ドルフラングレン 世界二連覇中村誠と互角、英大会2連覇、ウィリーウィリアムスやミッシェルウェーデルと同体格を持つ本物のアクション俳優!

2024年4月9日

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俳優にして格闘家

世に俳優でかつ格闘家と言う人間はいるが果たして彼ほどにその実戦空手の最たるものである極真カラテで堂々たる実績を残した人間もいないのではないかと考えている。

“ドルフ"ハンス・ラングレン。

彼の名が一躍有名になったと言えるのが、ウィリーウィリアムスを中心として空手母国日本の危機が叫ばれた、敗北したならば弟子たちに腹を切るようにとまで言わせた、その第二回世界大会。

そこにさっそうと現れた彼に、大山倍達は書籍にて最大限とも言える賛辞を送っている。

「世界大会前は噂にも上らない、まったくの無名に等しかったが、大会中鋭い多彩な蹴りで満場の観衆を魅了した。

分けても素晴らしかったのは、優勝した中村誠との1戦だったといえよう。

茶帯二級、本当は緑帯三級であったのだが、それでは一国の代表としてあまりに恥ずかしいと言うことで、大会前急遽、茶帯を授かったと言われるラングレンが、二段の中村に一歩も引けを取らなかったのである。

3分間の試合中に放った蹴りが実に50回以上、突きも20回以上。

日本人選手の蹴りの平均が15回前後(多い人で20回)であったことや、タイ式ボクシングで1ラウンドに飛び出すキックが30回程度なの考えれば、まさに驚異的な回数だといえよう。

さながら速射砲の如き感があった。

延長にもつれ込んだ末の判定は僅差で中村側に上がったが、私にはラングレンがいくらが優勢であったように思えてならない(もし私が担当審判ならば文句なしにラングレンに旗を上げたであろう)。

格闘技を経験した者なら誰でも知っている事だろうが、実際足は手の3倍以上の破壊力を秘めている。

ラングレンのように約3.5秒に1度の割合でければ放たれては、ちょっとやそっとでは太刀打ちできないのではないだろうか。

3.5秒と言うと、ほぼ連動していることになり、懐に飛び込むこと自体、まず無誠だと思われるからである。

名師匠ブライアンフッキンの教えを受け、丸みが出た時、日本製にとって一大脅威になるのは間違いなかろう」

世界大会二連覇中村誠との激闘

中村誠と言えば第2回及び第3回世界大会を2連覇した偉大なる王者であり、その第二回世界大会直前に行われた第11回全日本大会でも優勝を果たしている。

当時の極真最強クラスの男であることは間違いのない事実であり、その世界大会でも1本勝ちや圧勝を連発する中、決勝以外でほとんどまともに試合になったと言えるのは、そして追い詰められたのは、そのラングレンだけと言えるかもしれない。

実際試合映像を見る限り、中村誠がその最も得意とする右の下突きの連打でラングレンの腹を効かせて1本勝ちを奪おうとするところに、ラングレンはその長身にもかかわらず、肘でうまくいなして、前蹴りや膝蹴り、そして下突きで応戦し、さらには右の上段を中村誠の顔面に直撃させたりもしていた。

怒涛の攻撃にさらされても、決して極端に崩れたり、ダメージを負う事は無い。

そのテクニックはもちろんだが、腰の強さ、タフネスも凄まじいものがある。

その後も何度も右の上段回し蹴り、左の上段前蹴りなど顔面をかすめる。

突きの打ち合いにも応じて、中村誠はつかみ、そして押しがだんだんと多くなっていく。

その後2度の延長戦の末、体重判定、試し割り判定を経て、3度目の延長戦に突入したと言う話なのだが、その時点でラングレンは体重95キロ、中村誠の体重一般的に120キロ、最も重い時は130キロ近くあったという話もあり、その上その時の放送で中村誠の試し割り枚数が10枚と言うのも聞かれている。

最後の延長でラングレンは前蹴りを連発して、中村誠の突進を許さず、下突き、さらには後ろ蹴りまで直撃させ、手数は最後まで衰えなかった、

輝かしい文武両道の実績

ラングレンはそれまで日本ではノーマークだったが、その時既に"ブリテンの騎士"と呼ばれ、華麗なる後ろ蹴り、後廻し蹴り、さらには縦回転の胴廻し回転蹴りまで使いこなし、華麗で重厚な組み手でイギリス大会を、第1回3位、第3回を準優勝、そして第4回で優勝、さらには第一回のヨーロッパ選手権でハワードコリンズに続き準優勝に輝いているジェフホワイブローを相手に堂々たる戦いを見せ、そしてその次の年である1980年及び、1981年の大会を連覇することになる。

ブリテンの騎士の、その槍とも言える遠距離からの蹴りをものともせずに、逆に左右のミドルキックを連発しながら前に出ていくそのスタイルは、まさに彼にしかできない堂々たるものと言えるだろう。

何しろ強いはずである、その身長は195センチにも及ぶ、この体格が歴代の極真カラテの猛者とも言える、ウイリーウイリアムス、ケニーウーデンボガード、ミッシェルウェーデル、そして最近では新極真の第9回世界大会で準優勝に輝いた"バルトの魔人"と呼ばれるドナタス・イムブラスと全く見劣りしない。

その長身から放たれる膝蹴りにより、世界大会では1回戦10秒、2回戦ともに連続での1本勝ちを決めている。

その後アメリカ合衆国でのモデルの仕事を経て、映画デビューを果たし、ヘビー級ボクサーを演じるには線が細すぎると言う言葉に応える形でほぼ筋肉のみで11キロの増量を果たし、その実績によってRocky IV炎の友情に、敵役のイワンドラゴ役に抜てき、それからはアクション俳優として大きな飛躍を遂げ、それこそ上げ切れないほどの様々なアクション映画などで大変な活躍を見せ続けている。

そんな中でも極真空手の交流は続けており、1988年に来日した際には極真会館総本部へ大山倍達を表敬訪問し、道場にてサンドバッグ、腹打ち、さらには世界でもトップクラスの人間たちである八巻健二、松井章圭を相手に組手で汗を流し、その華麗な足技の健在ぶりを見せつけ、その場で弐段を授与されたと言う話だ。

さらには1991年に開催された、大山倍達存命時最後にして、125カ国250名が参戦した最大規模の大会である第5回全世界空手道選手権大会、そして2011年10月に開催された新極真会の第10回全世界空手道選手権大会にも極真の稽古、そしてアクションスターとして培った身のこなしで会場を沸かせる演武を披露している。

軍務経験者であり、さらにはスウェーデン王立工科大学、シドニー大学、ワシントン州立大学、マサチューセッツ工科大学で数学、物誠学、化学を学び、シドニー大学では修士までもとっており、母国語であるスウェーデン語のほかに英語、ドイツ語、フランス語、日本語を使いこなすと言う博学ぶりも際立っていると言える。

高い知能、映画俳優としての素晴らしい功績、それに加えて自分を育ててくれた極真カラテに対する恩義、そしてなんといっても武道家として、極真カラテとして、間違いなく一流のものを持ち、世界チャンピオンと壮絶な戦いをくり広げた、"リアルアクションスター"ドルフハンス・ラングレン。

極真史に残すべき、類まれなる才覚、努力、実績を残した人物と言えるだろう。

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