“先師望月”石橋雅史 初代師範代安田英治、黒崎健時と大山茂、芦原秀幸に盧山初雄、山崎照朝を育て極真空手の礎築いた功績!
大道無門、先師望月
大山倍達が生前よく引用していた漢文だと言い、それをさらに自らの戒めに使っている高弟もいるらしい。
大山道場には、3人の初代師範代がいたと言う。
予告前蹴りの安田英治、剛の組手をした黒崎健時、そして華麗で柔の組手の実践者――
大山倍達が創設した極真会の前身、大山道場、そこで修行をしていた者たちの中で、大山倍達と師弟関係ではなく、先輩後輩の間柄でその普及、道場を成り立たせるため、夢の実現のため協力していたものがいる。
それこそが今回紹介する、俳優としても大変に有名な、石橋雅史である。
石橋雅史は本名を石橋雅美と言い、中学高校の頃は柔道部に所属、その学校が体育会系部の力が強く、演劇部の友達が部費が取れないと泣きついてこられ、見かねて二股と言う形で入部したところその演劇の方にはまり、その流れで日本大学芸術学部に進学し、俳優を続けることになったという。
その後浅草にある剛柔流の本部道場に通うようになり、やがて大学の剛柔流空手道部主将となる。
大山倍達との間柄は剛柔流の先輩後輩、その頃大山倍達は雅史事をやっていたといい、年齢は9つ離れており、最初の出会いは飲み屋で喧嘩を売られ、その相手がヤクザで、いざ引っ込みがつかなかったところその一緒にいる武道の先生が大山倍達を知っているかと聞かれ、知ってると答えるとここへ連れて来いと言われ、
いきなり夜中に自宅に伺うと、わかったと言ってついてきてくれて喧嘩がチャラになった、そこが始まりだったと言う。
それから何年かして昭和31年、南本という人を通して連絡があり、道場を構えると言うことである程度の格好をつけないといけない、そこで空手の基本から系統立てて教えてくれるものを探していると打診があったと言う。
しかしその時石橋雅史も日大剛柔流空手道部主将を務める身だったため、剛柔流から脱退した大山倍達の所へ行く事は許されるべきではなく、おいそれと返事を出来ないでいると、曰くいつもの調子で
キミィ、何とかならんかね…
てなもんだよ、と言う話だ笑
それでいろいろ考えた結果、じゃあこうしましょう、僕通り道ですから、先輩のところに寄ったと言うことにして、と言う話になったという。
事実として大山倍達自身も、石橋君は弟子と言うよりも、私が海外に行っている間、道場の指導を手伝ってくれた貴重な人です、と語り、後年極真会の七段を贈ったと言う話。
さらにはその当時のエピソードとして、空手バカ一代の中にも紹介されている、親指と人差し指で曲げる10円銅貨曲げを見たことがある、と断言する。
その頃の道場には変わった奴が多く、石橋雅史が教えるようになってからちょっと後に黒崎健時、街を歩いていると地元のヤクザが挨拶してきたり、力道山の所の若手レスラーが習いに来てたり、初代女子プロレスのチャンピオン豊田明美とかもいたりして、
大山倍達は何でも教えると言う感じで、その中に春山一郎や大山茂、そのずっと後に盧山初雄、芦原英幸、山崎照朝がいたと言い手取り足取りを教えたと語る。
柔の組手
石橋雅史はそれまでいきなり鍛錬だったものを、柔軟体操から初めて単純基本、複合基本、型、それで自由組手というふうに系統立てて教えたと言う。
その組手については、実際に大山倍達とも行っていたといい、その頃の大山空手をけんか空手と評されているのもあり、組み手の相手がなかなか参りましたと言わない場合道場の羽目板まで追い詰めて連弾を浴びせる、それを羽目板稽古と呼んでおり。
暗黙のルールとなっていたと言うが、石橋雅史と大山倍達の組手はこのような感情的な展開はなく、それは互いに尊敬し合う関係であること、さらには石橋雅史が実際に紹介で言われているような、点を中心に円を描く柔の組み手の使い手であったためであると言う。
掌の旋回で紡ぐ掛け受け、掌底打ち、円形逆突き、猫足立ち、手刀上段受け、逆技、弓張の構え、こけん受け、肘打ち、刀峰、壱百零八手-現在では名前すらなかなか出ないような稀有な技での美しい動き。
それについて同じ日本大学の後輩である、第1回全日本大会優勝、その後も華々しい戦績を上げ、キックの世界でも想像を超えた戦績を残し、伝説的の空手家として日大の花と謳われた山崎照朝は、
真似したのは大山倍達館長と石橋雅史先生だけ。
体を柔らかく使う石橋先生は、剛柔一体の空手でお二人には極めたものがあった。
石橋先生は私の組み手の原点で、綺麗で大きく構えを大事にし、独特の動きは柔らかくしなやかで何より強かった。
組み手をしている最中でも弓受けの構えを使い、これをやられると石橋先生の懐に入れなかった。
今も空手のご指導をされているが、80歳とは思えない技の切れとうまさには驚かされた。
と語り、実際に石橋雅史も白帯の頃の山崎照朝才能があると見込んで、合同げいこの後に手取り足取りマンツーマンで特別に教えていたと言う。
その後全日本選手権で優勝した際は、山崎照朝は第一報を石橋雅史へ伝えており、さらにワイン会社の顧問をしている山崎照朝はそれを送るなど師弟関係は続いていた言う話だ。
盧山初雄はその強さについて、
長身でとても柔軟な体を持ち、痩身でどちらかと言うと空手家タイプでなかったが、ベンチプレスで7 、80キロはいとも簡単に持ち上げていた。
正拳でついてきたら受けると同時にもう片方の手の裏拳で攻撃してきたり、前に攻撃していくと横に飛び、後ろに引くと同時に攻撃してくると言う具合で動きが全然見えない。
前蹴りもそのまま関節を返して上段回し蹴りに持ってくる。
まるで石橋先生の操り人形になったようで何回となく、その手と足で顔を撫でられた。
それでも組み手が終わると、必ずあそこが悪い、こうしたらよかったとアドバイスしてくれた。
と、その変幻自在の組み手、柔らかさ、そして垣間見る強さ、それを証言しているようだ。
型の伝道者
そんな石橋雅史は空手の真髄は型にありと語り、
三戦に始まり三戦に終わると言うでしょ、基本といってもそれぐらい難しい型なんだよ。
型というのは体捌き、転身、呼吸法、気合、迫力、あらゆる要素を組み合わせたもの。
無我の境地というか、仮想的に対する攻撃と防御を通じて、集中力を養う。
人間が動くことができる範囲を全て網羅して、構成されたものが型なんだよ、と語っている。
型には卒業と言うことがない。
これで完成したと言う境地が存在しない。
それを毎日やることによって体に身に付いてくる。
毎日ちょっとの時間でも続けることで、無意識のうちに体が反応するになってくる。
相手が突いてくるから攻撃をなんてことを考えている事は、まだ初歩の段階なんだよ。
さらには武術について、
点を中心に円を描き、線はそれに付随するものなりと言うように、理にかなった技の流れはみんな円運動なんだよね。
だから自在の円運動によって平衡感覚を養っていく。
それは四六時中型をやることによって培われていくものだよね。
そして型と言うものを総括して、
空手の型と言うものは、空手と言う物質の表現法なんだよ。
長い歴史の間で考え出された、ありとあらゆる仮想的への攻撃と防御を想定して構成されているんだからね。
だから、型をやらなきゃだめだよ。
本当に型と言うものは、型に始まり、型に終わる、と言われていて、試合なんてものは手段だよ。
空手の表現は型なんだよ。
続いて修行と言うものに関しては、
大山道場時代にいろんな人を教えていたときに、こいつはどうしてこんなに覚えが悪いんだって奴がいて、でも真面目なんだね。
基本を繰り返し繰り返し練習していたんだよ。
そいつはとうとう全日本で優勝しちゃったんだよ。
器用な人は自分の器用さに溺れて努力しなくなってしまうんだよ。
1日の24時間あって、8時間寝たとしても16時間ある。
型は1つの動きが1分、長くても2、3分程度だよ、場所だって取らない、河原でだってできる、この部屋でだってできるんだ、それをしょっちゅうやることで、自然に反応できる動きが身に付くんだよ。
ウサギとカメじゃないけど、持って生まれた反射神経や浄さに溺れて努力しないものは、コツコツと努力したものに必ず追い越されてしまう、それが本当の武術なんだよ。
俳優との兼ね合いの先に見出したもの
石橋雅史は大山道場を支えながら、8年間在籍した文化座を退団して、文学座で芝居の勉強をやり直していた。
それは本人曰くどうあがいても谷底から這い上がれないアリ地獄のような辛い時期であったと言うが、それを乗り越え俳優として大成し、様々なテレビドラマや映画で、それこそ数え切れないほどの役柄を演じ、人々の記憶にも心にも残ることになる。
その中での私がご紹介させていただきたいのが、ご存知極真空手の大山倍達をモデルとして制作された、映画けんか空手極真拳の中で、南波棋八郎として、その最大の敵役として登場した石橋雅史は、その最後の戦い、クライマックスの決戦で大山倍達役の千葉真一と向かい合い、ここからさぞや派手な打ち合いが繰り広げられるかと思いきや、石橋雅史が見せたのはまさかの廻し受け。
マニアックなところから入り、それを2回行い、ここからどうするかと思いきや、まさかの3回目でそのまま攻撃!?
しかも上の手による攻撃を、日本貫手による眼球攻撃に変えるという、まさに実践中の実践。
それを千葉真一が手刀で受け止め、指の股を裂き、金的の攻撃も受け止め、さらに双方拳を引き、脇を締め、下突きを打ち込もうとしたところ、それが右正拳突きでカウンターを取られ、顎をぶち抜くと言う…まさに最低限中の最低限、突き詰められたぶどうの真実を戦い、それがそこにはあった。
私の先生曰く、この辺もおそらくは石橋先生が監修したんじゃないか、千葉真一は石橋先生を尊敬してるから、と笑っていた。
そして後年、子供に大人気のヒーローもの、仮面ライダーブラックの中では、空手名人の秘密と言う回で登場し、偽物の空手の名人のフリをする臆病な冴えない老人の役を演じ。
しかしそれを演じているのが本当の空手の名人であり、さらには勇気を振り絞ってガクガクと震えながら出してしまったいかにも弱そうに見せているが、それは実際には剛柔流の型で出てくる石橋雅史得意の構えであったりと、まさしくそれまでの人生そのものを全て集約したような姿を見せていた。
最後は世界でも症例を見ない感染症により生まれて初めて1ヵ月ほどの長期入院をし、それから残念ながら体調が回復されることなく永眠なされたと言う話だが、そのブログの中で生涯現役と言うタイトルにて、
早く道場に戻りたい。
今の私から道場を取り上げたら何かあると言うのだ。
皆と交わり始めて活力の戻ろうと言うものだ。
生涯現役でありたい。
現在85歳と6ヶ月。
がんばらなくっちゃ、と綴っておられた。
まさしく大道無門を掲げる大山倍達と二人三脚で、その偉業達成を支え、そして大山倍達を太陽とするのならばその光を称える月として、武の真髄、それを後身に伝え、後世に残したその実績、それは計り知れないものがあると言って間違いないだろう。
そして記録映像の中で見ることができる、その実践の真実の動き、それをいつまでも、胸の中に焼きつけておこうと私は考えている。
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