“NYの番人”ジャックサンダレスク 空手バカ一代最大の敵!大山倍達の友で喧嘩に明け暮れギャングを掃除し極真が世界に発展するため尽力した大人物だった!

2024年4月9日

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ジャック・サンダクレス

極真空手の創始者である大山倍達の一代記を描いた、大ヒット格闘漫画空手バカ一代をご存知の方は、周知の名前と言えるだろう。

黒い道着をまとう、自分たちが合宿に行っていて、初心者しか残っていない留守を狙い道場破りを行い、その時撮った写真を使いニューヨークで大山倍達を破ったと触れ回り、水晶玉などを見せるなどのペテンにより人気を得て商売を行っていた空手家たちを打ち破り、改めて彼の地でニューヨーク支部道場発足しようとしていた矢先、マスチーフという三頭かかればライオンさえかみ殺してしまう言われるほどの猛犬をぬいぐるみを壊すようひねりつぶしていった怪物。

それこそがクレイジージャックと呼ばれる、ジャックサンダクレスだった。

漫画の中では身長2メートルを超え、体重150キロ、ジャイアント馬場を一回り大きくしたような超巨漢と表現されており、ユーゴスラビア出身、17歳の時アマチュアのボクシングヨーロッパヘビー級チャンピオン、プロでも世界チャンピオン確実といわれるがあまりのパンチ力のためリング上で人を殺してしまい、鉱山労働者としてツルハシをふるい続け、十数人もの仲間を喧嘩で全員半殺しで追放、サンフランシスコでプロレスラーとなるが3試合きりで全員対戦相手を身体障害者としてしまい終止符、プロレスラーのボディーガードと言う凄まじい職業となり、雇い主をぶん殴ったりなどして最終的には大物のギャングでも道を開けると言う無冠の帝王めいた存在だという。

いかにもラスボスと言うような雰囲気が漂っており、実際その時の大山倍達の最大の敵と思われまならんと覚悟しており、対峙した折にはマン・マウンテン――動く山と表し、親指でビールの栓を開け、王冠を千切り、彼には純粋な力だけでビール瓶、そしてジョッキを粉々に押しつぶしている。

その時の様子を作中の大山倍達は、ビール瓶やコップと言うものは物理的に力学的にああいう風に壊れるようにできておらん、つまり物理を超えた怪力…と戦慄している様子が描かれている。

最終的には敗れてしまうものの、下突きの一撃で大山倍達を宙に飛ばせると言うそのインパクトは凄まじく、その時の大山倍達のセリフ――

どんな凄い奴と戦っても、俺は牛を倒した男だと言う自信がどこかで心の支えになっていた…どんな人間なると所詮牛よりは凄くないとの比較から!

し、しかしクレイジージャックサンダクレス、この怪物に限って…牛よりも凄いと戦慄していた。

その死闘の末友情が芽生え、大山倍達に心酔したジャックはニューヨークの大山空手普及に心身ともに協力している様子が描かれていた。

そんなジャックサンダクレスのモデルとなった人間、ジャックサンダレスク。

正直私はその人間がいることに衝撃を覚えていた、実際漫画の中でもいちど写真付きで紹介されてはいるのだが、それでもそのインパクトから埒外の事実だったのだ。

ジャック・サンダレスク

ジャックサンダレスクはルーマニアのブラショフ出身といい、15歳の第二次大戦中ソ連軍に捕まりドンバスの炭鉱で2年半強制労働をさせられ、落盤事故などにより死にかけるも7週間かけ夜中に列車に潜り込んだりして収容所から脱走し、故郷のブラックマーケットで仕事をするようになったと言う。

その後カナダに渡り、伐採所で働き、鉄道の仕事もした後モントリオールに移りやはり漫画の通りプロボクサーになり、シカゴに連れていかれて、プロの試合はヘビー級で19戦16勝14KOだったと言う。

その後アメリカ軍に徴兵され、フランスやイギリスに送られた後パリ大学で2年間文学を学び、そしてニューヨークにやってきて用心棒やコーヒーショップの経営を2つやったりしたという話だ。

1963年頃アメリカのギタリストが、ニューヨークに来る大山倍達と会うことになっていたが恥ずかしがり屋と言うことでジャックさんのレッスンに同行を願い、ホテルにて邂逅。

その時の印象は強烈だったと言い、まるで昔の英傑と言う風情で、ジンギスカンのような巨人のオーラを感じたと語っている。

それで一目で心服して弟子入りを決め、それから半年間、毎日5、6時間一緒に稽古するようになったと言う。

実際のところストリートファイトは行っておらず、それについてジャックサンダレスクは、

私たちのようなパワフルな人間がストリートファイトなんかしたら危なくてしょうがないよ。

死人が出るさ。

と語っている。

しかし自らの名を取ったジャックスと言うバーでマフィアが騒いだ際、ビンタの壱発で伸ばして大山総裁を大笑いさせたりしたといい、大山倍達はジャックサンダレスクを日本に連れて行って試合をさせたいと語ったと言うが、当時彼はジャズバーのオーナーとして成功しており、ニューヨークを離れるわけにはいかなかったという。

大山倍達は、ジャックサンダレスクなら世界チャンピオンになれるとおっしゃっていたと言い、大山総裁の真似をして手刀でレンガを割れるようになったところ、それで大山倍達がびっくりして、君はベリーストロングだと言ってもらったという。

NYの掃除屋

用心棒時代にはナイフや拳銃などのいろんな凶器を持った、ときには5人位の相手と一度に相対し、左腕を撃たれたりもしたと言い、さらには当時危険すぎて歩けないと言われていたウエストサイド14番通りのバーや公園に総裁と2人で繰り出し、度胸だめしをしてビンタ二、三発で勝負を決めたり、

よし、ジャック。

次の2人は君がやれ。

その次の2人は私がやる。

などとやったり、悪い連中を婆から叩き出したりして、街の掃除をして警官から拍手喝采を受けたりしていたと言う。

しかしギャングは一気に戦っていたのかと言う質問に関しては、

いや、ギャングは私の友達だったよ。

今ニューヨークでもたくさんのギャングを知ってるよ。

いい奴もいれば悪い奴もいるさ、と笑っていた。

それからマジソンスクエアガーデンでデモンストレーションができるよう計らったりなどし、その後は全日本、世界大会の旅に招待され、亡くなる5ヶ月ほど前ポーランドで最後の邂逅を果たし、通り掛かるたびに見上げてハハハと笑ってたと言う。

その身長は実際には190センチと言い、大山ます達が帰国後は執筆活動に勤しみ5冊者数出版、映画化の話も来ていると良い、テレビのコマーシャルを作り、極真会館となり中村忠らがニューヨークに来た際は支部開設に向けて尽力したと言う。

そんな彼は映画の中でその動く姿を見ることができ、その時は身長2メートル10センチ、体重130キロと紹介されているところがアレだが笑

さらにはヘビー級ボクサーとして23戦23勝23KOをしたとも書かれているところがまぁあの脚本書いたひとのそういうところが表れていると言えるが笑

大山総裁とほぼ年齢も変わらないと言う話もかかわらず、バーベルを上げ、稽古見守り、手刀で板10枚を割る姿を見せつけている。

ジャックサンダレスクにとって大山総裁とはと言う質問に対して、

生涯最高の友だね。

化学反応のようなものだね。

総裁は人生で常に努力してきた。

そしてそれは私も同じだった。

それを会った瞬間に感じたんだ。

ニューヨークで半年間寝食を共にし、その気持ちはいっそうつよいものになっていったのさ。

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