第51話「生きるとか死ぬとかじゃ、ない」

2020年4月4日

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 正治の言葉を遮るように、とうさんの声が飛ぶ。
 それを聞いて、僕と正治は駆け足で向かう。

 畳三十畳(たたみさんじゅうじょう)ほどのスペースの、板張りの道場。
 左右にある窓は開け放たれ、前方奥に立つとうさんは腕組みしてこちらを見つめている。

 今日来ている総勢四十二名の道場生が半分づつ右と左に分かれ、お互いに向き合っていた。
 とうさんが立つ奥の上方には神棚が置かれ、左の窓には道場訓が立てかけられている。

 とうさんの気合が飛ぶ。

「正面に、礼!」

 三十八名全員がとうさんの方を向き、握り締められた両拳で十字を切る。

「お互いに、礼!」

 三十八名全員が向き直り、握り締められた拳で十字を切る。

「構えて――」

 三十八名全員が各々(おのおの)思い思いの――と言ってもその大半は拳を顎のそばに添える、オーソドックスなものだったが――構えを取り、

「始めぃ!!」

 組手が始まった。

 湧き上がる怒号。
 打ち、蹴られる打撃音。
 踏みしめる足音。

 それらが渾然一体となり、熱気となって辺りにたちこめていく。

 そして、僕も戦っていた。
 目の前にいる、緑の帯を締めた中年の男が打ってくる突き、蹴りを捌き、タイミングを合わせ突き、蹴りを返す。

 組手は最初、下の帯の者を上級者が相手をする、指導的な要素が強い。
 だから最初から派手な打ち合いは行われない。
 それにしても――と僕は思う。

 甘い――

 顔を真っ赤にして放たれる拳。
 その緩さに溜息すら出る。
 たっぷりモーションをつけて送られる蹴り。
 その軸の乱れ方、体重の乗らなさ加減に顔を歪める。

 見ろ。
 脇は空いてるし、顔面もがら空きじゃないか。
 反撃とか、そういうことは考えているのか?

 思う。
 練習のための、練習だ。

 生きるとか死ぬとかじゃ、ない。


 六月一日、日曜日――デート当日。

 朝起きて味噌汁をすすりながら見たニュースによると、本日の平均気温は三十度を超える真夏日になるそうだ。

 白い無地のTシャツの上にお気に入りの赤い半袖のシャツを羽織り、胸にはネックレスを下げて外に出ると、空に浮かんだ活火山のような見事な入道雲と閃光弾のように激しく輝く太陽が絵になりそうな光景を作り出していた。

 視線を下ろすといつもの通学路が歪んで見え、何もかも蒸発しそうな熱気はアラビアやエジプトなどの砂漠がある国にテレポートしたかのような錯覚を受ける。

 足を踏み出すと、耳には蝉の大合唱が響き渡り、顔には一気に流れ出した汗が間断なく額を、頬を濡らし、対照的に喉は渇いて張り付いていく。
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