ⅩⅢ/弓兵⑦
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本編
痛みに、顔をしかめる。
だけど場所を選んでいる余裕はなかった。
掴んだ端から血が滲むのもお構いなしに、マテロフはて早く手の中で一回転させ、柄の部分に持ち変える。
「……おまえ、何者だ?」
口調が完全に、切り替わる。
男のものに。
そして敵意あるものに。
確定した。
この娘は、在ってはならない類のものだ。
「だかラわたシはアレ・クロア――」
「ふざけるなッ!」
一喝。
マテロフは踏み込み、上半身を屈め、一気に間合いに入る。
先ほどの怪奇現象の意味はわからないが、こうして近付いてさえしまえば、条件は同じだ。
短剣を少女の喉元に、突き立てる。
それで終わり。
世界を変えるなどという戯言も、在り得ない思考も、気味の悪い言動もなにもかも無に帰した。
その、筈だった。
「な、んで……ッ!」
マテロフは、満身の力を込めている。
全身全霊、体中の筋力に加えてなけなしの体重すら総動員して、アレの喉元にその刃を立てようと、力を振り絞っている。
だがなぜそれは、彼女の喉元手前二センチの――宙空で、停止させられているのか?
「っ、く、あ、ァ……!!」
理解できない。
なぜこれ以上刃が先に進まない?
理屈では考えられない。
常識ではとらえられない。
だから到底、受け入れられなかった。
不可視の力が、働いているなど。
「どうしたんでスカ? なんでそんな危ないモノ、持ってるんデスカ?」
くりっ、と可愛らしく少女は首を傾げる。
もはや少女のどんな仕草もマテロフの癇に障るものだった。
もう一度だけ思い切り短剣に力を込めて、
「ッ、ぐ……ちぃ!」
舌打ちして、大きく後方に離脱した。
3メートルは一足飛びに跳躍し、片手をついて地面に着地し、敵を睨む。
ゆらゆら、と左右に揺れている。
まるでかかしのように、赤子をあやす玩具のように。
その瞳は、こちらを捉えてはいない。
だがだからといっても何も見ていないわけではないが、少なくとも後ろの光景というわけでもなさそうだった。
要はなにをしたくてなにをしようとしているのか、まったくわからないということだった。
「…………?」
再びくりっ、と首を傾げる人形。
それに自然に手を振り――足元のそれを、投石。
石つぶて。
対人戦において弓に次ぐ威力を発揮する攻撃手段だ。
早い者は生まれついてからすぐに練習を始め、熟練者になれば的確に狙った相手の骨を砕くことが可能になる。
それを、敵の左足首へ。
行動を封じることと、相手の奇妙な不可視の力がどこまで及んでいるかを試すことが目的だった。
ごう、と風を巻き起こし歪な形の石がアレの足首に殺到する。
「え……ワ」
小馬鹿にしているようにさえ聞こえる驚きの声と――続いて聞こえる、ガキン、という石が弾ける音。
石つぶては少女の遥か後方に、消えていった。
「…………」
「危ないナあ。なんデこんなことすルんでスか?」
もはや、マテロフは少女の戯言を聞いてはいない。
ただじっと、その様子を見つめているだけだった。
そして戦略を、講じていた。
――次の対抗手段が、自分にあるか? 近距離による短剣、遠距離による投石が失敗した。あの不可視の力が、すべてを弾いた。ならばあれを発動させないようにしなければならない。あれは盾のように、固定されたものなのか? ならば意識の外を突けば崩せるか? ならばまず、敵の視覚に
「ねエ?」
襟首を――掴まれた。
「!?」
まさかありえない、絶対に。
敵は目の前におり、そこには4メートル近くの距離がある。
まさか他に仲間が?
振り返り、確認しようとしたマテロフだったが――その身体がいきなり唐突に、前に"引かれた"。
「っ! く、ぅ!?」
わけがわからず、そしてあまりに前触れもなかったため抵抗も出来ずなにか猛烈な力に引っ張られ――アレの目の前で、急停止した。
「なんデ答えテ、くれないんデスか?」
この少女が、引っ張ったのだ。
根拠も何もなく、マテロフは悟った。
これは、ひとではない。
天使だと揶揄で言ってみたが、冗談ではない。
わかってしまった。正体が。
こんな真似が出来るとすれば、それは――
「貴女は……魔女、なの?」
マテロフは初めてそこで心が折れ、年相応の女性の心もちになってしまった。
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