Ⅹ/急襲⑤
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本編
次に湧きおこったのは、再度の、そして以前すら上回る怒りだった。
逃げたくない?
戦うことすら満足にできない女子供が、なにを一端(いっぱし)に偉そうなことを言っているのか?
そんな、身体で。
「どういう意味だ? 返答次第では、許さんぞ……」
いつもの軽口は、もはやそこにはない。
己の生き抜いてきた証しでもある戦場に、土足で踏み入れたことに対して、侮辱に近い感覚をベトは味わっていた。
しかもその腰には、戯れで与えた剣を差して。
「その剣で、戦うつもりか?」
ベトは気づき、無造作にアレに歩み寄った。
それにアレは怯えに近い震えを起こし、しかしそれでも気丈に瞳の強さは失わなかった。
以前はそこを気に入ったベトだったが、今はまったく気に食わない。
「聞いてんだ、答えろ」
ベトは抜き身の大剣を無造作に掲げ、振りおろし――アレの眼前で、止める。
その斬撃によって、アレの前髪が舞い、落ちる。
僅かにでも手元が狂えば、まずその鼻が落ちていただろう。
それでも、動かない。
ベトはアレの豪胆にしばし感心すらしていたが――
「…………っ」
アレの瞳から、涙がひとすじ零れた。
それにベトは、眉をひそめた。
と、よく見るとアレの杖で支えられた身体全体は、小刻みに震えていた。
さらにその口の端から、赤い鮮血が滴り落ちていた。
気づいた。
アレは、怯えていた。
「――――」
恐れ、おののいていた。
目の前で繰り広げられる、惨劇に。
眼前に迫りくる、絶対的な凶器に。
それでもなお。
震えながら、涙まで零しながらも――出血するほど唇を、歯を、食いしばり。
アレは決して引かなかった。
なぜだ?
意味がわからない。
意味が、無い。
「あんた……」
「ベト……っ」
アレは、ベトからの問いかけにただ必死にその名を呼ぶだけだった。
言葉はない。
じれったい。
だが、その全身でなにかを訴えていた。
それに思いだされる言葉。
逃げたくない。
「……なにから、逃げたくないんだよ?」
今度は、怒りからの詰問じゃなかった。
ただ純粋に、その理由を知りたいと感じていた。
アレは、その瞳いっぱいに涙をため込み、そしてまるで唸るような声で、答えた。
「わた、し、から……世界、から……!」
応えが、ベトにとっての解答になっていない。
「自分と、世界からって……」
「わたし、は……逃げてきた……! 動けない自分と、変えられない世界から……!
ただ悲しいと、嘆いてきた、だけだった……だけどそれでおばあさんが殺されて、わたしも殺されそうになって、気づいた……わたしが、間違っていたことを!!」
アレは、泣いていた。
恐いのは、本当だった。
でもそれ以上に悲しくて、悔しくて、そして何よりの決意からあふれる感情を抑えられずに、アレは泣いていた。
それにベトは、もはや窘める言葉も出せなかった。
アレの独白は、なおも続いた。
「わたし、は、契約した……世界を、変えると。わたしは、もう……逃げたくない! 逃げない!」
「…………」
理屈になってない。
逃げる逃げないの問題じゃない。
現実としてこの子が戦場に来ても、出来ることなどない。
むしろ邪魔にしかならない。
だが、理屈じゃない、という理屈だけはなんとなくわかった。
理屈じゃないことを理解した、というのはおかしな話だったが。
「……それで、あんたはどうすんだ?」
「…………」
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