四十四話「お母さん子の、田舎もん」

2021年11月7日

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目次

本編

 橘纏は天井の風景を見つめながらそう思い、ゆっくりと布団の中から体を起こした。
 麻色のシャツタイプのパジャマを着ている。
 それは静かな物腰の纏によく似合っているものだった。

 哲侍がそれに気づき、声を掛ける。

「お、纏、目が覚めたか。どうだ、調子は?」

 ごつい筋肉の持ち主が、それを強調するようなピチピチのTシャツ、白い半ズボンを着てキッチンに立っていた。
 ……神奈川に引っ越してから半年。
 その間見続けた、その上に白いエプロンをつけてフライパンを片手に卵焼きを焼いているこの姿を見るたび纏は、この姿を見たら道場生は何人減るだろうか……という疑問に駆られる。

 首をこきこきと鳴らして、軽く伸びをする。
 疲れも緊張もさほど感じない。
 調子はいいようだった。

「ああ、調子は悪くない」

 ――そう、悪くては困るのだ。

 今日は、大事な日。
 目標への、第一歩。
 こんなところから、躓いてなどいられない。

「そうか。まぁ、気負わずいけ。お前にとっては初の都大会なんだ。最初から優勝だとか気負うことは――」

「おれが勝ったら」

 哲侍の言葉を、纏が遮った。

「勝ったら、次は――」

「勝てるかな?」

 今度は哲侍が遮る。
 同時に、ニカッと得意そうに口の端を吊り上げる。

「司はおれの弟子の中でも、ピカイチだぞ」

「もう倒し――」

「人は負けて成長するんだよ」

 再度哲侍は纏の言葉を遮る。
 まるでその先を、言わせたくないように。

「お前も見てるだろう、司の必死の姿を。あいつはお前に負けたことで、自分の中の殻を破ろうとしている。……いや、気持ちという点に限るなら、もう破ってるといっていいだろう。それが実を結ぶのがいつになるかはわからんが、そのきっかけをお前が作ったんだ。だからお前も、成長してこい」

 成長してこい。

 その意味は、お前も一度負けてこいと言ってるも同様だった。
 それを纏は噛み締め、過去の約束を思い出し、拳を握り締め、言った。

「父さん……おい、絶対負けんけんね!」

 方言が出た。
 それを聞き、哲侍はまたも口の端を吊り上げ、

「……行くぞ。お母さん子の、田舎もん」

 纏は不服そうに眉根を寄せた。





 熱い場所だった。

 もう季節は初冬だというのに、その圧倒的人の多さ、そこから発せられる熱気によって、この場所だけ局地的な夏に逆戻りしたような状態になっていた。
 一歩進むたびに体から、汗が噴き出す。

 それでもその人の波を掻き分け、会場の入り口を目指した。
 着てきたファーのジャンパーが、今となっては鬱陶しい。
 横目で、チケットを確認する。

『S席 A-17』

 再び前を見る。
 人の群れも同様に入り口を目指しているため、どれくらい進んだかわからない。

 ようやく会場に入ると、受付のお姉さんがチケットを半分に千切り、パンフレットをくれた。
 ゴツい人が現れると思っていたから、それで少しホッとした。
 案内された正面から、会場に入った。

 会場は、底抜けに広かった。
 体育館、だいたい二つ分ほどの広さ。

 真ん中に、周りから一段高くなった壇上のような場所があり、マットが敷かれ、赤いテープで四角に仕切られている。
 おそらく試合は、そこで行われるのだろう。
 天井には巨大なスポットライトが輝いている。

 ――ここで天寺は、戦うのか。

 スポットライトを浴びて、皆の注目を集める。
 それは、学校にいるときの冴えない彼からは、想像が難しいように思えた。
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