する。
――言うなっ!
叫び声は、なおも続く。
言うな、言うな、言うな――言うなっ!
何で言う必要がある?
何でここで確認する必要がある?
別に今日じゃなくったっていいだろう?
今日はこのまま、別れたっていいじゃないか!?
僕の中の警戒心が、臆病な気持ちが、懸命に警鐘を掻き鳴らしている。
だが、それ以上に強い衝動のような気持ちが、僕の口を突き動かしていた。
「なんで……」
言葉が、零れる。
「…………喋らないの?」
これを聞いたら僕の日常が、彼女との今の曖昧な関係が、壊れる、と思って、聞かずに済ませようとしてきた――それは僕にとっての、禁句(タブー)だった。
一歩踏み込むことは恐いことだから。
事情を知ってしまうことは、それだけ何かを背負ってしまうことだから。
曖昧な関係とかじゃ、済ませられなくなることだから。
――だけど、
今日一日彼女と過ごして、無邪気な彼女と出会い、一生懸命な彼女を知り――とまどう彼女を見つけ、そして自傷行為を行う彼女まで見てしまって――聞かずに過ごすことは、どうしても出来なくなってしまった言葉だった。
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