学園空手恋愛青春小説「刃と夜」

2023年10月27日

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前書き

人生最大の感動――小説との出会い

皆さんもなにかに感動したことはあると思います。

私は人生一番ともいえる感動の衝撃が訪れたのは、大学三年の夏でした。
一冊の小説。それに出会い、私は泣き、怒り、笑い、そして人生のそのすべてをたった四冊のシリーズただそれだけで、味わったような想いになりました。

それにより、私はある衝動に駆られるようになったのです。

完成まで三年を費やした処女作

私も物語を書きたい。そして誰かを、同じように感動させたい。

最初はただガムシャラでした。

私は、空手家の息子です。5歳からずっと空手だけをやってきて、だけど漫画やゲームは大好きでずっと触れてきて、そしてその影響で高校の頃からやたらと詳細な日記をつけてきてあとは現代国語は得意で満点しかとったことがない、ただそれだけの男とでした。

だけど受験失敗で上京して、様々な刺激の中、ノベルゲームというものに出会い衝撃を受け、最終的にライトノベルに出会った末に、自分にもなにか――と手探りで、必死で、とにかく衝動のままに書き進めました。

これは私の処女作です。書き始めたのは、大学の3年生のころ。

正直、かなり自分の状況が反映されてる感じはあります(笑)
でも実は自分の作品の中でもかなりの高評価をいただいているのは、実際完成までに3年くらいかけたから(笑)

燃え、萌え、ギャグ、バトル、大学生活、その頃感じていたすべてを詰め込んだ総合エンタテイメント作品

正直笑っちゃうようなことをいっぱい詰め込み、命を費やしてきた空手を軸に、とにかく人を感動させたい! そして可愛い子に萌えてほしい! 戦いで燃えてほしい! 友情に感情移入してほしい! と詰め込みに詰め込みました(笑)

拙いところは沢山ありますが、熱量では自作の中でもトップクラスだと自負しております。

青貴文学の出発点にして、ひとつの集約点。
一度ぜひお目通しいただけたら幸いです。

第一章「世界一」

第1話「おとうさん①」

 その頃の僕は、世界で一番強いのは、おとうさんだと思ってた。

 僕のおとうさんは、空手の先生だ。

 毎日夜六時半から九時半まで、あちこちの道場に行って生徒に空手を教える。

 週に五回行くんだけど、毎回毎回行ってるところは違う。道場が多すぎて、毎週同じ所を見てたんではとてもはあくしきれないんだそうだ。
 僕もおとうさんに週に三回ついて行くんだけど、全部で何箇所あるのかなんて全然わからなかった。
 合宿とか審査会とか、そういう大きな行事の時にはなんびゃくにんもの道場生がいちどうに集まるから、それはほんとうにいっぱいなんだと思う。

 道場で教えてる時のおとうさんは、凄くかっこいい。
 長年着込まれた白い道着に袖を通して、黒くて金の筋がたくさん入った帯をびしっと締めて腕組みしてるおとうさんの横顔は、まるでテレビどらまに出て来る昔の武士みたい。

 ちょっと後ろに後退してきてる髪の毛も、ちょんまげみたいでみょうに似合ってると思う。普段の静かな時と、道場生に気合を入れる時の掛け声のギャップは慣れてないと心臓が止まりそうになる。

 おとうさんはそんなに背がおっきいわけじゃない。
 筋肉もそんなにもりもりしてるわけじゃない。

 だからたくさんいる道場生の中には、おとうさんが見上げるような背が高い人や、おとうさんの腕の二倍は太い筋肉を持ってる人とかもいる。

 だけど誰も、おとうさんには頭が上がらない。

 なぜなら、だれより強いのがおとうさんだって、みんな知ってるから。道場生みんなから、とってもそんけいされてるから。

 おとうさんの腕や足の筋肉は、すごくはったつしてる。
 そんなにもりもり太いわけじゃないんだけど、使い込まれた金属バットみたいにしんがあって、むだな贅肉がない。
 胸や背中や首もおんなじように凄く絞り込まれてる。まるで筋肉のすじが、剥き出しになってるみたいに見える。

 おとうさんが手を握ると、作られる拳はぺったんこだ。
 普通のひとが握ってできるような盛り上がりがない。

 でも、触るとそれはとってもかたい。ほんとうに石とかを触ってるみたいに。すごく鍛えると、拳もぺったんこになるのかなと思った。
 聞いてみたら、これは拳がつぶれてるというのだという。よくわからなかった。もっと大きくなったらもう一回聞いてみようと思った。

第2話「おとうさん②」

 そんなおとうさんも普段はいつも笑顔で豪快で、休みの日にはあっちこっちに連れて行ってくれた。

 週末には近くの運動公園に行った。
 そこには色んなアスレチック器材があって、夢中になってやった。

 不安定な吊り橋を通ったり、ターザンみたいなぶら下がった縄につかまって下まで一気に下ったり、ジャングルジムのすっごくでっかいやつを両手両足でしっかり握ってばたばたと上を目指して登ったりした。
 僕にはおとこきょうだいがいなかったから、おとうさんもいつも一緒にやってくれた。

 その時僕は、おとうさんのすごさにびっくりする。僕が必死にバランスをとりながら吊り橋を歩いてるのに、おとうさんはその手摺の部分に立つのだ。
 僕が両手両足で落ちないように一生懸命ターザン用のなわにしがみつくのに、おとうさんは片手の、それも親指と人差し指だけでぜんたいじゅうを支えるのだ。
 みんながジャングルジムのでっかいのを芋虫みたいに這って進む中、お父さんだけその中に悠然と立って僕に声をかけるのだ。

 他にも近くのおっきいデパートに行ったり、お気に入りの本屋さんに行ったり、親戚のおばさん家に行ったりした。

 その中でもボーリングは僕のお気に入りだった。やる時はいつも家族みんなで。僕のライバルはもちろんおとうさん。
 絶対勝てないのにいっつも点数を競った。僕は小学校低学年の時はあんまりうまくなくて、調子がよくて六十点くらい。酷い時は四十点しかいかない時もよくあった。

 それでもおとうさんとボーリングに行くのは、凄くわくわくした。
 おとうさんが投げる時は、みんなが注目した。何しろ、フォームから凄い。

 ぐっ、て体中で力を溜めて、そこから凄い顔中の筋肉に力を入れてほとんど砲丸投げみたいな勢いで投げるのだ。
 ちゃんと下手投げだけど、球速が四十キロも出るのだ。僕がどんなに躍起になって投げても十キロちょっとしかいかないのに。

 それに終わったあとのゲームセンターも楽しみだった。

 そこにあるパンチングマシーン。

 僕が一生懸命叩いても四十キロ。
 で、お願いしてお願いしてお願いして、やっとおとうさんが照れくさそうに叩くと、そこに表示される三百キロの数字。

 おとうさんは、僕のヒーローだった。

 おっきいプロレスラーもボクサーのチャンピオンも、悪の手先も恐い総帥も、誰もかなわないと思ってた。どんな武器を使ったってムダだと思ってた。

 戦争になってもおとうさんがいれば平気だと思ってた。

 核爆弾が落ちてきても、おとうさんなら止められると思ってた。 

 そんなおとうさんのむすこなんだから、沙那(さな)は僕が守ってあげなきゃいけないと思ってた。

第3話「まっしろな夏と、黒いかげ①」

 テントの外では蝉の大合唱が行われていた。

 みーん、みんみんみんみーんと、まるで地鳴りのような調和音を響かせて、薄い皮のテントの中にもダイレクトに入ってきている。

 ぼんやりしていると耳元で鳴かれているように錯覚してしまうようなそれは、ただでさえ青いTシャツをびっしょりと濡らしている汗を、さらに根こそぎ搾り取ろうとするような鬱陶しさがあった。

 つう、と一滴汗が、こめかみを流れ落ちていった。

 使い古されたテントは外の熱気をまったく遮断してくれていない。湿気の高い熱気が辺りにこもっている。
 真っ白な日差しがテントの変色した黄色に塗り変えられて、僕らの間の空間を突き刺している。
 浮かび上がるのは交互に規則正しく積まれた剥き出しの木の骨組みと、無造作に積み上げられたトランプの山。

「はい、おにいちゃんの番だよぉ」

 目の前で、白のキャミソールに白のフレアスカートを履いた女の子が、七枚のトランプを両手で扇形に広げるように持って、こちらに突き出している。
 二箇所で結んだ先から伸びる緩くウェーブした髪の毛と、やや切れ長の無邪気な瞳が可愛らしい。

 妹の沙那(さな)だ。

 今年小学校に入学したばかりで、最初一緒に通学路を歩いたり、わからないだろうことを色々教えた時はハラハラしてたけど、今じゃすっかり自分のグループを作って楽しそうにやっているらしい。
 あんまり友達が多くない僕の方がむしろが頑張らなきゃな、と苦笑した。
 一年しか一緒の学校じゃないけど、それまでは色々と面倒を見てあげたいと思ってる。

 だって、たった一人の兄妹なんだし。

 右手に見える外の景色は、真っ白に照らされた山々が徐々にその本来の色である青緑色を取り戻しつつあった。

 僕は今、山の中のキャンプ場のテントの中で妹とババ抜きをしている。
 時刻は夕食どき、多分六時半くらいだと思う。

 おとうさんは休みの日にいつも遠くに連れて行ってくれた。
 冬休みは温泉とおとうさんの実家に。春休みは泊りがけで遊園地に。
 そして夏休みには海水浴と、この、山のキャンプに。
 それは僕が物心ついた時からの、毎年恒例のイベントだった。

 キャンプカーを借りてたくさんの荷物を詰め込んで高速道路に乗ってキャンプ場を目指して、僕と沙那が寝ている間に着いてリアカーを借りて荷物をゴロゴロ転がして運んで、テントを張ってそこで寝泊りする。

第4話「まっしろな夏と、黒いかげ②」

 右手に見える外の景色は、真っ白に照らされた山々が徐々にその本来の色である青緑色を取り戻しつつあった。

 僕は今、山の中のキャンプ場のテントの中で妹とババ抜きをしている。

 時刻は夕食どき、多分六時半くらいだと思う。
 おとうさんは休みの日にいつも遠くに連れて行ってくれた。
 冬休みは温泉とおとうさんの実家に。春休みは泊りがけで遊園地に。
 そして夏休みには海水浴と、この、山のキャンプに。
 それは僕が物心ついた時からの、毎年恒例のイベントだった。

 キャンプカーを借りてたくさんの荷物を詰め込んで高速道路に乗ってキャンプ場を目指して、僕と沙那が寝ている間に着いてリアカーを借りて荷物をゴロゴロ転がして運んで、テントを張ってそこで寝泊りする。
 昼間は近くの池にあるアヒルボートっていう両足で漕ぐやつで競争したり、持ってきたフリスビーを投げあったり柔らかいボールとバットで野球したりして、夜にはそれぞれのテントの前に備え付けてある炉辺でバーベキューをした。
 家族だけの時もあるが、親戚の人を呼ぶ時もあったので、そんな時は余計に非日常を味わう感じでドキドキワクワクした。

 今年は家族だけで、今日から二泊する予定だ。
 キャンプ場に着いてから夕方くらいまで妹とバドミントンやフリスビーをして遊んで、そのあとお母さんが、

『夕飯はバーベキューにするから、今からその道具を取ってくるから二人で遊んでおいてね』

 と言って出掛けていった。

 その後僕らは外で遊ぶのに疲れたので、テントの中に入ってトランプを始めた。

 テントはオーソドックスな白い布地の、でも随分使い古されて大分黄色く変色している物で、僕から見て右手の方に三角の形に入り口が開いている。

「うーん……どれにしようかなぁ」

 神経衰弱、大富豪と流れて、今はババ抜きをしている。妹の手の中にある七枚のカードから引くカードを吟味する。

 ……右から二番目だけ妙に出っ張ってて、妖しく揺れている。

「ほらほらぁ、どれにするのぉ?」

 さらに揺らしてにこにこ笑いながら挑発してくる。

 沙那(さな)は昔から、ずっと僕に懐いてきた。
 僕が漫画を読んでいるとよく後ろから顔を突き出して一緒に読んできたし、格闘ゲームとかやってるとやり方もわからないくせに、さなもやるーさなもやるーと言ってコントローラーをでたらめに叩いた。

 正直最初の頃は面倒くさいなあとか、鬱陶しいなあとか思ってたけど、今は僕もたった一人のお兄ちゃんとして構ってあげるのは当然だと思うようになった。
 やっぱり妹は可愛いわけで。

 でも、昔はひたすら無邪気だったのに、最近だんだん腕白になってきてるようだから、少しだけ将来が心配だ。

「――これだ!」

 意を決して、敢えて誘ってくる右から二番目のカードを引く。
 ここまであからさまな物を、敢えて狙い目にするような頭はまだないだろうと、確信しての決断だった。

 が、

「やったぁー!」

 ――やったぁ? ちょっと待って……

 沙那の歓声に、おそるおそる今しがた引いたカードを裏返す。

 ぐぁ……。

 そこに描かれているのは、全身黒ずくめの男が大きな鎌を振りかぶった、死神の姿を現した絵柄のカード――ババだった。
 ブラフじゃなく、本当だったのか……。

第5話「まっしろな夏と、黒いかげ③」

 僅か小学一年生でこの狡猾さとは……やっぱりちょっぴり将来が不安、というか怖くなったりした。
 なんだかんだで今日のトランプも通算で四勝十七敗だったりするから、そういうのは沙那の方が得意なんだろうな……。
 そして僕がを観念してそのカードを自分の手札に加えたその時、入り口の方から物音がした。

 地面に生えている草をわけてこちらに向かっているような音。
 ここのテントの土台は地面より四、五十センチほど高いところにあり、そこまで四つほどの階段を登ることになる。その手前に誰かが来ている。

「お父さんだー!」

 その音を聞くや否や持っていたトランプを放り出し、おとうさんっ娘の沙那が駈けて行こうとする。その時、

 グァ。

 ――っ!?

「ふぇ?」

 突然耳に届いた妙な唸り声に驚いた僕は、反射的に駆け出そうとする沙那の手を掴んだ。
 そのままぐい、とこちらに引き寄せる。

「おにいちゃん……?」

 不思議そうな顔でこちらを見る沙那を目の端に映しながら、僕はじっとテントの入り口を凝視していた。

 ――何だ、今のグァって?
 まるで動物か何かが威嚇する時に出す唸り声みたいな感じだった。とうさんがそんな悪ふざけする訳ないし……だとしたら、犬か何か――
 考えがまとまらないうちに、そのなにかの影がテント内に侵入してくる。

 丸い輪郭の頭っぽいもの。

 その時点で犬という考えは打ち消される。一瞬だけ、おとうさんの悪ふざけかと思う。
 だけどそれがさらに入ってきて、その後ろの輪郭も明らかになり、僕は喉の奥だけで声をあげた。

 首が無い。というより、首が肩と思われる部分に埋もれている。
 もっというと、両肩の幅が頭三つ並べたくらいある。

「お、おにいちゃんっ。いたいっ」

 脳裏によぎる想像に、恐怖に、沙那をきつく抱き寄せてた。背が低いから僕のお腹辺りに顔を埋めている。

 だけど僕はそれどころじゃない。

 あの大きさ、あの体の形、まさか……

 最悪の予想が像を結ばないように、必死に考えるのをやめようと頭を振る。
 だけど視界に映る影は無慈悲にその姿を現した。
 見た瞬間、僕は衝撃で沙那から手を離していた。

 おとうさん……ではない。その倍はあろうかという巨大な質量の体躯を持つ黒い何かが、そこにはいた。

 丸くて小さい黒い瞳が、無感情にこちらを見つめていた。

 それとほぼ同じ形、大きさの突き出た鼻。全身を覆う茶色い毛並み。両手に生えた長い灰色の爪が外の日差しを反射し、その頭からは二つの丸い耳が飛び出していた。

 それは――熊、だった。

第6話「まっしろな夏と、黒いかげ④」

 ……でかい。

 後ろ足だけで立った状態の頭が、天井近くに達している。おとうさんでもそこまで届かなかったから、おそらく百八十近くあるだろう。
 体の厚みはおそらく僕が両手を回しても足りないくらいはある。
 テレビで見た相撲を思い出す。あの力士さんたちは腰周りがこれくらいあったが、この熊は腕も足も全てがバランスよく巨大なのだ。

 背筋に、冷たいものが流れるのを感じた。今までの鬱陶しく暑かった汗が、急に体中を冷やしていく心地がした。

 熊はきょろきょろと辺りを見回したあとこちらに気づき、その大きな体をゆっくりと折り、屈んだ姿勢でこちらにのしのしと近づいてきた。

 気づく。

 人間とは違う尖った口の端から、涎が垂れていた。唇がめくれ、凶々(まがまが)しい牙が覗く。
 意図に気づき、足元から背筋にかけて冷気が駆け上がっていくような心地を味わう。

 ――まさか、食べる気か?

 恐怖で口に溜まった唾液を、飲み下す。
 ……冗談じゃない。

「沙那」

 僕は逃げようと思って、傍らにいる沙那を見た。

 沙那は驚愕と衝撃で腰が抜けてしまったみたいで、ぺたんと座り込んだまま目を見開いて熊がいる方を呆然と眺めていた。
 もう一度声を掛けたが、まったく反応が無い。
 まるで魂が抜けてしまったみたいに瞳を揺らして、熊を見つめている。
 とてもじゃないけど、こんな状態では立ち上がらせてなおかつ走らせるのは、無理のようだった。

「……沙那、逃げるぞ」

 熊を刺激しないように小声で声を掛けて、抱き抱えようとしてしゃがみこむ。
 その時、

 グアァ――ッ!

 唸り声とともに、熊がいきなりこちら目がけて駆けて来た。
 前足と後ろ足をバネのように使って全身で跳ねるように突撃してくる。

 突然の出来事に慌てて僕は逃げようと、沙那を抱きかかえようと手を伸ばした。

 だが、当の沙那の方はこの事態の変化に急に恐怖を思い出したようにガタガタっと震え、暴れるように後ずさり始めた。
 そのせいで掴もうとした手は擦り抜けて、空を切る。

「っ……」

 慌てて追いかけて、再び抱き上げようとした瞬間、既に目の前まで迫ってきていた熊が僕のちょうど左脇にいる沙那目がけて、左の前脚を振り上げるのが見えた。
 考える時間など、微塵も無かったように思う。

 その瞬間、長年練習して体に染み込ませてきた技が自動的に飛び出した。
 実戦の場においては、この時はこうして、や、この時はこう考えて、などと悠長にやってる余裕は無い、と実感した。
 実際役に立つ、出るのは、身につけたものだけなのだ、と。

 左上段廻し蹴り。

第7話「まっしろな夏と、黒いかげ⑤」

 妹を抱きかかえようとしてた手を思い切り引き、右半身の体勢から半回転して、遠心力を目一杯利用して力いっぱい地を蹴った左足で、熊の右手の腹――猫でいう肉球を、狙った。

 僕の最も強力で、かつ、絶対の得意技。右利きなのに凄く器用で綺麗だと、おとうさんにも誉められた。僕の必殺の蹴り。

 昔おとうさんも大きい動物を倒したことがあると聞いたことがあった。
 だから、はくりゅうからては無敵だ! とか、僕ももしかしたら、とか、そういう甘い期待があったのかもしれない。

「つあっ!」

 だけど現実には――蹴り足は熊の右手の腹に触れた瞬間、叩かれた方向に吹き飛ばされ、体が反転した。

 脊髄から頭のてっぺんに突き抜けるような激痛に、顔が歪む。
 まるで世界にひびが入ったかのような衝撃。
 痛すぎて、逆に笑えた。こんな痛いの、現実なわけがないって。

 呻く間もなく、また熊が左爪を振り上げる。

 ――くそぉ!

 ほとんどヤケクソのような気持ちのまま、ほとんど考えなしにただ思い切り、同じ足でその爪めがけて蹴り上げた。
 妹を守らなきゃいけないという、ただその一心だった。

 ぼり、

 という、何かが硬い物が磨り潰されるような音が、体を走り抜けた。

 一つや二つにじゃない。

 左足の脛がバラバラに砕かれる感覚に気が遠くなりながら、今度は身体ごと飛ばされる。
 歪に体をねじりながら、三メートルほど先に受身も取れずに背中から落ちる。息が詰まる。一瞬目が回り、上下感覚が喪失する。痛みが体中を侵食する。
 足を押さえて叫びながら転げ回りたい衝動を必死に押さえつけ、頭をめぐらし、熊の姿を探す。

 白いカーテンのようなテントの生地、硬そうな四角い柱、積み上げられたランタンやリュックや折り畳み椅子やガスコンロなどの荷物、三角形に切り取られた外の風景、

 いた。

 視界に捉えた熊は、こちらに向かっていた。
 立つ暇もない。熊は、走ってきていた。そのまま、頭から突っ込まれる。

 どん、

 という衝撃を胸に受け、妹とは反対側の端の柱に、テント全体が大きく揺れるほど激しく背中を打ち付けられる。

「――っぁ」

 ゆっくりと、前に落ちる。うつ伏せに、倒れた。

 胸が激しく痛む。

 まるで体全体が軋みを上げているかのよう。

 あばらの二、三本も折れたのかもしれない。

 胸を両手で押さえて、苦しくて体を折ると、床の木目に水滴が落ちた。
 顔に水がついてた。

「……っか、――っは」

 僕は自分でも気付かないうちに、泣いていた。
 身体がガタガタと、誰かに揺すられているかのように激しく震えている。
 ここに来て初めて、等身大の、現実味のある恐怖を感じた。

第8話「まっしろな夏と、黒いかげ⑥」

 ついさっきまでの僕は確かに動揺もしていたし、衝撃も感じていながらも、どこかまともじゃなかった。
 この毎年行われるキャンプという日常の中に、熊との遭遇などという非日常は、どうして現実感が持てなかった。
 だけど実際に叩かれて、頭から突っ込まれて、現実以外の何者でもない本物の苦痛を味わって、やっとそれが伴ってきた。

 痛み。

 死。

 それらのもたらす混乱に、どうしようもなく頭の処理能力が越えてしまって、胸を抱えて丸くなって現実から逃避したくなった。
 怖い、嫌だ、逃げたい、家に帰りたい、みんなと笑い合っていたい、おとうさん、お母さん……

 ――沙那。

「……はっ」

 そこまで考えたところで今の状況を思い出して、我に返り、顔を上げた。
 その瞬間、電撃のような衝撃が僕の体を走り抜けた。

 その瞬間僕の瞳に映ったのは、テントの隅まで後ずさり追い詰められた沙那の体にゆっくりと下りていく、熊の左爪だった。

 沙那――僕は痛みを忘れて駆け出そうとした。

 痛みはなかった。

 痛みが消えた。

 痛みだけじゃなかった。

 音も消えた。

 臭いも消えた。

 感覚も消えた。

 五感のうち視覚の以外の全てが消え去った。

 ただ目に映るものだけが全てになった世界の中、僕は駆け出そうとする。

 まるで世界がスローモーションになったような錯覚を覚える。最初の一歩。その一歩を踏み込むまで、たっぷり三十秒もかかっている気がする。
 その代わり熊の爪もゆっくりと下りていっている。
 その軌跡までがはっきりとわかる。
 その映像が強く網膜に残る。
 沙那は一歩も動かない。
 ただ呆然と振り下ろされる爪を眺めている。
 口を開けて、僕は聞き取れない叫び声をあげた。
 逃げろ沙那。
 立て。
 立って走って、逃げてくれ――。

 沙那は動かない。
 まるで幼稚園の頃に戻ったようなぼんやりとした様子で、今から自分に何が行われるのかわからないようにただ呆然とその爪が振り下ろされるのを見ていた。
 ゆっくりとしか動かない体をもどかしく思いながら、僕はもう一度届かない叫び声を上げた。

 熊の爪がゆっくりと沙那の右肩に食い込み、無惨に引き裂き、そのまま沙那は、頭からマットに叩きつけられる。

 小さな体がバウンドする。

 そして再び墜落したあとには、赤く丸い染みが、ゆっくりと広がっていく。

「――う」

 墜ちた沙那の体は、まるで何かの残骸のように見えた。

 瞬間、頭の中で何かが終わった。

「うわああああああああああああ」

 全身で叫びながら走ろうと思って、バランスを崩して床に転がった。

 途端冗談みたいな激痛が全身を暴れ狂う。見ると、左足が妙な角度に捻じ曲がっていた。
 そういえば、左の脛は砕けていた。そんな状態で走ることなど出来る筈もなかった。
 顔中に脂汗を流して、なんとか右足だけをたのんで立ち上がると、もう目の前に熊が迫っていた。

 好都合。

 僕は軸足には使えない、砕けた左足の脛を、熊の右側頭部目がけて見舞う。
 もう何も考えていなかった。ただ夢中で蹴った。
 その足目がけて、また左爪が振り下ろされる。

 この熊、左利きかよ……

 ごしゅ、

 そんな意味の無いことを回らない頭で考えながら、何かが磨り潰されるような嫌な音を聞き、僕の意識はそこで途絶えた――
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続きはこちらへ!→ 第二章「痕」

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