“必殺ローキック魔”盧山初雄 第1回世界大会でチャールズマーチン沈め準優勝、第2回で肋骨が折れても死の覚悟で戦い抜いたその雄姿!

2024年4月9日

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第6回全日本の不覚

続いて盧山初雄は、記念すべき第一回全世界空手道選手権大会の選抜戦となった、第6回全日本大会に出場。

後輩である西田幸雄と40日間の山ごもりを経て迎えた当日であったが、疲労から熱を出してしまい、大会当日は38度にまで達していたと言う。

果たしてその緒戦、対戦相手の後ろ回し蹴りをもろに喰らい、本人曰く一筋の光が頭の中を横切り、気づけば盧山初雄は完全にひっくり返ってしまっていたと言う。

その後準々決勝を、芦原会館三羽烏の1人である中元、城西生チャンピオン製造工場へと導く山田雅稔との激闘を繰り広げて勝ち上がってきた当時内弟子でありその後ブラジルへ渡りアデミールダコスタを育てあげ、帰国後は長崎にて塚本徳臣などを育てあげる山田政彦を相手に、その山田雅稔との戦いで痛めていたへ足を正確に狙って1本勝ちを奪い準決勝へ進出したが、最終的な結果は3位に甘んじることになる。

それを受けて世界大会まで盧山初雄は毎日砂袋を三千回蹴り、血尿を出し、最後は耳からもじゅくじゅくしたものを出し、大会直前のアメリカ遠征を断り、恒例の山ごもりを経て、万全の体制を整えたと言う。

第1回世界大会

大会当日は、1回戦をシンガポールのアール・ロー選手を相手に、これまでは軸足を払うようなものを、相手の足をへし折るような形に変え、その右の下段廻し蹴りが炸裂。

いっぱつで相手を上外へ叩き出し、そこからの右の正拳突きで見事な1本勝ち。

2回生ではクラサオのE・ランズマークを相手にそのしっかり構えた足に右の下段、右の下段。

この世界大会、大会開催まで外国人選手には下段廻し蹴りと言うものが伝えられていなかったと言い、そこを集中的に狙うと言うこともある意味戦術的に優れていると言えるだろう。

さらに右の下段、右の下段、右の下段、相手のパンチを的確にさばいて、追撃の右の下段に連発で足を浮かせ、遠心の構えからの右の下段に連発でついに相手を沈める。

3回戦、ポーランドのD・ジャンを相手にその構えの隙をついた右下段廻し蹴りいっぱつで1本勝ち!

そして準々決勝、相対するはアメリカ最強――いや外国人最強、それすらも越えて、極真史上最強の一角に名を連ねる、チャールズマーチン。

身長190センチ、体重107キロと言う恐るべき体格にして、2回戦をそれすらを上回る185センチ、120キロのイスラエル、ギドン・カダリとの戦い。

開始わずか20秒。

相手の突きを交わして、そして相手が下がっていくのに合わせて前に出て、その勢いを利用しての後ろ回し蹴り一閃。

カダリはまるで死んだかのように力なく、目を閉じて仰向けにぶったおれ、そのまま沈黙。

こんな大技すら使いこなし、それをこんな男を相手にぶち当てるとは…

続く戦いではジェット機ボーイ、東谷巧と対戦し、距離をとり、外人対策であるローキックを放す東谷に対し、チャールズマーチンは跳びはねるようなステップを用いて、右正拳突きで追い込み、そして下段廻し蹴りは、なんと飛び上がって躱すという身軽さ。

身長190センチ、体重107キロあるのに、だ。

この時点で下段廻し蹴りを知らず、結果蹴り方、受け方である脛受けを知らないと言うのに、全く死角が見当たらない強さを見せつける底知れぬ相手。

チャールズマーチンとの激突

それに盧山初雄いきなりの右の下段廻し蹴りから、左の胸の突きを繰り出す。

右左の下段を繰り出距離をとり、正拳突きを間合いをつぶして避けるが、さすがのチャールズマーチンは大鷲の如き動きで迫ってくる。

劣勢、下段廻し蹴りが通じない、当たらない。

逆に右の拳が砲弾のようにどんどん打ち込まれて行く。

それは響き、本戦は2対0でチャールズマーチに上がったと言うが、主審であるその師匠である中村忠がとらず、引き分け。

延長でもやはり、盧山初雄の右の下段、チャールズの右の拳が交錯し、一時その勢いで倒されたりしたが、右の正拳に対して右の下突きを合わせたり、初めて出した左の下段廻し蹴りが膝の正面を捉えたり――これは硬いところだがダメージになったかどうかは懐疑的だが、ほんの一瞬バランスを崩させかけた事は事実と言えるかもしれない。

果たして旗は二本こちらに上がり、そして中村忠が今度はそれを支持し、3対0で、日本の最大最強の脅威であるチャールズマーチンを退けることに成功する。

準決勝を、両足の肉離れを起こしても戦っていた大石代悟棄権により不戦勝で越え、ついに決勝は第3回及び第6回全日本大会優勝の、佐藤勝昭とのあいだで行われた。

これは2年前の第5回全日本大会準決勝と同じ組み合わせだった。

その時は盧山初雄が勝利しているが、果たして佐藤勝昭は開始と同時にいきなりの跳び2段蹴りからの正拳突き。

下段廻し蹴りもすね受けで流され、得意の下突きも肘で受けられ、上段回し蹴りが顔面をかすめ、中段廻し蹴り、後ろ蹴り、膝蹴りで場外に叩き出され、投げで押しつぶされ、その巨体、パワー、それに見合わないスピード、華麗なる技に対抗できず、再々延長3対2で、本当に惜しくも惜しくもと言う形で、準優勝、世界で2番目に男と言う誉を受けることになった。

しかしそれは盧山初雄本人にとっては敗北の見ヶ崎であり、その這い上がる機会を第2回世界大会に定め、翌日から死に物狂いの稽古を開始したと言う。

形意拳を取り入れ、直談判しての推薦での世界大会出場枠を得て、後輩である廣重毅とともに山ごもりに入り、あまりに苛烈な稽古のために10日もしないうちに過労で高熱を出し寝込み、不眠症にも悩まされ、1日8時間もの猛げいこをこなし、ひと月後には80キロ以上あった体重が7、8キロも減り、気持ちに踏ん切りをつけるために頭を丸めてヒゲを伸ばしたという。

迎えた選手入場では先頭に立ち、力強い選手宣誓を行い、果たして迎えた、目の当たりにした試合で、それまで日本選手の専売特許であったけど廻し蹴りを外国人が平然と使い、受けている、その点だったと言う。

最後の闘い第2回世界大会

初戦をフランスの選手、おそらくは読み方をヤーセンを相手に、下段廻し蹴りに右の突きを合わせられて面食らいながらもつるべ打ちで本戦優勢勝ちを収め、しかし、3回戦で当たったマレーシアのフィリップ・ブース選手は身長185センチ体重82キロと、当時174センチ体重72キロの盧山初雄を10センチ、10キロ上回る体格。

低く構える盧山初雄、高く構えるフィリップでは余計に体格差が違って見え、フィリップは盧山初雄の下段廻し蹴り合わせて前に出て、その空いている脇腹に右の下突きをどんどん放っていく。

この下突きが強烈無比で、まるで突き刺さるような勢いで、さらには自らも廻し蹴りを放って隙を作っての下突き。

三日月蹴りもかえすが通じず、逆に中断廻し蹴り四連発で体制を崩され、一度は何とか下段廻し蹴りでバランスを崩させるか、しかしほとんど一方的な試合展開の感は否めなかった。

ブーイングの中延長戦の末判定勝利を収めるが、この試合で肋骨を3本も折ってしまい、熱が出て息もできなくなる始末。

死の覚悟を持って4回戦、フランスのバーナードジャコピンと戦い、2回の延長の同体重のため、試し割り判定一枚の差で勝利をつかむ。

しかし5回戦を始める前に大山倍達からアナウンスが行われ、盧山初雄が肋骨を3本骨折していること、試合場で死んでもいいと思っているが私としてこれを認めることができない、それゆえに棄権させると言う旨の想いが告げられたという。

盧山初雄自身も壇上に上がり、周囲に頭を下げ、そして彼の戦いの激闘は、ここで終止符を打つことになった。

壇上を降りた後、盧山初雄は山田雅稔と目が合い、そして2人して声を出して泣きはらしたと言う。

それが生涯初の慟哭だったと言う。

試合後、悔しさと情けなさを越えた先の安堵感に包まれ、盧山初雄は新たな目標、技が至り、無心にして真技に至るの境地、これを将来の目標と掲げることとしたという。

最後に盧山初雄はこう語っている。

私には信念がある。

必ずや目的を達成すると言う信念である。

それは執念にも似ているかもしれない。

しかし、目的が遠ければ遠いほど、没頭せざるをえない。

これは、この先も変わる事は無いであろう。

生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること。

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