サンドバック

2019年11月9日

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 熊は止まらない。

 ゆっくりと近づき、間合いに入り、やっぱりゆっくりと爪を振り上げる。
 おねがいだ、やめてくれ、ぼくがわるかったんだ。
 僕が弱かったから、悪かったんだ。

 殺してくれ。
 僕を殺してくれ。

 悪かったのは僕なんだから、僕を殺してくれ。
 それ以上沙那を切らないでくれ。
 それ以上沙那を叫ばせないでくれ。

 やるなら、ぼくをやってくれ。

 懇願は、聞き入れられることは無かった。
 爪は無情に振り下ろされ、沙那の体は跳ね、再び悲鳴が、絶叫が、僕を苛んだ。

 聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない聞きたくない。
 見たくない見たくない見たくない見たくない見たくない。
 お願いだ、許してくれ、僕が悪かったんだ、弱いから悪かったんだ、弱さは罪だ、許してくれ、強くなるから、力を得るから、だからもう、もう――



 ――後悔、するなよ。



「うあぁッ!?」

 突然現れたその、頭と口と鼻と体を白い布で包み、目元と額に深いしわをたくわえ、眼鏡をかけ、その奥に濁った瞳を持った男が間近で囁いた言葉に心臓が跳ねて、僕は上半身を起こした。

 自分の部屋だった。

 窓がありテレビがあり本棚があり床にはカーペットが敷かれ、壁と天井はオフホワイトで統一されたそれは、毎日使っている紛れも無い自分の部屋だった。
 そして今。
 僕はベッドの中で上半身を起こし、全身にべったりと冷や汗をかいていた。

「――っぁ」





 呻いて、たまらなくなり、僕はベッドから飛び出して階下に降り、裏の勝手口からサンダルをつっかけて外に出て、道場に飛び込んだ。
 パジャマを脱ぎ捨てトランクス一枚になり、吊るしてあるサンドバックに力の限りを込めた突き――拳を振るった。
 風切り音が耳を打ち、当たった部分が吸い込まれるように拳を飲み込み、一拍の後、サンドバックは後方に派手に吹っ飛んだ。

 また、この夢。
 毎晩見るわけじゃない。
 だけどたまにというほど見ないわけじゃない。

 そしてこの夢の鮮明さは、時を経ても決して薄れることはない。
 たまらなかった。
 妹に――いや、きっと、自分の"弱さ"に、殺される気がした。

 連続して突きを放ってサンドバックを前後に吹き飛ばし、今度は渾身の力を込めて右の廻し蹴りを放つ。
 バン、と何かが弾けるような音が響き渡り、サンドバックがたわみ、今度は大きく縦に跳ね上がる。

 きっと、これは呪いだ。
 あの時の自分が手術室で吐き出した呪詛が、自分に憑いてしまったのだ。

 がむしゃらに打った。
 がむしゃらに蹴った。
 無力な自分を呪うように、殺すように、強い自分になるように。
 そう願って、ひたすら力を求めた。

 サンドバックは上下左右縦横無尽に弾け飛び、まるでそこには重力の法則が無いかのようだった。
 だけど実際これはヘビーバックで、重さは八十キロはある。
 だけどまだ足りない。
 こんなんじゃ駄目だ。
 もっと、もっと、もっと――

 それが晴れる日は、来るのだろうか?

 僕は左足を振るった。

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