ⅩⅢ/弓兵⑥
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本編
懇願、悲願、哀願に近いモノか。
それをアレは唐突にマテロフに、叩きつけた。
それはそういうに相応しいほどの、想いの濁流だった。
公平、という概念すら存在しない。
マテロフ流に言うなら、それは一種の怪物だった。
「……貴女は、だれ?」
ハッキリと、言葉が震える。
掴み上げているのは、肉体の主導権を握っているのは自分の筈なのに、場の主導権はいま――というより思えば最初からずっと、彼女に在った。
怯えていた。
格が違った。
勘違いだった。
これは自分などが手に負えるような相手では、なかった。
「わたしの名前、ですか? アレ・クロアといいます。
小さい頃からずっと、ベッドの上で暮らしてきました」
笑顔で、それがいえる。
外の世界に出てなお、相手に告げられる。
その異常を、いま、初めて掴み取った。
思わず、手を離していた。
同時にアレはマテロフの戒めから解き放たれ、地に墜ちる。
その"筈だった"。
とん、と軽やかにアレは地面に、着地した。
両足で。
「……なんなのよ」
もう、訳がわからない。
演じていたというのか、今まで弱い人間を。
だがなんのために?
倒れ、血と土に塗れ、なお笑う意味がわからない。
同情を誘うためか?
それで味方を増やして、ことを成すためか?
そう考えれば納得できる気もする。
だがなぜそれを、この場で晒す?
私が喋らないとでも高をくくっているのか?
それとも逆で、私を懐柔――
「なんでも、ナイ」
わらった。
気づいた。
マテロフは。
アレの笑みが、変化した。
無邪気も過ぎると、毒になるという。
まるで半円型に作られた目と口の形は、なにかの仮面のよう。
そう、それは――
「ただ、ヤルといえばヤルだけの話」
嗤うという表現が、ピタリと合っていた。
その瞳は、なぜか金色に輝いて見えた。
僅かな齟齬。
だけどマテロフは、感じ取っていた。
アレの様子が明らかに変貌し、その発音が歪なものに変わっていることを。
ヒトのふりをしている、人形。
なぜかそんなイメージが、マテロフの脳裏に駆け巡った。
「――貴女は、なんなの?」
質問が、変わっていた。
人となりどころじゃない。
"人かどうか"すら、わからない相手だなんて見たことがない。
「わたシは、アレ・クロアでス。さっきも、言ったでショ?」
歪な発音は、鼓膜に障り、心臓に悪かった。
苛立ちとも恐怖とも不快感ともつかないそれに、マテロフは無意識に手を懐に忍ばせていた。
「なにがしたいの?」
「世界を変えたいデス」
「どうやって?」
「わかりまセン」
「それで変えられるとでも思ってるの?」
既視感さえ誘発される同じ会話の内容はしかし――
「変えまスよ? こうやっテ」
不意に差し出された手――から発生したなにかによってマテロフの得物は宙に、舞った。
「っ……!」
突風のようだった。
それによりマテロフの白金の髪は舞いあがり、視界すら霞む。
しかしマテロフは狭まった視界の中で咄嗟に手を伸ばし、短剣を掴んだ。
柄ではない、刃を。
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