#38「浄化」

2020年4月4日

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 それもまた、ピースのひとつのようだった。

「マヤ……」

「じゃあの、若人(わこうど)。年寄りは、帰るからの」

「え? あの……鍵は?」

「そこの机の上にある。閉めて帰ってくれや」

 去ってしまった。
 なんの前触れなく。

 そして電気が、落とされる。
 暗くなった図書室。
 ぼくと彼女しかいない、空間。

 ぼくは、振り返った。

 彼女は青い髪で、青い瞳で、後ろに手を組んで、こちらを黙って、見つめていた。
 発光しているんじゃないかと錯覚するほどの、美しさで。

「マヤ」

「遼」

 夜の彼女が、なぜか一番美しいと思った。
 マヤのヤは夜という漢字が当てはまるんじゃないかと、思ったりした。

 そのまま、じっと見つめ合った。
 時間感覚は、いつの間にか失われていた。
 だからどれくらいかなんて、考えもなしなかった。

 時計が、その瞬間なぜか視界に映った。
 時刻は、ちょうど2時を回っていた。

 ぼくたちはどちらともなく、近づいていった。
 距離はあっという間に、ゼロになった。
 そしてぼくは生まれて初めて、決してあることはないだろうと思っていた抱擁を、交わすことになった。

 ぼくから手を伸ばした、わけじゃない。
 そんなこと、出来るわけがない。
 経験がないのだ。

 それはもう実証済みなのだ。
 本で読んで知っているからといって、出来ることと出来ないことがあるということを。

 ぼくはただ、彼女の方に微かに重心を移動させたに過ぎない。

 それを受け入れてくれたのが、彼女だった。





「…………」

 彼女は微かに傾けたぼくの身体を、その小さな両腕で、包みこむように、受け止めてくれた。
 ぼくはそれに一瞬、微かに震えてしまった。
 こんな人との交流、初めてだったから。

 恐怖があったのか。
 怯えたのか。

 それとも期待が、怖かったのか。
 条件反射だったのか。

 自分の感情が、わからなかった。
 処理、出来なった。
 そんな余裕、なかった。

 ただただ、ただただ、全力で、全身で、彼女を感じていた。

「――――」

 言葉だけじゃ、なかった。
 ひとと繋がる方法は。
 いやむしろ言葉ってひとと繋がるのを妨げてしまうんじゃないかと考えてしまうくらい、それは――

 いや。

 それこそ、言葉はもういいか。

 ただただ、彼女は、温かかった。

「…………マヤ」

「遼」

 ただ、お互いの名前を呼び合うだけ。

 それだけが、ぼくの胸に染み渡るよう。

 マヤって、なんて美しい名前なんだろうと思った。
 世界中で、これだけ美しい名前はないんじゃないかと思った。
 それを呼べることに、これ以上ない幸福を、感じた。

 彼女はぼくを、受け入れてくれた。

 誰かがぼくを、受け入れてくれたという、事実。

 透きとおるようだった。
 ぼく自身という存在が。

 それはなんだったのか。
 ぼくという汚れた存在が、彼女という純粋な存在に浄化されているのか?

 もちろん常識的に考えてそんなこと、あるわけがなかった。

 だけどそう感じてしまえるくらい、これは感覚を、越えていた。

 永遠だなんて、歌詞で使われるわけだ、と皮肉にも思ったり、した。

「マヤ……マ、ヤ」

「遼」

 なんできみは、そんなにいつも通りなのか。

 それが気がかりで、仕方なかった。

「……マヤ?」

「遼は、なんで遼なの?」

 一瞬脳裏に浮かんだのは、ロミオとジュリエット。
 今日薦めた本のひとつだ。
 最初に読んだのは、もう何年も前になることか。

 ロミオよ、あなたはなんでロミオなの?
 その意味するところは、境遇。

 きみがそれを、言うんだ?

「じゃあ、マヤはなんでマヤなの?」

「わたしは、妖精だから」

 そういえば、その意味するところが知りたいとは思っていた。

「そういえばマヤ、その妖精って――」

「妖精だから、一緒には――」

 唐突に。

 なにを言うんだって、思った。

「マ、マヤ?」

「一緒には、いられないから」



 唇に、濡れたような感触が触れた。

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