“アンディの再来”ヴァレリーディミトロフ 踵落とし、打たれ強さ、岩の如き拳で22度のヨーロッパ王者となる男の、世界初挑戦が始まる!
22度のヨーロッパ選手権制覇
ヴァレリーディミトロフ。
極真カラテの長い歴史においても、そのあまりにも安定して、かつ長い活躍期間、そして完成されすぎて、全く非のつけどころがないその組手スタイルに加えてあまりにも崇高な精神により、至高の領域にまで足したといっても過いではない武道家である。
その戦績はあまりにも凄まじいものがあり、筆頭として挙げられるのはやはり過去22度のヨーロッパ選手権の制覇といえるだろう。
多重別に分かれているとはいえ、1つの国ではない、世界でも屈指の強豪国がひしめき合うといわれるヨーロッパの国々が集められる大会の中で、それを2桁、22度も優勝するというのが、もはやその高みを想像することすら叶わない、まさしく彼1人しか到達できない孤高の高みであり、さらには体重別の世界大会2階級制覇及び合計3度の優勝、無差別の世界大会三度のベスト4など、数え上げればきりがないほどである。
そして彼が開発し使い始めたというわけではないが、その有用性をあまりにも世界に示してしまったがために、例外的ともいえるその本人の名前がつくことになった下段かかと蹴り、ヴァレリーキックは空手界を超えて格闘技界に広く浸透し、その名が知れ渡っているといえる。
そんな彼は幼少の頃より空手の練習を行うことを夢見て、待ちわびていたといい、それが14歳の時よりかない、長足の進歩を遂げ、若干19歳で出場した2001年のヨーロッパ大会でいきなりの中量級で優勝という驚愕の実績を作ることとなる。
ついで出場したヨーロッパ大会2002の、無差別級。
体格としては80キロ台と中量級、大型選手がひしめき合うヨーロッパとしては不利な部類に入るヴァレリーだったが、しかし彼は降り回すような胸へのパンチ、左中段廻し蹴り、内股下段と、見事な打ち分けを見せ、そこからの左鉤突き、膝蹴り、下突きと追い込んでのかかと落とし!
そこから先も恐ろしく地に足のついた組み手で追い詰め、下段廻し蹴りから胸への突き二連打で技あり!
別の戦いでも鮮やかな後廻し蹴り、重厚な下突き、膝蹴り、下段廻し蹴り、かかと落としという縦横無尽のコンビネーションを見せ、相手の攻撃にも昼間ない打たれ強さも披露。
何度も場外に叩き出し、圧倒しての勝利を収め、そこでまたしても優勝を決めたという。
ヨーロッパ最強を証明し、年末に迫る世界大会に向けての総仕上げの戦いとなったヨーロッパ大会2003。
それまでのある種直線的な組み手とは違い、自分より一回り大きい体格の相手に見事な回り込を披露し、しかし左下突き2発で場外に叩き出すという破格の破壊力を見せつける!
正拳突きでも叩き出し、わずか21にして手が付けられない無双の試合内容。
ヴァレリーキック
さらには後にその名が付けられる下段踵蹴り――ヴァレリーキックもお披露目となり、そこから執拗な下突き、膝蹴り、その畳み掛けにより1本勝ち。
決勝では前回の第7回世界大会でやはり中量級の体格にして準優勝に輝くという快挙を成し遂げた、ドイツのムザファバカックと対戦。
ある種新旧最強対決ともいえる組み合わせとなったが、ヴァレリーは臆することなくしっかり上段回し蹴りで攻め込み、その後もどんどん間合いを詰めて後ろ蹴り、鉤突き下突きと伸び伸びとした組手を展開。
そのカカト落としは天空にまで立ちそうな高さであり、その左上段廻し蹴りがバカックの顔面をかすめる。
カカト落としが何度も何度もバカックを襲い、鉤突きが肝臓をえぐる。
膝蹴り、上段回し蹴りの追撃と、全く付け入る隙がなく、世界2位をとことんまで追い込んでいく。
延長でも流れは変わらず、何度も場外に叩き出すが、再延長でバカックが得意の回り込みながらの左右正拳突きのラッシュからの右下段を連打。
それが有効に決まってしまい、最終的に非常に僅差でヴァレリーはヨーロッパ大会2003中量級を準優勝という結果にとどまる事ある。
そしてついに迎えた第8回全世界空手道選手権大会。
第8回世界大会
ヴァレリーディミトロフは中量級として取った、2000年ヨーロッパ大会無差別級王者として、その柔軟な体から豪快に繰り出されるかかと落としなどの多彩な蹴りを取り上げられ、"アンディ・フグの再来"として紹介されていた。
しかし当時、先に述べた前回大会準優勝のムザファバカック、外国人として初の体重別世界大会であるカラテワールドカップ重量級優勝に輝いたデニス・グリゴリエフ、前回大会で世界王者塚本徳臣を追い詰め、ワールドカップ重量級で準優勝に輝いたゲティミナス・タンケヤチウス、さらには今年のヨーロッパ大会でその暴風のようなラッシュで一躍注目されることになった196センチ108キロを誇る"リトアニアの凶獣"ドナタス・イムブラスなども揃っていたために、ヴァレリーの注目度ははっきりそれほど高いものとはいえなかった。
蹴りが上手な選手が出たのかな、その程度だったといえなくもないかもしれない。
しかしヴァレリーはその周りの予想とは裏腹に、1回戦、高い高い左上段回し蹴りを見せ技に、突き突き、左下段廻し蹴りを効かせ、そこから左下突きで吹き飛ばし、続いての下突きであっけに取られるほどあっさりと技ありを奪ってしまう。
まるでこぶし大の石を、相手の腹に叩きつけたような光景。
さらには3回戦、ヴァレリーチックを見せ技に、左膝、そこからの下突き、おまけの左中段廻し蹴りでまたしてもあっさり技あり。
だんだんと、ヴァレリーに対する認識が間違っていたのではないかというそんな波紋が広がっていくかのようだった。
4回戦ではロシア第3の男といわれる、後の第4回カラテワールドカップ重量級で3位に輝く、マキシム・シェヴチェンコと対戦。
軍曹のようなちょびひげが風格を醸し出す、まさに軍人のような抹消直で堂々とした組み手が身上の男だったが、そんな彼は左内股からの左下突き左下突き左膝蹴りであっさり肝臓を効かせてしまう!
そこからの左上段回し蹴り、ヴァレリーキック、効いた!
下突きも下突きも胸への正拳突きも正拳突きも下突きも効いた!
さらに左中段廻し蹴りを畳み掛ける、一発一発の突きの破壊力が常軌を逸している、本当に石か岩かで出てきているかのよう。
判定3対0で退け、これはただごとじゃないぞという雰囲気が漂う中、準々決勝で相まみえるのは――
第6回世界大会優勝、第1回カラテワールドカップ重量級優勝、第28回及び29回全日本大会2連覇、グランドスラム達成者である、ありとあらゆる極真空手の憧れとする一撃必殺の理想を体現する男、"空手革命児"塚本徳臣だった。
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“空手革命児"塚本徳臣
19歳で出場した2001年のヨーロッパ大会でいきなりの優勝、そして2002年のヨーロッパ大会では中量級、無差別級にて優勝という快挙。
縦横無尽の足技、巌のような拳を武器に、他を寄せ付けない圧倒的な強さを示し、出場した第8回全世界空手道選手権大会においても、一本勝ち、技ありを築き、その前評判通りのアンディフグの再来としての実力を知らしめたヴァレリー。
これは前回準優勝のムザファバカック、第二回体重別の世界大会であるカラテワールドカップ重量級で優勝を果たしたデニスグリゴリエフ、その第9回全世界空手道選手権大会で準優勝を果たすバルトの魔人ドナタスイムブラスよりも、もしかしたら――そんな予感を感じさせながら迎えた準々決勝。
相対するは第6回世界大会王者、第一回の空手ワールドカップ重量級優勝、さらには全日本大会、ウェイト制大会も含めたグランドスラム達成者、空手家革命児塚本徳臣。
ヴァレリーディミトリも塚本徳臣に多大なる影響受け、尊敬する空手家として挙げていたという話もあるといい、そんな2人の戦いは塚本徳臣は代名詞ともいえる華麗なるステップ、それにヴァレリーディミトロフが間合いを詰めていたところに、飛び後ろ廻し蹴りを合わせられる場面から始まる。
蹴ろうとしてくる塚本徳臣に対して、ヴァレリーディミトロフは前足である左下段を連発。
飛び膝蹴りを躱し、左下段をこらえ、右内股。
左ミドルの蹴り合いから、右中段廻し蹴りに合わせて前に出て、右の下突き。
塚本徳臣の激しい連打をこらえて、再びの下突き。
右の鉤突き、下突き、そしてヴァレリーキック。
手数こそ下回るものの、すべてに完璧な形で腰が入り、体重が乗っており、それが塚本徳臣の体を蝕んでいくのが見てとれるようだった。
未来の下突き、左中段廻し蹴り、右の鉤突き、ヴァレリーキック。
鉤突き、下突き、膝蹴り。
毒のように塚本徳臣の体を侵し、自分の間合いとし、そしてそのヴァレリーキックが塚本徳臣の左足を穿ち、さらに一発で完全に棒立ちにしたところで、狙いすました右の下突き。
完全に塚本徳臣の体をくの字とし、間一髪その後の右上段廻し蹴りは躱わされたものの、技あり。
おそらくは第6回にて世界王者となった後としては、これが塚本徳臣が奪われた唯一のお飾りなのではないだろうか。
信じられない事態に塚本徳臣は舌を巻き、逆転を狙い胴廻し回転蹴りを放つが決定だとはならず、脛受けしたものその上から太ももにヴァレリーキックをもらい、顔を歪め、横蹴り、再びのヴァレリーキックが激痛!
さらに膝蹴りに合わせて左下突き、右下突き、左下突きの二連打で、ついに背中を見せてしまう。
一本負け。
あの塚本徳臣が、一本負け。
会場に狂乱ともいえるほどの戦慄が走る。
この信じられない時代に当のヴァレリーディミトロフも、
大変なことをしてしまった。
と語っていたという話もあり、その重さがうかがわれるといえるエピソードといえるだろう。
その後ヴァレリーは塚本に丁寧な挨拶を行い、向かうは準決勝。
初出場弱冠21歳にして、いきなりの世界大会ベストフォー。
皮肉にも第6回世界大会で塚本徳臣が見せた快進撃を思わせる勝ち上がり振りにして激突するのは、強いムーミンの意名を持つ、緩急自在にして剛柔一体の完成された組手を見せつける、逢坂祐一郎。
会場には悲愴ともいえる空気が流れていた。
あまりにもヴァレリーが強すぎる。
変幻自在の足技、鋼鉄の歌強さ、巧みな間合い術、そして文字通りの鉄拳。
どんな相手もその体に傷ひとつつけることなく、蹴りで翻弄され、ダメージを蓄積され、そしてその下突きで轟沈させられてしまう。
その下突きを止められる術などあるのだろうか?
誰もがその街を見出せないまま、果たして逢坂祐一郎はどのような戦いを見せるというのか。
“強いムーミン"逢坂祐一郎
逢坂祐一郎が高く手を掲げ、じっくりと双方ともに間合いを詰め、そして先に手を出したのはすばやいすばやい前足インローのヴァレリーディミトロフ。
さらに左の突き、横蹴り。
ヴァレリーディミトロフを放ち、それに逢坂祐一郎が左右のローキック、ミドルを振り回してくるが、体重差30キロ近いと思えないほどの腰の強さ、体幹で、正直びくともしない。
世界最高峰ともいえる、マット中央での互角の打ち合い。
その中でヴァレリーディミトロフが飛び込んでのヴァレリーキック、そして飛び膝蹴り、中段膝蹴りで圧力をかける。
逢坂祐一郎も下がらないが、ヴァレリーディミトロフの2メートル以上の地点にも到達しているんじゃないかと思える左上段廻し蹴り。
しかしそこでヴァレリーが少し唇をかみしめているというのが、がくっとなったというふうに見えるのが気になってはいた。
今度は逢坂祐一郎の巻き込むような左右の廻し蹴り、膝蹴りの連打にさらされるが、そこはうまく回り込み、左内股からの左右下突き、そしてかかと落とし。
そこからヴァレリーキックで飛び込み、激しい反撃、カウンターに合いながらも110キロの巨体を試合場の隅に乗り込んでいく。
後ろ蹴りをたたき込み、膝蹴り、ヴァレリーキック、その連打からの突き。
パターンに徐々にはまってきたかと思ったその矢先。
逢坂祐一郎の左上段廻し蹴りが閃き、しかし取り込み左右の突きから左上段廻し蹴り、そして代名詞ヴァレリーキック。
それがやや有効かと思われた、その次の瞬間。
右下段回し蹴りの二発目だろうか?
それに逢坂祐一郎が膝蹴りのようなものを突き出したのだろうか?
それにヴァレリーディミトリは反対の足を抑えて後退、そのまま倒れ込み、悶絶。
その後試合を続行する事は、叶わなかった。
抑えているのは左膝の下あたり、しかしお互いの蹴りが衝突したように思えるのは右足のように思われ、急速に負荷がかかったため軸足がずれたのか、その前の左上段廻し蹴りの影響もあるのか、実際のところ軸足同士が衝突しているのか、何度見ても確証を得る事は叶わなかった。
足をつかんで膝を回し、引きずり握手、抱擁を交わし、ケンケンしながら何とか自らの席に座るヴァレリー。
しかしそこには悔しさや悲壮感は全くなく、晴れやかな笑顔だけがあり、その後の彼の武道精神、生き方、それが既に現れているかのようだった。
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