#36「食堂」

2020年10月7日

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目次

本編

 彼女は歩きながら振り返り、

「遼に、会いたくて」

「?」

 結局疑問符だった。
 夜に会えるじゃないか。そう思った。

 だけど女性の気持ちというものは、複雑なものだと聞いたことがある。
 きっと、そういうこと――なのだろうか?

「それで、どこに向かってるの?」

「食堂」

 耳を疑いそうになった。

「え……な、なにしに?」

「一緒に、お昼ごはん食べよう?」

 振り返り、純粋な瞳で見つめられてしまう。
 そこからはキラキラと光が発射されているようですらあり――

「そ、そうだね?」

 そう答えるしか、なかった。

 食堂は、外来の患者さんたちで賑わっていた。
 白を基調とした清潔感のある十数名分の席は、だいたい埋まっている。
 そのうちいくつかだが空いている――隅の方の席に、座る。

 向かいに彼女が、座る。
 当然視線が、絡む。
 ぼくは照れ隠しに、微妙な笑みを浮かべた。

 彼女は真っ直ぐにぼくを見つめ、ニッコリと笑顔を浮かべた。

 バカみたいに、心臓が高鳴った。

「あ、はは……」

 彼女の変化に、ぼくは戸惑うばかりだった。

 でももちろん、嫌なわけではなかった。
 だからぼくは、心のままに生きることにした。
 なんだかんだいってぼくはこのフレーズが気に入っているみたいだった。

 話を本題に移して、

「じゃ、じゃあ、なに食べようか? っていっても、ぼくもこの食堂を使うのは初めてだから何もわかんないんだけど――」

「いらっしゃーい、なに食べるかい?」





 話をへし折るタイミングで、食堂のおばちゃんがメニューを持ってきた。
 たくましくて、ぐいぐいくる感じで、なんだか裕子さんを彷彿とさせる。

 それにぼくは苦笑いを浮かべ、

「はぁ、まぁ、その……」

「あら、あんたたちカップルかい?」

 ズケズケ過ぎる。
 ぼくはやり過ごそうかと一瞬考え、

「カップルです」

 マヤの真面目くさった返しに、開けた口が塞がらなかった。

 それにおばちゃんはニヤニヤして、ぼくの脇腹なんか肘でついている。
 もーどーにでもなれ。

 ぼくは否定せず相手にせず、メニューから焼き魚定食を頼んだ。
 彼女の方はというと、

「わたしも、焼き魚定食」

 結局二人して、同じものをつつきあう羽目になった。
 羽目になるという言い回しは、さすがに失礼か?

 むしゃむしゃと、会話もなく食事は進んだ。
 途中一回だけ彼女の方を見て考えたが、結局食事に集中することにした。
 こういう時、会話をするような間柄じゃなかった。
 だらだらと無駄なやり取りを交わすような関係じゃ、なかったから。

 食べ終わる。
 美味しかった。
 綺麗に骨だけ残して、内臓まで食べた。

 病院食が美味しくないわけじゃないけど、それとは違って野趣溢れる独特な味わいというか――よく考えるとこれもまぁ、病院食に含まれるのだろうけど。

「美味しかったね」

「おいしかった」

 ただそれだけ言いあって、そして笑い合った。
 遠慮がないやり取り。
 気を遣わないやり取り。
 それが、嬉しかった。

 楽しかった。
 心から。

 そのあと、談話室に向かった。
 そこで二人でテレビを見て、過ごした。

 やっていたのは他愛もない、ありきたりなバラエティ。
 ぼくたちは笑顔もなく、そして会話もなくそれこそぼんやりと眺めていた。

 内容が頭に入っていたのかどうかは、よくわからない。
 なんとなく覚えているような気もする。
 だけどなにより大切なのは、それほど無防備な時を誰かと過ごせたことだとぼくは思うんだ。
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