七十三話「格闘技ビジネス」
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目次
本編
その日、会場には大量の観客が訪れていた。
三枝の宣伝は効果的だった。
あの練仁会世界チャンピオンの間六彦が、盟帝会のチャンピオンと戦う。
その噂は、一気に県下に広がっていった。
そこに、天寺と夕人のリベンジマッチだ。
あの練仁会世界チャンピオンの間六彦が、盟帝会のチャンピオンと戦う。
その噂は、一気に県下に広がっていった。
そこに、天寺と夕人のリベンジマッチだ。
格闘技好きの人間は、こぞってこの日の予定を空けた。
天寺たちが戦った高校生大会とは比べものにならないほどの観客が、会場に押し寄せていた。
二千人が入る会場が、満員になっていた。
立ち見も大量に現れている。
巨大な熱気が、火柱のように上がっていた。
リングでは、既に夕人が待機していた。
今回は空手の大会のようにマットではなく、ボクシングやムエタイのようにリングで戦う。
盟帝会とは、そういう組織だった。
空手団体と銘打ってはいるが、流行の格闘技ならなんでも催す。
期間も決めず、その時の波に合わせる。
夕人も、それでレンタルされた口だった。
夕人は、タイの日系二世だった。
ムエタイでは、ジムの名前やスポンサー名を所属選手のリングネームにする習慣がある。
タイでは夕人は、夕人=ストメッチと名乗っていた。
夕人のサイズは181センチだ。
タイ人でこれだけでかいのは、なかなかいない。
ムエタイは階級性で、最重量のミドル級でさえ160ポンド――71、575キロまでだ。
夕人も減量して試合には臨んでいたが、それでもジュニアミドル――68キロで戦っていた。
ムエタイで一番層が厚いのはバンタムからライト級の、53キロから61キロで、そこまで重いと選手層もそれほどではなく、18歳の身でも二大名門の一つ、ラジャダムナンスタジアムに出る事ができていた。
そこにはもちろん、夕人の類稀なセンスも関係していたのだが。
そして高校生活も終わりを告げ、生活をムエタイ一本に絞ろうとしていたある日。
いつものようにストメッチジムで練習していた時に、日本からの国際電話が掛かってきて、夕人をレンタルしたいという申し出があった。
電話口の相手は、盟帝会空手という団体の館長、三枝爾(みつえだ みつる)と名乗った。
なんでも、練仁会という大手の空手団体に入賞者を出して、もっと大々的に名前を売っていきたいという話だった。
一週間で、30万という話だ。
しかもその滞在期間に生じる諸経費はすべて、盟帝会が用意するという。
僅か18歳の夕人に、それだけの破格の待遇がついたのだ。
それで、夕人は盟帝会にレンタルされることになったのだ。
そしてくだんのことがあり、期間は延長された。
二ヶ月で、200万。
それも普段は拘束条件などなく、要はこの試合さえこなしてくれればいいという。
上手すぎる話である。
夕人は一も二もなく首を縦に振った。
そして今、リングのロープに体を預けて天寺がくるのを待っていた。
今回はより空手対ムエタイ、という構図を浮き彫りにさせるため、空手衣ではなくムエタイの時のようにトランクスを履いていた。
拳にはグローブこそはめていないが、バンテージを巻いている。腕にはパープラアチットというお守りの紐も巻いてある。
大会の時のようなサポーターもはめていない。
この大会は入場も手が込んでおり、派手な入場曲と共に選手は長い花道を歩き、その間レーザーやスポットライト、スモークが雰囲気を盛り上げ、同時に選手の経歴も紹介される。
要は、いかに凄いのかを見せつけるのだ。
それを終え、夕人は天寺の登場を待っていた。
天寺の時も、そういう演出がなされる筈だった。
それは選手には意見を求められることはなく、雇われてあるプロの演出家が勝手に決める。
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