第73話「50種類のスパイスのカレーパン」
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本編
野生の獣のようだ。僕がこの位置まで来て改めて、その凄さを実感する。
頭をよぎる、とうさんの異名。
空手の神。
「例えば咄嗟の抵抗や、行動の豹変。たったそれだけのことだがな、慣れていないとパニックを起こし、的確な対応が出来なくなることもある」
その言葉が、自分の心を重くした。
昨日の出来事がフラッシュバックする。
彼女の様子が変わり、両手で突き飛ばされ、髪を掻き毟り、頭を地面に打ちつけ、吐き、倒れて痙攣を起こすまで、一切何の身動きも出来なかった自分。
僕が今までしてきた稽古というのは、本当に実戦に即したものだったのだろうか?
そのあと行われた黒帯研究会は、どこか疑心暗鬼とした身が入りきらないものになった。
さらに一夜明けた六月三日、火曜日。
今日はデートの詳細を切間に報告しようと思っていたのだが、学校で見かけることはなかった。
メールしたら、昨日オールだったから今日は休む、とのことだった。
その代わり一限から隼人と一緒に授業を受けて、一連の話をして迎えた、昼休み。
考えた末、彼女と会わせることにした。
いつもの定位置に行くと、その日も全身黒の服に身を包んだ彼女が、50種類のスパイスのカレーパンを頬張ってた。
――そんなのいつの間に出たんだろう……今度探してみよう。
そんなことを思いながら、僕はいつものように左肩を叩――こうとして、凄い勢いで振り返られて(もうお互い慣れたので、驚きはしなかった)から、声を掛けた。
「おはよう」
微笑み。
面食らった。
ただ挨拶しただけ。
ただそれだけで、彼女が目も口も細めて柔らかく微笑んだのだ。
そのあまりの印象の変化に、嬉しさに、顔がにやけそうになる。
駄目だ、かっこわるい。
そう考えて必死に堪えようと視線を落とすと、彼女が持ってる食べかけのパンが目に入り、そしてそれがすっ、と前に差し出された。
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