三十二話「中段の武器」
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目次
本編
改めて天寺の顔を覗き込んだ。
その視線に天寺はハッ、と顔を上げ、慌てて視線を合わせる。
その視線に天寺はハッ、と顔を上げ、慌てて視線を合わせる。
それを確認して哲侍は、
「――纏に、勝ちたいか?」
ずくん、と天寺の体が波打った。
纏に勝ちたい――それは、もはや何度かわからないほど自分の中で繰り返されたフレーズだった。
それを哲侍に問われたということは――
「勝ちたいか?」
「押忍ッ!」
叫んだ。
それは天寺が意図した叫びではなかった。
心の裡から迸った叫び。
心の底から、初めて叫んだ"押忍"だった。
押すために忍ぶ。
勝つためには、何でも出来そうな気がしていた。
「そうか」
哲侍は、その顔に快活な笑みを浮かべた。
あるところでは強烈な中段蹴りを腹で受け、そのまま前に出て殴りつけていた。
またあるところでは蹴り足を一瞬掴み、そのまま残った足を刈り取った。背中から落ち、轟音が道場に響く。
普段の稽古ではまず見られない、上級者のみによる荒行。
その光景から少し外れた、入口右手の鏡の前で、天寺と哲侍は向かい合っていた。
「司。お前の強みは、なんだ?」
ガア、と野獣のような吼えとともに、誰かが床に叩きつけられた音が聞こえた。
「蹴り……だと思います」
「センスだ」
喧騒は止まず、二人の背後を蠢き続けた。
「確かにお前は技を覚え、高めるセンスは人より飛びぬけている。だが、お前が纏のようにパワーで対抗しようとしたって、それは無理だ。人には向き、不向きというものがある。それは筋力トレーニングが必要ない、という意味ではない。戦い方そのものを変えるな、という事だ」
それはつまり、力で負けたから力でやり返そうとしても、無理だという事。
つまり――
「筋力トレーニングは続けろ。大事なことだ。だが、お前が纏に勝とうと思うなら、どうしても必要なものがある」
そこで哲侍は右手で拳を作り、そこから人差し指を突き出し、それで天寺の腹を押した。
「中段の、武器だ」
その後それを引き、指をしまい込み再び拳を作り、それで軽く天寺の腹を叩く。
天寺がつぶやく。
「中段の……武器」
「そうだ。お前の上段の蹴りは、確かに目を見張るものがある。キレもタイミングも申し分ない。当たれば、同じ歳どころのやつならまず間違いなく倒れるだろう。
だがな。上段の蹴りを当てるには、伏線が不可欠だ。上段への攻撃は誰でも警戒している。唯一鍛えられない箇所なんだ、当然だ。そのためには、中段か下段で相手の注意を引く必要がある。お前の中段、下段への攻撃の巧さ、速さ、的確さは認めよう――だが、な。どんなに巧く伏線を引いても、その伏線に威力がなければ話にならん。伏線ではいかんのだ。それで、」
もう一度引き、今度は少し強めに叩く。
天寺の体が微かに揺れる。
「倒せなければ、相手は見向きもせん」
――中段。
今まで天寺は、中段蹴りを真剣に練習したことはなかった。
倒すのは上段。
そう決めていたから。
中段ではどんなに強い突き、蹴りでも、一撃で倒すのはほとんど不可能に近い所業だった。
選手はみな、鉄板のような腹筋を作って試合に臨む。
一撃必殺。
それを地でいきたかった天寺は、中段は形さえ出来ればいいとさえ考えていた。
「勝ちたいか?」
少し上の位置から、試すように哲侍が天寺の顔を覗き込んでいた。
それはこれが最終確認であるような、そんな重々しさに満ちていた。
――だが。
天寺にも、もうあとに引けない、覚悟があった。
あの時。
纏に蹴り飛ばされ、みっともなく転がったあの時に。自分は、決めたのだ。
もう、引かない。
みっともなくとも、足掻く。
押すために、忍ぶのだと。
「押忍ッ!」
叫んだ天寺に対する、哲侍の答えは一言だった。
「前蹴りだ」
「――前蹴り、ですか?」
それは天寺にとって、予想外の言葉だった。
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