“回転拳の英傑”加藤重夫 魔裟斗、松井章圭育ての師!155cm47kgショーンコネリーに貫手板割りの神技を魅せ、バックハンドブローを生み出し牛若丸と呼ばれし武道家!

2024年4月9日

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大山道場

ショーンコネリーに演武を見せて松井章圭と魔裟斗を育てた加藤重夫

現在の数多ある打撃系格闘技の元祖とも言える、極真空手の、その大元である大山道場。

そこに誰もが認める名空手家であり、名指導者であり、そして最も小さな体を持つ大武道家が入門した。

スモールタイガー藤平昭雄、小よく大を制する組み手を見せつけた堺貞夫。

極真の長い歴史の中でも最も小柄とも言える2人だが、その身長は155センチ、157センチにして、しかし筋骨隆々とした体により体重は60キロ近くに及ぶ。

しかしその体は、身長155センチだったと言うが、体重は47キロにしかなかったと言う。

その名は加藤重夫。

全国でも有名な陸上でものすごい練習をしている最中監督からお前は格闘技に向いていると言われ、たまたま行った立教大学の裏で牛と戦ったと耳をしていた大山道場を見つけ、入門。

最初に教わった先輩と言うのは、漫画空手バカ一代の大山倍達最初の弟子として登場した有明省吾のモデルの1人と言われる春山一郎ということがまた運命的とも言えるが、基本は大山茂に倣い、最初に教わったのはボクシングの構えからのワンツー。

外人なども多かったと言いまっすぐ入るとひどい目に会っちゃうから左右から入っていったといい、どんなに先輩にボコボコにされても参りましたと言わず、何やったっていいんだって感じで頭突きもやってやろうとかと言う意気込みで、

高校3年生になるまでは陸上と掛け持ちし、毎日30キロ走って5時から夜11時ごろまでの猛練習を積み、徹底的に足腰を鍛えあげ入って3ヶ月で白帯にして号令をかけるようになり、数多の道場破りを相手にし、サバキの芦原英幸と組んで飲んでの喧嘩などもよくやったと言う。

得意としていたのはまず肘。

それも打ち込む方ではなく、相手が蹴ってくるミドルでもハイでもその肘に人より打ち落としていたと言う。

極真ヨーロッパ代表となるルックホランダーなども年中伸ばしていたと言い、ほら蹴れ、蹴れと言って肘で叩く、つかんできても全部肘でガンと。

正しく体格の不利を考えての、出てくる手足をまず潰すと言う合理的な、そして名人芸とも言える戦い方と言えるだろう。

そして先にも述べた左右の動き、腹の内側にめり込ませるような前蹴り、それに加えて特筆すべきとも言える項目が加藤重夫曰く、バックハンドではないかと考える。

バックハンド

審査の時に、ボクシングミドル級でやっており、長靴履いて三峰のマラソンで3位になった化け物みたいなスタミナがあり何やっても効かない服部さんと言う方と立ち合い、そこで陸上やってた時に、走りながら急に後方へ後ろ向きのまま走る練習をしていたのが閃き、内に入って回転して相手の顎を狙って叩いたと言う。

それに大山倍達から、お前何やってんだ?と言われ、面白い様に当たるからそれからサイドに動いてはバックハンドをやるようになり、じゃあ足に向って落としたらどうなるんだろうと思い、実験で黒帯連中の蹴りを片っ端から下に叩き落としたと言うから痛快無比と言えるだろう。

その実力は大山茂に、全日本があれば藤平や加藤がいいとこ、行っちゃうんだろうな、と言わしめるほどだったと言う。

そんな加藤重夫は大山倍達の命で座間の米軍キャンプにも赴いたと言い、皆馬鹿にしてくるからなんだこいつらって、型やったってみんなつまんなそうにして、組み手って言ってくるため、このやろうと思ってみんな蹴らせては片っ端から肘で落として二度と蹴ってこなくしてから、金的を蹴飛ばしたと言う。

その練習内容は凄まじく、正拳で巻き藁を叩き、血が出てぐちゃぐちゃになってくると気持ちよくなり、痛みがなくなり、強くなったなぁと思い、電車で手を見るとグわっと盛り上がっており、

大山倍達にそれをやれば強くなると言われれば信じ、藤平昭雄と2人だけ練習が終わってからの千本蹴りも行い、辛いなんて通り越したと笑う。

そんな加藤重夫もカレンバッハの強さには舌を巻いており、あれは化け物、誰もついてこられない砂利道での2時間ランニングを裸足で平気でついてくるんだからさ、全盛期の頃ならフィリオより強かったかもしれないと語っている。

その後オーストラリアはメルボルン行きの命を受け、その際。

お前な、どんな奴でも一対一でやった時は、負けてもいいから元気な姿で外に出すな。

何やったっていいんだぞ。

と言葉を授かり、じゃあ木刀で後ろからひっぱたいてやろうかとかそんなことを思いつつ、現地では基本稽古からの徹底的した指導を行い、しかし組み手の段になるとその相手はほとんどが180センチ以上あり、中には130キロに及ぶ巨漢もいて、文字通り決死の覚悟で立ち会い――

その時点でやはり身長、そして体重差があまりにあったために、道場生が自分に指導者としての不信感を抱いていることを感じ取ってしまっていたりといい、その中には他流派の段位を持っているものもおり、その戦いはそのまま道場の看板をかけた試合にも等しいものがあったと言う。

その中では息吹の最中顔面へもろにパンチを食い危うく一命を取り止めたり、鉄柱相手の頭突きをやりすぎたが故にボクサーのパンチドランカーに似た症状を呈し言語障害になりながらも、初めの合図までおとなしくしていて、開始と同時に金的を蹴飛ばすなどの奇襲を使ったりなどしたと言う。

さらにはそのオーストラリアで氷柱頭突き割りの演舞をした際、脳波が乱れてしまったと言うから壮絶だと言えるだろう。

ショーンコネリーに演武、魔裟斗と松井章圭を指導

その後ショーン・コネリー主演の007の映画撮影の際、パンフレット用の写真を撮るため忍者役で姫路城の石垣をよじ登り、天守閣で藤平昭雄と1戦交え、その縁でショーン・コネリーが極真会館に来館した際はなんと驚愕の貫手による板二割りを披露。

通訳であり武術研究家のドン・ドレーガーが、先生、抜き手ですか!?と衝撃を持って大山倍達に問い返し、その困難さをショーン・コネリーに説明し、その日1番の賞賛を浴び、1つの伝説として語り継がれていると言う。

その後極真会館千葉の支部で指導にあたり、後に全日本2連覇、第4回世界大会王者となり松井章圭を指導し、生涯の恩師と仰がれ、キックボクシングジムを設立。

やはり全日本キックボクシング王者、K-1 WORLD MAXで2度世界王者となる魔袈裟を指導、そのリングネームの名付け親でもあったと言う。

格闘技人生50周年記念パーティーではその両雄が同席し、松井章圭からは、

13歳で入門して以来、これまでずっと門下生です。

と挨拶を受け、さらに極真空手では後輩にあたる作家の真樹日佐夫からは、

先輩には生涯現役を貫いてほしい。

というメッセージを受けたと言う。

そんな牛若丸とも謳われた活躍を見せ、名伯楽ともいえる足跡を残した加藤重夫が語った言葉でこの物語を締めくくらせていただきたいと思う。

人材と言うものは待っていてきてくれると言うものじゃない。

人材は作っていくものでしょう。

大山総裁がいなくなっても、そういう素晴らしい人材が残っているというのが、空手に関して優秀な人材を作っているというのが、何よりも総裁の技だったと僕は思うんですよ。

今極真に残っている人たちは、この人材を作ると言う総裁の技を受け継いでいるのだから、ここのところは僕は忘れてはいけないと思いますね。

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