#36「食堂」
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目次
本編
彼女は歩きながら振り返り、
「遼に、会いたくて」
「?」
結局疑問符だった。
夜に会えるじゃないか。そう思った。
だけど女性の気持ちというものは、複雑なものだと聞いたことがある。
きっと、そういうこと――なのだろうか?
「それで、どこに向かってるの?」
「食堂」
耳を疑いそうになった。
「え……な、なにしに?」
「一緒に、お昼ごはん食べよう?」
振り返り、純粋な瞳で見つめられてしまう。
そこからはキラキラと光が発射されているようですらあり――
「そ、そうだね?」
そう答えるしか、なかった。
食堂は、外来の患者さんたちで賑わっていた。
白を基調とした清潔感のある十数名分の席は、だいたい埋まっている。
そのうちいくつかだが空いている――隅の方の席に、座る。
向かいに彼女が、座る。
当然視線が、絡む。
ぼくは照れ隠しに、微妙な笑みを浮かべた。
彼女は真っ直ぐにぼくを見つめ、ニッコリと笑顔を浮かべた。
バカみたいに、心臓が高鳴った。
「あ、はは……」
彼女の変化に、ぼくは戸惑うばかりだった。
でももちろん、嫌なわけではなかった。
だからぼくは、心のままに生きることにした。
なんだかんだいってぼくはこのフレーズが気に入っているみたいだった。
話を本題に移して、
「じゃ、じゃあ、なに食べようか? っていっても、ぼくもこの食堂を使うのは初めてだから何もわかんないんだけど――」
「いらっしゃーい、なに食べるかい?」
話をへし折るタイミングで、食堂のおばちゃんがメニューを持ってきた。
たくましくて、ぐいぐいくる感じで、なんだか裕子さんを彷彿とさせる。
それにぼくは苦笑いを浮かべ、
「はぁ、まぁ、その……」
「あら、あんたたちカップルかい?」
ズケズケ過ぎる。
ぼくはやり過ごそうかと一瞬考え、
「カップルです」
マヤの真面目くさった返しに、開けた口が塞がらなかった。
それにおばちゃんはニヤニヤして、ぼくの脇腹なんか肘でついている。
もーどーにでもなれ。
ぼくは否定せず相手にせず、メニューから焼き魚定食を頼んだ。
彼女の方はというと、
「わたしも、焼き魚定食」
結局二人して、同じものをつつきあう羽目になった。
羽目になるという言い回しは、さすがに失礼か?
むしゃむしゃと、会話もなく食事は進んだ。
途中一回だけ彼女の方を見て考えたが、結局食事に集中することにした。
こういう時、会話をするような間柄じゃなかった。
だらだらと無駄なやり取りを交わすような関係じゃ、なかったから。
食べ終わる。
美味しかった。
綺麗に骨だけ残して、内臓まで食べた。
病院食が美味しくないわけじゃないけど、それとは違って野趣溢れる独特な味わいというか――よく考えるとこれもまぁ、病院食に含まれるのだろうけど。
「美味しかったね」
「おいしかった」
ただそれだけ言いあって、そして笑い合った。
遠慮がないやり取り。
気を遣わないやり取り。
それが、嬉しかった。
楽しかった。
心から。
そのあと、談話室に向かった。
そこで二人でテレビを見て、過ごした。
やっていたのは他愛もない、ありきたりなバラエティ。
ぼくたちは笑顔もなく、そして会話もなくそれこそぼんやりと眺めていた。
内容が頭に入っていたのかどうかは、よくわからない。
なんとなく覚えているような気もする。
だけどなにより大切なのは、それほど無防備な時を誰かと過ごせたことだとぼくは思うんだ。
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