#14「いい天気」

2020年10月7日

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目次

本編

「あ、はい、どうも……あの、ぼくは、成海遼――」 

「知っとりますとも。いま呼びましたじゃろ?」 

 もっともだった。
 結構ぼくはこれでテンパっているらしい。無理もない話だった。

 そも、ぼくは人と話すスキルは高くない。受け流すスキルはそこそこ自信を持っているが。 

「で、ですね。その、なにか……?」 

「用がなくては、話しかけてはいけませんかな?」 

 その言葉に、ぼくはぐぅの音も出ない気分になった。
 それはもっともだったが、しかし同時にそれは実現しないことでもあった。 

 用もない人は、ぼくに話しかけてくることはなかった。
 だからそれがあたり前というより、それしか在り得ないと思っていた。 

 ぼくはどう受け取ればいいんだろうか? 

 ぼくはどう思えばいいんだろうか? 

「……そ、そんなことはもちろんないですよ?」 

 そこまでは言えた。
 だけどそれ以上は何も言えなかった。いうべき言葉を持ってはいなかった。 

 ぼくにどうしろっていうんだろうか? 

「よい、てんきですなあ」 

 最初ぼくは、その言葉が意味するところを理解出来なかった。 

 てんきが天気だとわかり、そして彼の視線の先を追い窓の外の景色を見た。 

 いつもとなにひとつ変わらない中庭と向こうの病棟が、そこには広がっていた。 

「いい天気、ですね」 





 対人スキル、起動。なにげない会話を相手に合わせるのは、得意だった。
 こんなことなら心を凍らせて、何時間でも話していられる。

 なんだ、このご老体はただ話し相手が欲しかっただけなのか。 

「あなたもこんな曇り空が、お好きなのですかな?」 

 問われ、ぼくは僅かに動揺した。 

  よく見ると、確かに空には灰色の雲がかかっていた。
 そのせいで空全体がまるで澱んでいるような印象になっている。これが好きかといわれれば―― 

「まぁ、嫌いではないですかね?」 

「嫌いではない? ではあなたは、どんな天気が好きなんですかな?」 

「好きな、天気……ですか?」 

 動揺、そして困惑。
 そんなこと聞かれても、正直困ってしまう。 

 天気なんて、気にしたこともないし。 

「……えーと、」

「なんですか。好きな天気もないのですかな?」 

 なんだか、小馬鹿にしたような口調だった。
 だからそれが、気にかかった。 

 というか、気に障った。 

 なんでそんなこと、言われなければいけないのか? 

「……ありませんね。悪いですけどぼくは生まれてこの方、この病院から出たことがない身でして、正直毎日検査と点滴と投薬で、そんなことを考える余裕もありませんでした」 

「理由になるのですかな?」 

 なにが? 

 というかなにが言いたいんだ、このご老体は? 

「どういう意味ですか? 理由というのは、ぼくが好きな天気がないということの、ですか?」 

「そうじゃあないです」 

 酷く緩慢とした、一種イライラさせるほどの動作だった。 

 早くして欲しかった。時間が惜しい。 

「だからなにが――」 

「あなたは、生きるのは楽しいですかね?」 

 ムカっとした。
 ストレートに。 

「楽しかないですよ」 

 楽しいわけがない。

 生まれてこれまで、一度もこの病院を出ることもなく、そしてなにものをも成することもなく、あと三週間も保たずに死ぬ身だ。 

 楽しいわけがない。
 それどころか世の中探してみても、ぼくほど不幸な人間もいないだろう。 

 こんな質問、常軌を逸している。 
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