“松井章圭を倒した”為永隆 真樹日佐夫も認め20歳で竹山晴友、今西靖明、竹和也を破り中村誠に惜敗も松井から唯一技あり奪い3位に輝いた内弟子の星!
第9期の内弟子
天才と謳われ、17歳で出場した第12回全日本大会でいきなりのベスト4、それから連続の入賞を重ね、三強と呼ばれた格闘マシーン黒澤浩樹、城西の爆撃増田章を振り切り、第17回及び第18回全日本空手道選手権大会を2連覇、その初出場の第3回世界大会3位、そして第4回世界大会で優勝に輝いた松井章圭から、唯一技技ありを奪った男、ご存知だろうか?
為永隆。
栄えある第9期という初期の本部内弟子であり、19歳にして茶帯というあの真樹日佐夫とも邂逅を果たし、印象を残したといい、さらには組み手も行い、
大器の片鱗を見た。
とまでいわしめ、
何より手技と足技のバランスが良い上、左の廻し蹴りの角度が実戦向きに鋭く絞られており、これは天性のものか、あの大石代悟の全盛期を彷仏とさせ、それでいて大石の蹴りほど華麗さのないところが、かえって不気味でもあり……ひょっとするとこいつは中村誠、三瓶啓二で支えている現在の時代の後を担う者たちの最有力候補かも知れんぞ。
と讃えている。
そんなためなのか1980年11月15日から16日にかけて行われた第12回全日本空手道選手権大会に出場。
2回戦では後に格闘マシーン黒澤浩樹から後ろ回し蹴り、上段回し蹴りで合わせ一本勝ちを奪い勝利する吉岡智と対戦し、20歳とは思えないその重厚な捌きで突進し、下段廻し蹴りの連続で場外に叩き出し、全く寄せ付けずに勝利。
3回戦では後に正道会館にて2年連続の準優勝、3年連続の3位入賞という輝かしい成績を残すことになる、今西靖明と対戦。
やはり右下段廻し蹴りの連打連打連打で突貫!
さらに対角線の左中段廻し蹴り、左鉤突きで肝臓も攻め立て、しかし今西靖明の攻撃はものともしない。
圧倒的な力、破壊力を見せつけ、さらに続く戦いでは本部の先輩となる竹和也と相対し、その執拗なローキックをしのぎつつ、得意の左廻し蹴りを2度にわたって顔面にヒットさせ、合わせ一本勝ちをものにしたさまは真樹日佐夫して鮮やかの一語に尽きだといわ占めている。
準々決勝ではその後順調な入賞、ステップアップを果たし、第16回全日本大会では準優勝にまで輝く男、竹山晴友と相見え、やはりその右下段廻し蹴りから左中段廻し蹴りが炸裂。
サンドイッチするような攻撃で追い詰め、さらに左の前蹴りを深く突き刺し、左中段回し蹴り、そして左の突きで間合いを測っての一瞬の後ろ蹴り!
それが竹山晴友の肝臓をえぐり、たまらず駒のようにに回転、完全完璧なる一本勝ち。
20歳とは到底思えないほどの恐るべき貫禄を見せつけたの準決勝進出。
対戦したのは世界大会2連覇の偉業を達成する男、中村誠。
これまでとは違い左の内股二連打から左の中段廻し蹴りを放とうとするが、胸への正拳突きで押し出されてしまう。
172センチ73キロという軽量級に近い部類の体格ながらここまで勝ち上がってきたが、さすがに183センチ130キロを誇るという中村誠相手では分が悪いといえた。
左右の廻し蹴りを鞭のように振るうものの、何しろその胸への正拳突きのリーチ、手数、そしてその破壊力でははっきりと差が出てしまい、惜しくもここで敗れることになった。
この戦いは真樹日佐夫押しても、体力差で押されただけで別に負けてはいなかった。
といわしめている。
そして3位決定戦での対決、冒頭に述べた、松井章圭。
確かにこのときの松井章圭は17歳という年齢、そして強豪合との激突、直前の三瓶啓二との戦いによりダメージが溜まっていたものの、それは数々の強豪を打ち破った20歳、そして直線に中村誠と戦っていたため松井章圭も、それは同様といえたのかもしれない。
松井章圭から技あり
開始直後の前蹴り、上段廻し蹴りをもらい、先手をとられたものの、突進してくるところに針を刺すような的確の下段廻し蹴りのカウンター。
それが7発、8発と炸裂、マットに崩し、今度は左の下段二連発で崩し、そこから右の下段に戻す。
巧みの業。
右左に下段廻し蹴りをつるべ打ちにし、あの松井章圭を人間サンドバッグと化し、次に右からの左下段廻し蹴りであの松井章圭を大木のようにぶったおす。
衝撃の映像。
それは左中段廻し蹴り、後ろ蹴りも放ち、左の下突きから左上段回し蹴りを当てて、パチンという音を響かせ、後ろ蹴り、上中下、縦横無尽の連続攻撃を無尽蔵のスタミナで放ち続ける。
稽古の濃厚さを見せつけるような戦いぶりで3位を勝ち取り大山倍達をして、
弱冠20歳で日本で3番目に強い男になった為永隆君は4年間にわたり、本部の内弟子として若獅子寮の規矩の苦しさに耐えた男です。
好奇心旺盛な若者が、あえて他の誘惑を振り切り、空手一筋にかける姿ののなんと清々しく、尊いものでしょうか。
第二、第三の為永隆が一日も早く現れることを希求いたします。
しかしその後は全日本大会5度の入賞、世界大会に1度の出場を果たす三好一男と激闘を演じ延長延長の末試したり判定などで屈するなど主だった成績は残さなかったようだが、その魂を内弟子の後輩たちに伝え、大山総裁を安心させるための本部躍進に尽力したという話だ。
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