“大道を征く者”岩崎弥太郎 東孝と空道を支え極真全日本大会にも出陣 !158cm62kgの体格で無差別二連覇、軽量三連覇!

2024年1月16日

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岩崎弥太郎

この名前を聞いてほとんど100人というか1000人いたら999人は、三菱財閥創業者、実業家である岩崎弥太郎を思い浮かべると思う。

しかしこの名前、全くの同姓同名、漢字まで同じものを持つ、空手家がいると言うのをご存知だろうか?

あの東孝が、小柄なものが顔面なしでは体力差で潰れてしまう、そういった意味合い、武道観も込めて実戦性を追い求めて作った大道塾において、草創期の団体を代表する名選手として知られる男だ。

身長158センチ、体重62キロ、体格的には恵まれていなかったが、高校3年間、インターハイを制し、アメリカ遠征のチームでまで選ばれたレスリングの実力を買われ、特待生として迎えられた日体大を辞めて、極真空手に入門。

第一回世界大会6位、第二回世界大会4位に入賞した、"人間機関車"の意名を持つ東孝に、壁まで何メートルも飛ばされながら食らいつき、1977年11月5日から6日の2日にわたって開催された、第9回全日本空手道選手権大会に出場。

極真全日本に挑戦

頭1つ分以上はゆうに大きい相手に対しても、真っ向から立ち向かって、右の下段回し蹴りを連打。

それに対して今里選手も右の下段回し蹴りを連打し、岩崎弥太郎も左右の中段廻し蹴りで応える。

さらに勇猛果敢なパンチの連打で攻め込んでいくのだが、リーチの差でやや押し込まれる場面が見られ、そこがポイントとして見られたのか、本戦4対0で惜しくも敗れている。

そして1980年、11月15、16日に行われた、第12回全日本選手権大会に出場。

3回戦にて、後の第14回全日本大会で極真史上最強クラスの実力を持つアデミールダコスタ、世界大会で優勝を果たす松井章圭を破って準優勝に輝く、水口敏夫と激突。

この時点で22歳、キャリアは3年と言う事から、その3年前に行われた第9回全日本大会では、19歳、キャリアはほとんどなしで出場したと言うことなのだろうか?

飛び2段蹴り、中段廻し蹴りで、豪快に攻め込まれるも、持ちこたえ、内股蹴りで崩されそうになってもこらえて、パンチのラッシュをしのいだ先で見出した接近戦、右の下突きが、水口敏郎の脇腹をえぐった。

本戦は引き分けで、延長戦へ。

水口敏夫が中段廻し蹴りの連打をしたところに、飛び込んでの正拳突き。

それを合図とするように、水口敏夫が下段、そして上段回し蹴りへと狙いを変える。

体格差があるため、足を崩されると辛いところがある店さらにそこからパンチを繋げられて、場外に出されるシーンもあり、そのまま残念ながら判定で破れることになる。

そして東孝が顔面ありの格闘空手、大東塾を発足し、それに追従。

北斗旗での圧倒的な活躍

始まった、顔目にはスーパーセーブをつけての顔面パンチあり、投げあり、絞め、関節ありの大会、北斗旗の無差別級に於いて、岩崎弥太郎はそれまでに培った経験、そして強い足腰、技術を用いて、第一回大会で堂々の優勝を果たす。

そして1982年の、第二回大会。

三浦選手を相手に右の下段から左の顔面パンチと言う対角線上の見事なコンビネーションで攻め立て、食いつかれたら膝蹴りからの投げ、まさに東孝の言う所の体格差をものともしない素晴らしい戦いでその真価を見せつける。

最後は中段突きからの膝蹴りで腹も効かせての完勝を決め、続く村上選手との戦いでは、体格差で豪快にぶん投げられながらも、しつこく攻めつき、追撃を許さず、迎えた再延長では相手の虚をつき、隙をつき、投げを連発。

底力の差を見せつけての勝利を果たし、決勝にて相まみえたのは、183センチ95キロ、そのあまりの強さから、北斗の覇王と呼ばれて、後に日本人として初めてヒクソン・グレイシーとぶつかることになる、西良典だった。

身長差25センチ、体重沢33キロ、あまりにも巨大な壁といえたが、岩崎弥太郎はその軽やかなステップとフェイントで、相手に機先を制することを許さず、Stepインからのパンチを叩き込み、天空からの肘打ちも巧みに躱し、体格上の西よりも巨大なる制空権を作り上げる。

投げられても回り込み、あくまで真っ向からの打ち合いを挑み、下から抱え込んでの朽木倒しのようなものまで見せて、さらに続けてのタックルでポイントを重ね、まさしく小よく大を制するその武道の理念を体現する結果を手にした。

その後は1983年無差別級で準優勝、1984年無差別級3位――

軽量級では1984年、1回戦、全身振り回す竜巻のようなパンチの嵐を見せつけての合わせ一本勝ちから、決勝戦は大和田選手を相手にやはり無双とも言えるパンチ力、実力の差を見せつけての、横綱相撲を披露。

この優勝により、軽量級の3連覇を達成したと言うことだ。

さらには1987年の軽量級でも優勝果たし、その年の最優秀勝利者賞を獲得している。

極真時代から創始者である東孝と共に修行し、実際に組み手を交わし、全日本大会に挑み、大道塾となってからはその師匠の想いをその身で体現し、その看板となり、孝を原点とする武道を実践した。

まさしく大道を征く者、岩崎弥太郎といえるだろう。

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