“剛よく柔を絶つ”中村誠 二連続全日本3位、米国修行し第11回全日本、第2回世界大会優勝の栄光!
ハワイ代表チームとの対抗戦
中村誠。
極真史に燦然と輝く空手家。
おそらくはその長き歴史において最も知名度を誇り、そして最も偉大なる戦績を積み上げた空手家の一人であると言って間違いないだろう。
中村誠は茶帯の時、ハワイで開催された、日本代表極真会館チームVSハワイ代表チームの、フルコンタクト空手対抗戦に参戦、その大会にはあの映画俳優としても有名な千葉真一も出場してたということで話題になっていたという。
その中、中村誠は前日の練習で折れた指で対戦相手の胸を叩き、2メートルほどふっとばしたといい…パンチで2メートル飛ぶんだろうか……ウィリーのパンチでもそこまで飛んだかどうか…ミッシェルウェーデルのパンチはどちらかと言うと射抜く感じだから沈みこむしな…その戦いぶりに大山倍達は大いに機嫌を良くし、中村誠のパンチで相手は5メートル吹っ飛んだぞ、と周囲に語っていたと言う話。
その後中村誠は第9回全日本選手権大会出場……本人のインタビューによると実際は第一回の世界大会にも出ていたと言うが、その時は青帯だったと言う話もある。
二年連続全日本大会3位
初出場ながら身長180センチ体重90キロと言う恵まれた体格を生かし、準決勝まで進出。
しかしこのときの準々決勝で、後に三誠時代と言われる一時代を築く三瓶啓二と激突していたと言い、この時は三瓶啓二が足の靭帯を切って痛いと言うこともあったためか、延長に、中村誠が押し切っていると言う。
準決勝で当たったのは、人間機関車と呼ばれた脅威の突進力、ローキックにより第6回全日本大会準優勝、第一回世界大会6位、第8回全日本大会で3位入賞していた、その時解説していた大山泰彦をして、世界に通用すると言わしめた絶対的な優勝候補、東孝だった。
開始と同時に体格に見合わず身軽にマット上をはねとび、廻し蹴りを放つ中村誠。
しかし開始早々から大山安彦曰くその前の試合の三瓶啓二との戦いでダメージを負っている左足に、その絶対的な得意技である必殺技のローキックを喰らってしまう。
ど突き合いから膝に持ち込むも、足払いを食らい転倒。
その後の下段後廻し蹴りをもらうも、中段廻し蹴りで逆襲。
打ち合いの中でも列の右の下突きが輝き、右の下段廻し蹴りに左の前蹴りを合わせると言う小技を見せ、延長に持ち込むも、そこからの下段横蹴りで崩され、惜しくもそこで敗れることになる。
しかし3位決定戦では解説が大型選手同士の対戦と語った、178センチ78キロの浜井識安と戦い、いきなり左右の廻し蹴りから突撃し、さらに膝蹴りで場外に弾きだし、その後右の下突を効かせ、浜井識安も左右の前蹴りでストッピング、カウンターを取ろうとするがものともせず、完膚なきまでの勝利を手にした。
その後翌年再びハワイ大会に出場を果たし、同年の11月に開催された第10回全日本空手道選手権大会に出場。
この大会ではまだ2回目の出場ながら、選手宣誓を任され、その期待値の圧倒的な高さを物語っていると言えた――逆に言えば前回優勝者が必要しておらず、準優勝者が他流派だったからと言えなくもないのだが…
初戦、日域学選手を相手に…いやかなり難しい読みの、レアなお名前の方ですねはい…飛び跳ねて回り込む相手に対して、中村誠はなんと驚きのほぼノーガード。
そこから両手を上げて、ゆっくりと下ろし、いきなりの右、左上段回し蹴りの連打。
はやっ!?
この体格の選手の動きじゃねーぞ!?
さらに左中段廻し蹴りからの右の下突きと言う黄金コンビネーション。
後廻し蹴り、スイッチと言う相変わらずうまい小技も披露し、何度も何度も場外に叩き出し、左正拳からの左中段前蹴り、そこからステップインして全く同じモーションでの左上段廻し蹴りが炸裂!
相手はもんどり打って倒れ、顔面を抑え、立ち上がる気配は無い。
恐るべき実力さを見せつけ、4回戦では伊藤選手を相手に、ケリを受け止め下突きで返し、それを繰り返して2度目の場外突近まで行ったその時。
瞬間的な右の下突きで意識が下に行ったんだろう、その瞬間に左上段回し蹴りを下がった顔面に叩き込み、一瞬伊藤選手が方向感覚を見失ったようにさまよい歩き、かと思ったらふらつき天を仰いでそのままぶったおれ、昏倒。
会場に戦慄を走らせ、迎えた準決勝。
対戦相手は第5回全日本大会6位、大会世界大会3位、第8回全日本大会準優勝、現時点で間違いなく最強候補の一鶴と言え、昨年優勝し、中村誠自身も破れている東孝にも2度勝利を収めている、二宮城光。
その対決は双方真っ正面から衝突する形で始まり、円心の構えの二宮城光に対して、中村誠は変わらずほぼノーガード。
左正拳、右の下突きから打ち込んでいき、左前蹴りでカウンターを取る二宮城光に対して、膝蹴りで突進していく。
後ろ蹴りにもお尻に前蹴りを合わせると言うカウンターで返し、その獰猛さはとどまることを知らず。
しかし徐々に二宮城光のさばき、相手をひっかけ、周り込みながらの上段廻し蹴りなどをもらうようになり、そして幾度目かの前蹴りで飛び込んだところに完璧なタイミングで前蹴りを合わされ、ひっくり返されての下段突きを決められ、痛恨の技アリ。
残念ながら惜しくも敗れてことになるが、3位決定戦では城南支部長となり数々のチャンピオンを育て上げる廣重毅と対戦。
時計の右下突きの猛威は止まらず、それに左の前蹴り、膝蹴り、上中下の廻し蹴りも加え、最後はスイッチしての三日月蹴りが脇腹をえぐり、完全なる一本勝ち、2年連続の3位を確保した。
しかしその行く末に期待をかけていた大山倍達はこの結果に満足せず、何かが欠けていると思ったといい、アメリカの大きい外人と練習したら何か掴むんじゃないか、身につくんじゃないかと、中村誠はその後当時最高師範でありニューヨークで指導をしていた大山茂のもとに武者修行に出されたと言い、ウィリーウィリアムスなどとともに修行を果たし、その翌年1979年5月18日に開催された、当時第二回世界空手オリンピック日本代表選抜前哨戦と銘打たれた、いや長いな(笑
第11回全日本空手道選手権大会に出陣。
第11回全日本初優勝
膝蹴り、下突き等の一本で準々決勝まで勝ち上がり、そこで対戦したのは、後に世界大会での活躍を受け救世主と言わしめ、小さな巨人と呼ばれることになる、川畑幸一。
開始早々から猛烈な勢いで圧力をかけて行ったと言うが、終了間際に前に出ようとしたところステップバックされ、間合いを図られ繰り出された川畑幸一の左上段廻し蹴りがまさかの顎にクリーンヒット。
そのまま前のめりに崩れ落ち、技ありの判定。
昨年の悪夢がよみがえるような展開だったが、しかし旗判定ではそれまでの攻勢点が考慮されたのか旗は二本までしか上がらず引き分け、延長では逆に圧力をかけ続けての左上段回し蹴りで技ありを奪い、逆転勝利を果たしたと言う。
準決勝では人間機関車、東孝と再戦を果たし、開始直後から左の正拳突き、右の下突き。
それに東孝が右の下突き、右の下段廻し蹴りで応え、中村誠はそれに左の膝蹴りも加える。
体格も一回りどころじゃない位大きくなっている模様で、その怒涛の突進力は筆舌に尽くしがたいものがある。
本戦は引き分けとなったが、延長と引き分けとなるが、再延長では右の正拳突きを対応、そこからつかんで引きずり倒すを繰り返し、相手に有効打が放たせず判定3対2と言う正しく薄氷を踏む接戦をものとする。
決勝では第9回以来の2回目の対決となる、三瓶啓二。
前蹴りでカウンターを取る三瓶啓二に対して、中村誠はそれをつかんで引き倒す戦法に出る。
アメリカで武者修行をした者同士の対決といわれ、今度は左前蹴りで前に出るが、今度はその前に出た前足に対して左の内股蹴りを合わせられる。
試合巧者と言う意味では三瓶啓二に軍配が上がるかもしれない。
しかし中村誠はダメージを負ってもなお、前に続ける、引き倒す、その体格、力があった。
効かされても、合わせられても、武骨に前に。
旗は二本上がったが引き分けとなり、延長ではさらに左正拳と右の下突きで追い立て、そこに右の下段廻し蹴りも追加。
とにかく相手を崩して押し出すことに特化し、勝利に邁進し、それにより三瓶啓二が体重かけた有効な攻撃ができなくなり、再三蹴りをつかんで押し倒し、そこで試合終了。
判定5対0で、ついに中村誠が全日本初優勝を果たすことになった。
柔よく剛を制す。
武道の極地として、よく使われる言葉であるが、しかし実際にはその反対の言葉も存在している。
剛よく柔を絶つ。
実際のところ武を志す者、格闘技者などが、これを理想として端を発するものが多いのではないだろうか。
強く強く鍛え抜き、その力により、相手を粉砕する。
しかしいつの日か自分より力が強いものがいることを知り、直線的な攻撃では立ち向かえないと知り、それにより技を、速さを、そういった風に分岐していく。
しかし最後までその力による、業を以て柔を絶つと言うそれを貫き通せた、稀有な武道家。
中村誠は、そう評すべき、みんなが憧れる在りし日の理想を体験した空手家と言えたのかもしれない。
その後中村誠はその3ヶ月後、本部道場で映画出演を果たすことになる。
百人組手挑戦
梶原一騎プロデュースの四角いジャングル、その中の近くの一つとして、百人組手に挑戦することになったのだ。
これは直前に挑戦しなさいと大山倍達に命を受けてのものと言うことで、8月と言う真夏の猛暑の中行われたと言い、開始早々から中断廻し蹴りで相手を吹き飛ばしたり、下段廻し蹴りで半回転させたり、正拳突きで壁まで押し込んだりと圧倒し、膝蹴り、前蹴りで多くの技あり、一本勝ちを奪い、20人目までを20分17秒でこなしたと言うが、徐々に動きは重くなり、大山倍達が制止する声も届かずやかんから水をがぶ飲みし、45分39秒を以て30人目に到達。
歴代の達成者が話す、最も苦しい時期である30人台と70人台、そこに差し掛かり防戦一方となり、遂に前足を効かされ、腹も効かされてしまい、壁に叩きつけられてしまう。
膝をつき、35人目にして大山倍達の指示で中村誠の百人組手は幕を閉じることになった。
そして同年、1979年11月23日から25日の三日間、日本武道館で開催された第2回全世界空手道選手権大会に中村誠は出陣。
第2回世界大会
全日本大会優勝を果たした優勝候補として挑んだ第二回戦、対戦相手のハワイ出身であるヘンリー・チョイは191センチの長身だったが、それを相手に中村誠は側面からの右の下突きを連打。
押し込んで押し込んで押し込んで、途中顔面殴打の反則こそあったが圧倒しての初戦突破となるも、迎えた3回戦、そこに意外な強敵が潜んでいた。
スウェーデン出身のハンスラングレン。
後にドルフ・ラングレンとして世界的な映画俳優となる彼は、身長をヘンリーすら超える驚異の195センチ、21歳、2級の茶帯、実際はそれは一刻の代表としてはあまりに恥ずかしいと言うことで大会前急遽茶帯を授かったと言われている若者と言うことだったが、実際のところその時点で英国王者のジェフ・ホワイブロウと死闘を繰り広げるほどの実力を有しており、それは3回戦にしてあまりにも激しい戦いとなった。
やはり中村誠がその下突きで攻め立てようとするのだが、ラングレンはそれになかなか下がらず、強烈な右下突きをどてっ腹につきさし、さらに右上段回し蹴りを側頭部に浴びてしまう。
一瞬グラッとする中村誠。
本戦、延長、再延長と激しい打ち合いは続き、ラングレンはそれに中段廻し蹴り、膝蹴り、前蹴りも加え、全く五分の展開。
体重判定、試し割り判定でも決着がつかず、最後の延長戦で前蹴りを連発するラングレンのその隙をついて突進しての足払いで転がし、頭から突撃し、わずかな差をものにし、次の駒に進めることとなった。
4回生はデンマークのジョン・マクシェリーに左の正拳突き、右の下突きと言う得意のコンビネーションがようやく見え始め、そこからの一瞬の左上段膝下でわずか16秒での一本勝ち。
5回戦はオランダのコーエン・シャレンブルグに開始早々から左の正拳突き左の膝蹴りを炸裂させ、最後は左の正拳突きで連続の一本勝ち。
…喉に当たっているような気もしますが
準々決勝は第11回全日本大会について再びの激突、川畑幸一。
全く同じ準々決勝と言うことも運命的なものを感じるが、中村誠は左の正拳右の下突き、そして左の膝蹴りと言うコンビネーションが完全に復活しており、全く寄せ突けず、飛び込んできたところも左の前蹴りで丁寧にカウンター。
押し込んで押し込んで左の上段廻し蹴りを決めてリベンジを果たし、準決勝ではやはり再びの激突東孝――この時点でエディ・フレージャーや、チャック・チズムなどのアメリカの超朝実力者を相手取り、そして準々決勝では大山倍達をして円熟と言わしめた前回大会ベスト16、その時は熊殺しウィリーウィリアムスすら破っているハワードコリンズと死闘を繰り広げ、それらによって大会前から既に痛めていた右膝は限界を超え、さらには右の足首まで痛めていたと言い、得意のローキックが炸裂することなく全日本の時とは違い膝膝膝と一方的な展開で圧倒し、中村誠は決勝の舞台に立つことになる。
反対側からはヒリシャス・バリエントスの顔面殴打に、アメリカのこの次の第3回大会でもベスト16に入るギャリークルゼヴィッツとの戦いを乗り越え、ウィリーウィリアムスの謎の反則により勝ち上がってきた、三瓶啓二。
戦いはやはり中村誠の左正拳突き右の下突き、そこに三瓶啓二が左の内股を合わせると言う展開となるが、今回の中村誠は前傾しておらず、そこから左の前蹴りを追加。
それが有効に決まり、三瓶啓二を場外に押し出し、再延長判定3対0をもって、中村誠はついに世界王者を戴冠するに至る。
様々な運命が交錯した第二回世界大会、しかしそれらを総括し、頂点に立ったその価値は、あまりに大きいと言わざるを得ないだろう。
第12回全日本での決勝敗退
その後中村誠はプロレス界から五千万円でレスラーになれないかと誘われたと言うが、それを断り、翌年第12回全日本空手道選手権大会に出場。
この大会は初戦に解説によると浜井選手に顔面を殴られ、歯を4本おったと言う災難なとこから始まるが、2回戦渡辺選手を相手にどっしりと構えて右の下突きから左中段廻し蹴りと言う強烈なコンビネーション、これは効く!
それであっという間に腹を効かせ、さらに連続の左中段廻し蹴りであっという間の一本勝ち。
さらに4回戦は伊藤選手を、準々決勝は矢島選手を右下突きで場外に押し出し、最後は左中段廻し蹴りで悶絶させての一本勝ち。
ここにきて中村誠、それまでそれほど多く見せていなかった左の中段廻し蹴りが冴え渡る。
準決勝、後にキックでも活躍する竹山晴友を後ろ蹴りで葬った本部の指導員為永隆を相手取り、しっかりと腰が入った打ち下ろし気味の左正拳突き。
それで早速場外にたたき出し、やはりそこから左中段廻し蹴りの連打につなげる。
それが効いて体制が崩れたところに思い切った右の正拳突きで追い打ち。
やはりこの大会、組み手を変えている。
右を正拳、左中段廻し蹴りと言う対角線上の攻撃を使いこなし、バランスを完全に崩し、それまでの3連続一本勝ちもひっさげての決勝進出。
決勝で相対するは都合4度目の対決、三瓶啓二。
これまでは全て中村誠が勝っていたが、今回の三瓶啓二は気合いがノリに乗っており、中村誠は左中段廻し蹴りで飛びかかり、押し出そうとするか押し出せず、逆に左の内股のカウンターを浴びてしまう。
動きが停められる、足が跳ね上がる。
一度は転ばせるものの、いちど被ったダメージは元には戻らず、そんな中でも左中段の廻し蹴りを連発。
焦りのためか再三その拳が顔面をとらえ、投げてしまい、最後の延長戦では足がついてこなくなり、端が二本向こうに上がり、最終的に試し割り判定で、ついに兜を脱ぐことになった。
他の追随を許さないと言っても過言ではない力を持ち、それを満天のもとに示し世界王者と言う栄光を掴んだものの、百人組手失敗、全日本大会決勝敗退と言う憂き目に遭い、それでも自らの力を信じ突き進んでいく、弩級と言っても過言では無い空手家中村誠。
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